漂着

 

いつの間にか、ここにいた。
ほんの数ヶ月前までの南条圭治(なんじょう・けいじ)は、いま自分がここ、川端西高校のグラウンドに立っていることを想像すらできなかった。

今年の二月、つまりつい二ヶ月前に、南条の父の新島県川端市への転勤が決まった。
中学三年の受験生を抱えた家庭の主に対して、そんな時期に異動を言い渡す会社。いくら不況とはいえ、理不尽にもほどがある。
そしてその時父が下した判断も、また常識とはかけ離れたものだった。
「せっかくの機会だから、新島にマイホームを建てようか」

もちろん初め、聞いていた母と子は冗談だとしか受け取れなかった。
だが、話を進めているうちにそれがかなり具体的な計画であることがわかってきた。
母は一度反対した。しかし、その本心では、そろそろ借家住まいにも不都合を感じていた頃。もしいい家が見つかれば、それもいいかな、と言う気持ちがあった。

ただ、一つだけ気がかりなことがあった。
「でもお父さん、圭治の学校のことはどうするのよ・・・」
その心配は杞憂だった。

「俺?俺は別にいいよ」
両親に気を使って出た言葉ではなかった。本当に、当時一応志望校としていた地元の公立高校への意志はごくごく薄かったし、これと言った抵抗は感じていなかった。

それに、どこにいっても、自分の人生はそう変わらないだろう。

そんな妙な確信が、南条の中にはあった。いまでもそう思っている。
そういうわけで、案外すんなりと引越しの段取りも進み、南条はごく普通の公立高校、川端西高校の受験に合格し、無事に川端市の少し外れの一軒家にたどりついた。

当初、南条はクラブ活動には参加しないでおこうと思っていた。
中学時代はかなり一生懸命に野球をやっていたが、高校になってまでまた必死にやるつもりはなかった、はずだった。
なのに、体育館で開かれたクラブ紹介のイベントを見て、練習場所や練習時刻を耳にすると、ひとりでに足がこのグラウンドへ向かっていた。


やっぱり俺は、野球が好きなのかな?
ぼんやりと空を見つめながら南条は考える。
しかし答えは出なかった。少なくとも、熱意があるとは言えないのは確かだった。

視線を下げていくと、その先にはそれなりに立派なバックネットがそびえていた。
ネットは内野、外野にも続いているし、マウンド、ベンチなど質素ではあるが一通りの設備がそろっている。学校の見かけによらず、野球部にはかなり投資を強めているようだ。
このグラウンドで、俺は高校生活を送っていくのか?
その答えもまだ、南条の中では出せなかった。とにかく、なるようになるだろう。
そして、なるようにしかならない。
今まで、そうやって生きてきたのだから。



ふと、キャッチボールをしている二人の男に目がとまった。
一人はどちらかと言えば文科系のクラブににいそうな顔だちをしたちょっと小さめの男。
その男がボールを投げると、もう一人が、ボールに対して背を向けながら受けた。
異様な光景に、南条の注目が移った。

そしてもう一人の男は背面キャッチしたボールを、今度はグラブトスで返した。
思わず南条は、グラブトスの男に注意の言葉を投げかけていた。
「おいおい、まじめにやらないと先輩に怒られるぞ」
それを聞いて、文科系の男もグラブトスの男に言った。
「ほら怒られたじゃないか。きちんと返せってさっきからいってるだろ」
「ああ、二人ともそりゃどうもすんませんでした。・・・・・ちょっとぐらいええやん」

『ちょっと』どころじゃなかっただろ・・・
南条はそう思って立ち去ろうとしたとき、グラブトスの男が
「ちょっとちょっと、そういやお前なんて名前や?」
と聞いてきた。
「ん?俺か。南条だけど」
「南条、か・・・・・ってお前、そや、俺と同じクラスやんか!いま思い出した!」
グラブトスの男は大げさに喜んだ。そう言われてみると、クラスで見たような気もする。
「水くさいなぁ、まったく。よっしゃ、これからお前のことは『ジョー』と呼ばせてもらうで」
「何で早速人のあだな決めてるんだよ。しかも自分が名乗る前に」
文科系の男が素早くとがめた。

「そやな。たしかにそらあかんかった。俺の名前は新月(しんげつ)や。そしてコイツが刈田(かりた)。人呼んで『バタ西のファイアーウォール』や」
「・・・・・誰も呼んでないだろ・・・・・と言うかおととい知り合ったばっかりだし・・・・・」
知り合って3日にしてはなかなか息があっている。たぶん、刈田がこの新月と最初に会ったときも、こういう感じのやりとりがなされていたんだろう。


「それはさておきジョー、お前どこのポジションなん?」
新月は、早くもあだ名を使ってたずねた。
「一応サードかな。まあ内野ならどこでも」
「どこでも、か。残念やけど、お前ができるんはサードだけやな。なんせ二遊間はこの俺たち、人呼んで・・・・・・」
「だから誰も呼んでないって」と、刈田がまた、息のあった反応を見せる。「とにかく南条、ポジションかぶらなくてよかったな。お互い、2年後のレギュラー目指してがんばろうぜ。」
「2年後?そんな先まで待ってられへんわ」
新月は甘い甘い、と陽気に笑った。
「お前ここの高校の事あんま知らんやろ。去年バタ西はな、1、2年生だけで地方ベスト4いったんやで。ここの監督は結構下級生でも使ってきよるからな。だから今でも十分俺たちにチャンスはあるってことや」

そして新月は自信満々に言い放った。
「ま、要するにおれのレギュラー入りはもう決まってる、ってわけやな」


刈田と南条は、無視してキャッチボールを始めた。
「お、おい、俺も入れてや・・・」
新月はあわてて、その中に入っていった。

こうして南条の、長い高校野球への戦いは幕を開けた。

 

 

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