5.

 

冬の大空はボクたちに向けて不機嫌な表情を見せていた。何もしないで立っているとそっと吹く風でさえひどく冷たい。

こうして練習が休みの日になるたび、ボクたちキャットハンズの選手は思う。こんな気候で野球の練習をするなんて尋常じゃない。来年こそはキャンプ地を変更してもらおう、と。

実際、契約更改の場で直接フロントに訴える選手もいるそうだが、当然の願いはいまだに聞き入れられない。

「寒いでやんす……」

ウインドブレーカーのポケットに手を入れた矢部君が悲しそうにつぶやく。またたびスタジアムの5番ゲート、太い柱に背をもたせ掛けて、ボクと矢部君はアメリカからの旧友を待っていた。

「遅いね。もう20分ぐらい経ってるんだけど」

ボクは腕時計に目を落とした。飛行機が遅れたのかタクシーが渋滞しているのか、どっちにしても電話の一本ぐらい入れてくれればいいのに。

「アメリカ人は時間にルーズだっていうでやんすからね。きっと瀬尾君も汚染されてるんでやんすよ」

「汚染、って……」

アメリカ人が、というよりは日本人が時間に細かすぎるだけだとはよく言われていることだけど、とにかくこの寒空の下で長時間待たされるのはかなわない。

そろそろこっちから電話した方がいいかな、と携帯電話をバッグから取り出そうとしたとき、一台のタクシーが止まって、懐かしい顔が降りてきた。

「瀬尾君!」

ボクと矢部君は同時に叫んだ。去年は練習に忙しくて日本に帰ってこれなかったらしいから、瀬尾君と直接会うのは二年ぶりだ。がっしりした体格とそれに比べてやさしそうな眼――そして休日なのになぜか着ているキャットハンズのユニフォーム。見た目はそれほど変わっていなかった。

「ごめん、思ったより道が込んでて」

瀬尾君は予想通りの言い訳をした。でも、懐かしさと喜びのおかげで、寒かった待ち時間のことはすっかり忘れてしまった。

それから三人は、むかし練習帰りによく行った居酒屋に向かった。練習が終わってゆったりしようとする瀬尾君、矢部君の前で、ボクが野球関係のことを延々と話してあきれられたのも今ではいい思い出だ。

少し古びたカウンターに、すすけた座敷の畳。こうした場所というのは時間が経ってもあまり変わらない。

「いやあ、畳はやっぱり落ち着くね。靴も脱げるし」

座敷の座布団に腰を下ろすと、瀬尾君はお絞りの袋を叩き割って顔をふいた。あまりほめられた行動ではないけど、日本料理店がたくさん進出しているとはいえ、外国ではこんなくつろいだこともできないのかもしれない。隣に座った矢部君もならって顔を拭き出した。ボクも……ってことはさすがにない。

とりあえずビール、とお決まりのセリフからはじめていくつかの付け出しを店員さんに伝える瀬尾君に、ボクはたずねた。

「そういえば、なんでキャットハンズのユニフォームなの? まさか」

もう契約したの? と聞く前に、メニューから顔を上げて瀬尾君は答えた。

「いや、さすがにクビになったレッドエンジェルスのを着るわけにも行かないし。久しぶりだからこっちのほうがいいかなって思って。あ、でも当分日本のチームには戻らないから」

「え?」

さらっと大事なことを言った瀬尾君に詳しい話を聞こうとしたところで、早くも一品目の枝豆がテーブルに来た。

矢部君が注文したものだったのに、隣から一つ、瀬尾君が素早く奪いとった。

「あっ、これはおいらのでやんすよ!」

「いいじゃん。別に」

「だったら自分で頼むでやんす! 横取りはなしでやんす!」

矢部君はこういうところにいちいち細かい。瀬尾君はいきり立つ矢部君を軽くたしなめ、二つ目に手を伸ばした。矢部君が再びムキになって怒る。

そんな二人を見て、ボクは思わず声を立てて笑ってしまった。二人のやり取りがおかしかったのはもちろんだけど、それ以上に、いままで溜め込んできたいろんなものが一気に解き放たれたような気がしたのだった。

今日はゆっくり飲もう。瀬尾君や矢部君の真剣な話も聞くつもりだけれど、焦る必要はない。

そしてボクも、自分の決断を堂々と二人に打ち明けよう。

ボクたちはつながっている。それぞれがそれぞれの道を進みながら、変わりながら、それでもつながり続けている。自分の弱さも、苦しみも、すべてさらけ出してきたのだから、ボクたちはそう簡単に切れはしない。たとえ自分たちの進む道がどんな方向に伸びていても。

自分の注文が来ても気にせず、いつまでも笑い続けるボクを、二人は小首を傾げて見つめていた。

 

終わり

あとがき

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