木田寿和ヒストリー

 

_____________7月28日 夕方 川端西高校外____________


「ふぅ・・・・・ここらへんでいいか・・・・・やっぱり外の方が落ち着くな」
木田さんは裏山へ1年生3人を連れて行った。南条はやはりというか、新月と刈田を誘い出したのだった。


「で?お前の聞きたいことは何だったっけ?」
「えーと・・・・・木田さんって中学でものすごく活躍したんですよね?その様子とかを聞かせてもらいたいな、と思って・・・」

「俺もそれ、なんか聞いたことあるような気がします。今思い出したんですけど・・・・・東に凄い左投手がいるって先輩が言ってたような・・・」
新月もどうやら小耳に挟んだことはあるらしい。
中学時代は普通の学校の野球部で軟式をやってた刈田は全く知らないらしく、かなり興味深そうな顔をしていた。

「そうだな・・・全国優勝1回、準優勝1回、ベスト8が1回、だったっけな・・・」
「確かにすごい・・・・・」

「・・・・・あの頃の俺はな、とにかく球の速いピッチャーだったよ」
そして木田さんの回想が始まった



_______________木田の人生の回想_______________



木田の親は「野球バカ」だった。父は高校野球をやっていたが、肩を壊し途中で断念。
しかし野球に対する思いはさめず、社会人になっても草野球を続けていた。

当然父親は子供にプロ野球選手になってもらいたかった。
そのために、母親が止めるのも聞かずあえて左手ではしを持たせるなどして左利きにしてしまった。
左利きのほうが球団からの需要が多く、選手になりやすいからだ。


木田が物心つく頃から、父親の英才教育が始まった。
地元の野球チーム、それも小学1年から硬式のチームに入れた。
チームでの練習が終わっても、父親と厳しい練習。特に自らの経験から、父親は木田にひたすら走りこませた。周りの人が木田を
心配してやめさせようとするほどだった。

そのおかげでスタミナがつき、小学校のマラソン大会では1年生から6年生からまで常に1位。
しかし木田は、確実に走りこみ嫌いになっていった。


そして小学校6年の頃には、相手バッターに球に当てることを許さないほどの剛速球ピッチャーなっていた。その球速は130キロにも届こうかという勢いだったそうである。



満を持して中学ではシニアリーグへ。その頃から木田は反抗期へ入っていった。

ある日木田は、毎朝の日課である父親との走り込みを休んだ。
体調が悪いのだろう、とその日はすんなり休みになったが、翌日も、その翌日も木田は走らない。
そうして続いた1週間目、ついに父親は堪忍袋の尾を切らした。

「寿和!!もう十分体調は直ってるよな!!?え!?なんで走らないんだ!?」
「・・・うっせーなー。もう走らなくてもいいだろ、十分体力あるし」
「十分!?スポーツ選手にな、「十分」なんてもんは無いんだよ!!走りこみはピッチングの基本!走りこみこそが体を作るんだ!何度もいってるだろ!!」


ここで木田もキレてしまった。
「なんべんも言うから鬱陶しいんだよ!!だいたいバカみたいに毎朝毎朝走らなくてもシニアで走ってるしよ、それに足腰なんて鍛えなくてもこの肩があれば十分抑えれてるんだよ!!」
「半人前がほざくなっ!!そういう台詞はお前程度の選手が吐いていい台詞じゃない!!」
つい父親も激昂してこんなことを言ってしまったが、これがいけなかった。

「じゃあ一人前になればいいんだな!?なってやるよ、ああなってやるともよ!!すぐにレギュラーになってな、相手に絶対に打たれないピッチャーになってやるよ!!俺と親父と、どっちが正しいか証明してやる!!」
この日を境に、木田と父親の走りこみは完全撤廃された。



確かに木田の肩は、本人にそこまでの自信を持たせるものだった。とにかく速い。中学生を超越したスピード。木田は瞬く間にエースとなり、1年秋にはチームを全国大会に導いた。そのチームでは初のことだった。

そして2年春にはベスト8、2年秋では準優勝。着実に実績を積んでいった。


しかしこの実績は木田をどんどん変えていった。
当初の目標であり、そして達成した「俺のほうが父親より正しかった」という成果は、いつしか「俺が全て正しい」と言う自己中心的な信念に改悪されていった。


木田の父親への反発の象徴であった「走りこみ嫌い」はどんどんエスカレートし、ついにチーム内での練習でもそれが現れた。

皆が走っている間には筋トレ。
メニューは走りこみなのに投げ込み。

監督はもちろん注意したが、
「俺はちゃんと結果を出せてますよね?だったら別にいいんじゃないんですか、俺の好きなようにやっても。そうですよね?」
監督は気の弱さも手伝って、こうなってしまった木田をとめることはできなかった。


当然こうした態度はチームメイトの反感を買った。だがここでも木田は同じように開き直る。
この打線の弱い、木田一人に頼って全国に出たようなものだったチームは、その主張に反論することができなかった。

そして心に大いなる不満を抱えたまま、チームと木田の時間は流れて言った。



中3生が高校になる際の新チーム編成。一応監督は、チームの主力の木田にキャプテンの話を振った。
しかし木田は、「余計な仕事が増えると練習時間が減る。できない奴の面倒まで見てる暇は無い」とこれを断った。

これに対してチームメイトは、「誰もお前なんかにキャプテンになって欲しくねーよ」

しかしこれを本人に直接言える人物がいなかった。
木田の陰口を言うのがチームの日課のようになっていった。木田は、完全に孤立した。


そんなガタガタのチーム状態も、木田の圧倒的すぎる力の前では何の障害にもならなかった。
すでに球速は140キロを軽く超えていた。
「新島の江夏」という異名を取り、ついに3年春、チームを全国優勝に導いた。

しかしこのとき、選手はただハイタッチをするだけだった。そのあまりの喜びの少なさに、見に来ていた人は皆驚いた。

木田によって、木田の力によってたどり着いた全国優勝。
木田がいなければ絶対にここには来れなかった。それは認める。でも、素直にそれを認めるのは嫌だ。

そんなチームのメンバーの気持ちが、淡白な態度となって現れた。
それを見た木田もまた、素直に喜べるはずは無かった。



そして3年生の夏のある日のこと。
この日も木田は走らない。もう1年以上走っていなかった。
そんな木田を見ていた1年生は、なんだ、走らなくてもいいのかと走り込みをサボり始めた。

その様子は、一番最初に、キャプテンでもなく監督でもなく木田に見つかった。

「おいおまえら、そこで何をしてる?」
「あ、木田さん。いやね、木田さんも走りこまずにそこまですごい投手になってるんですから、走りこみなんて必要ないのかなーなんて思って」
そんなことを言った1年生に、なぜか木田はキレた。

「おいこら、お前らみたいなのと俺を一緒にするな。お前ら才能の無いやつはな、あのジジイの言うとおり地道に走っとけばいいんだよ、え!?」
そしてなんと、木田は一年生を殴り始めた!


すぐにキャプテンが止めに入り、そしてこういった。
「サボってた一年生が悪いのは事実だ。だがお前も走ってないのにそんな偉そうに説教する資格があるのか!?」
「うるせーんだよ!!走りこみ走り込みってよ!!何回でも言うけどな、俺はそんなことしなくても十分結果を出してる。そしてな、それができるのは俺だけだ!!わかるか!?」


ついにキャプテンが我慢の限界を迎えた。

「ああ、確かにお前は結果を出している。
でもな、チームはお前一人でできてるんじゃねーんだよ!!
お前がそういう態度でいるから周りにも悪影響が出てきてる!現にコイツが今サボってただろ!木田、頼むから走ってくれ、な!?」

我慢の限界を迎えたと言っても、この程度までしか言えなかった。
木田もこういうチームメイトの心情をよくわかっていた。その上で、こう言ってのけた

「チームは一人でできてない?笑わせるな。ほとんど俺一人で動いてるようなもんじゃねーかよ。じゃあ俺がチームから抜けようか?それは困るよな?俺がいないとまともに戦うことすら出来ないんだからな、このチームは。」

これを聞いたキャプテンは、もうこういうことしかなかった。

「・・・・・わかったよ。もう勝手にしろ。お前にはもう協力しない。これ以上俺たちは耐えられない。自分ひとりで、野球やっとけ。」





そして中学最後となる秋の大会。事件は起こった。
木田が相手バッターをショートゴロに討ち取る。・・・・・が、ショートはやすやすとボールを抜かせてしまった。

「おいお前、何ボーっとしてるんだ!!まじめに守れ!!」

しかしそれ以降もそんな調子で、野手たちは打球にほとんど反応しなかった。
「・・・・・そうか。ボイコットか。一人で野球やれ、ってこういうことなんだな。わかったよ。一人でやってやるよ。一人で全部三振とればいいんだろ!?」


それを成し遂げてしまう力が当時の木田にはあった。
1回戦、二回戦とすべてのアウトを三振とピッチャーゴロでとり、完封。
野手はバッティングはいつも通りだったが、守備ボイコットは続いた。そんな中、一人で三振を取り続けるため普段以上の力を出していた木田の肩は、確実に悲鳴を上げ始めていた。


しかし準決勝になると相手も強い。これは一人でやるには相当本気を出さないと。
そう思い、木田は飛ばしまくった。5回ぐらいから肩が痛くなってきた。いままでこんなことなかったのに・・・・・・そして痛みは回を追うごとに増し、8回にはついに大暴投してしまった。

下半身を全く鍛えず、上半身の力だけで、力任せに投げていた木田。
そのツケが、一度にきて肩を壊してしまったのだった。

木田はタイムを取ってベンチに行った。
「・・・・・監督、もう投げれません、代えてください。」
しかし監督は全く動かない。何度頼み込んでも動かない。

そして、グラウンドから声が飛んできた。
「木田!お前一人で全部やるって言ったよな!どうした!?お前のフォローをしようなんてやつは、このチームには一人もいないぞ!?一人でやってみろよ!!」


チームメイトは、残酷な笑いを抑えきれないでいた。




_____________________________________



「これが「新島の江夏」の一部始終だ。」

あまりの驚きに、一年生は声がでなかった。木田さんがそんな最低な人だったなんて・・・・・・・・・本当に本当なのか?この話・・・・・・・


「・・・・・その試合は結局どうなったんですか?」
ようやく刈田が口を開いた。

「試合?そんなもの試合にならないよ。19−1だったっけな。一応最後まで投げたけどな。あれは悪夢だ。悪夢としか言いようが無い・・・・・」
「悪夢、ですか・・・・・・・」
「そう。悪夢だ。そして、あの親父に反発した日以降からの俺の生活そのものが悪夢だ。もう二度と思い出したくない・・・・・・・・」

極度に重い空気に、誰も声を発することができなかった。



「でも俺は、思い出したくない、思い出したくないけど、あの頃の俺を教訓にしないと、とは常に思っているよ。これからの野球人生のためにも・・・・・」

「・・・・・そういえばでも、高校になってからも野球やってますよね」


「そこなんだよな。ポイントは。
あの敗戦以来、俺は野球の「や」の字も聞きたくなかった。そして完全に腑抜けになってしまったよ。親にもあわせる顔ないしな。何にもやる気がしなかった。
そんな中で受験して、ここに通ったのは本当に奇跡と言ってもいいだろうな。一応高校には入ったけど、それでもしばらくは全くの腑抜
けだったよ。毎日が絶望だった。そんな時出会ったのが・・・・・」
「出会ったのが?」

「角田監督だ。俺の中学のときのことを知っててな、さかんに野球部に誘ってきたよ。最初は断った。野球なんてもう、と思ってたからな・・・・・」
そこで木田さんは再び黙り込み、部室のほうを見やった。


「そうやって断り続けていた時に、角田監督は聞いてきた。『お前は野球が嫌いなのか?』って。
『はい、もう嫌です』って答えたよ。
そのとき角田監督が『そりゃもったいない。今嫌いでも、昔は野球好きやったんやろ?また、楽しい野球やろうや。もう誘わんから。後はお前に任せるわ。いつでもグラウンド来いよ』と言ってくれた。

楽しい野球、か。そういえば何年もそんなこと考えたことなかったな。ただ親父を見返してやるって言う気持ちで投げてただけで。そう考えてたら、なんかまた野球やりたくなってきてな、なぜか。
それでグラウンドに向かった、それが、俺の高校野球生活の始まりだ。」

楽しい野球か・・・・・結局はそこに落ち着くのかな、やっぱり・・・・・


「壊れた俺の肩はしばらく使えなかったけどな。でも角田監督にひたすら走りこまされて、やっぱり走り込みが肝心だったんだな、徐々に回復してきて現在に至る、ってわけだ。
・・・・・親父にはずいぶん悪いことした。今でもわだかまりが残ってる。あの頃とった俺の態度は許されるものじゃない。でも、せめてもの償いに、俺は親父に甲子園で投げている姿を見せてあげたいんだ。 」

そうか。それが木田さんが甲子園をかたくなに目指す理由か。

「新島の江夏は死んだ。そして今ここには、木田寿和がいる。・・・・・・さ、もう話は終わりだ。部室に帰って明日の対策練るぞ!」
「あ、は、はい!」

そして木田さんとバタ西デルタの3人は、走ってグラウンドへ戻っていった。

 

 

 

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