球持ち

 

背番号3を背負った左打者の懐に、白い軌道が放たれる。
その速さは、ほとんど投げられた瞬間に、スイングするかどうかを判断しなければならないほどに感じられた。
具志堅はバットを振りぬいた。だがこの男のスイングスピードをもってしても、このストレートを捉えることはできない。ただ甲子園の風だけがむなしく切り裂かれた。

空振り三振。3アウトチェンジ。三者凡退。
相手投手の西間健一はこの試合、この5回までになんと11の三振を奪った。


・・・
・・・
・・・
・・・
・・・


「ガッ!」
高めの直球の球威に負けた、長州学院の八番打者山本のバットが、鈍い音を立てて力ないフライを上げた。
球は少し風に乗り、微妙なコースへ飛んでいく。三遊間の少し後方。
三塁手の南条が打球を追っていく。だが打球は意外と伸びている。

「どけ!まかせろ!」
その時、スタンドからの大音響にかき消されながらも、しっかりとしたかけ声が聞こえてきた。
南条は追う足を止め、声の聞こえた方を見た。その主はショートの新月だった。
「任せろ!」と言ったわりには、新月から打球までの距離に余裕はない。普通の遊撃手ならたぶんあきらめる距離。
しかし新月の体はぐんぐんと加速をつけていく。そして、伸ばしたグラブの先にボールはしっかりと収まった。

五回の裏、長州学院の攻撃もまた、三者凡退。

「ナイスプレイ!新月!」
南条はベンチへと走りつつ新月とハイタッチをした。
「ははは。俺の足がある限り、ショートは絶対抜かせへんからな。まかせろや!」
「足はいいんだけど、左手のほうがなぁ・・・・・・」
「・・・・・・またお前はそうやってすぐ、水を差すやろ・・・」
新月の守備範囲は天下一品だ。トンネルさえなければ、全国でも全く見劣りのしない遊撃手だと言えるのだが・・・

「まあええわ。これで俺としても乗ってきたからな。次の打席は期待せえよ。」
そして新月は、誰に向けるでもなく「よっしゃ!」と一声、気合を入れた。



「さて、白熱の第二試合もいよいよ後半へと差し掛かります。点数は1−0と、川端西高校が一点のリードです。ここで解説の橋見さんとともに、ここまでの試合を振り返ってみましょう。橋見さん、よろしくお願いします。」
「はい。まず何よりも、両投手の素晴らしいピッチングが目立ちますね。
長州学院の西間投手は抜群の制球力とサイドからの速球ですね。最高で145まで出てましたっけ?」
「いえ、確か146キロです。」

「146ですか・・・!プロ野球でも、左投げのサイドスローでそれだけの球速を記録する投手は最近いないんじゃないですか?」
「私の覚えている限りでは・・・あまり印象にありませんね。」
「そうですよね・・・また、対する川端西の土方投手も素晴らしいですね。制球力は特にいいというわけではなさそうですが、とにかく球に勢いがあって、長州学院の選手も相当打ちあぐねてますね。
それに変化球、フォークですかね、あれがモニターで見てもはっきりとわかるぐらいに良く落ちているのでこの先もそう簡単には崩れないでしょう。」

「なるほど。ところで橋見さん、このほぼ完璧と言ってもいいピッチングをしている両投手ですが、攻略の糸口などはありますか?」
「そうですね・・・・・・まず土方君に対してですが、やはり甘く入った球を原則どおり狙うしかないでしょう。先ほどからちらほらとではありますが真ん中付近のボールも見受けられますしね。一方の西間君に対してですが・・・おそらくこの回で交代ですよね?」
「おそらく・・・そうですね。昨夏の甲子園、山口県大会、中国大会と全て6回からは継投策できてますからね。」

「そうなんですよね・・・ですから糸口と言うか・・・まあ一応コメントしておきますと、四回にホームランがありましたよね?」
「はい。一番打者島田君の素晴らしい当たりでしたね。」
「ええ。確かに左打者であることを考慮するとすごい飛距離だったのですが・・・あのイメージは今後捨てたほうがいいと思います。」
「あ、そうですか。と言いますと?」
「あの一発は、常時狙える当たりじゃないと思うんです。どちらかといえば、えーと何回でしたっけ・・・二回の表ですね。あの回に六番打者の南条君が打ったような当たりを狙って、川端西高校の各打者はバッティングをしていくほうがいいと私は思いますね。」

「なるほど。ありがとうございました。さてこれから6回の表が始まります。マウンドには・・・やはり予想通り、リリーフの草分投手が上がりました。ファーストについていた草分選手がピッチャーへ、センターの山本選手がファーストへ、そしてマウンドを降りた西間選手がセンターへと交代するようです。
さあこの回、これまで一安打の川端西高校はこの交代をきっかけに差を広げるのか、それともこの草分投手が火消しを務めて味方の反撃につなげるのか。キーポイントとなるイニングです。」



長州学院の二番手としてマウンドに上がった草分は、投球練習を開始した。
次の打者である8番の刈田は、その下手投げ投手の一つ一つの動作に目を凝らす。
宿舎で見たビデオでは、草分はかなり低い位置からボールをリリースしていた。地面から高さ約30cm。そのことによって、特に高めのコースの直球は打者からは浮き上がって見えるそうだ。
しかしいま目の前で投げている投手は、別に普通と大差ないアンダースローのフォーム。セットポジションからいったん足を上げ、腕をひねりつつ後方に引きながら体を沈める。そして下手からリリース。確かにきれいなフォームではあるが、これと言った特徴はない。

・・・投球練習の7球目まではそんな感じだった。だがラストの8球目、突然草分のフォームが変わった。
腕をひねりつつ後方に引く動作は同じ。しかし左足が打者の方へ、それまでの7球とは比べ物にならないほど大きく踏み出される。それに伴って体も余計に沈む。そしてボールもより低い位置からリリースされる。
・・・本当に低い。ビデオで見たときよりも低くなっている気がする。ということは、高めのストレートの威力がさらに増すんだろうな・・・・・・と、刈田は警戒した。

だが刈田は、そのフォームの真の恐怖をまだ把握していなかった。



「プレイ!」
6回の表、川端西高校の攻撃が始まる。先頭打者は右打席に入った刈田。
草分の投球スタイルは、その高めの直球とシンカーのコンビネーションで抑えていくというものだそうだ。
球速はMAXでも130キロ代後半。甲子園という全国大会の場では、まあ平均か、少し速いくらいと言ったところだろう。

やはり球の速いピッチャーと言うのは、それだけでも打者にとっては嫌なものだ。いくら草分がいい投手とはいえ、西間よりはまだ楽に打てるだろう。刈田だけでなく、バタ西の選手のほとんどがそう思っていたが・・・


相手投手の草分がセットポジションから足を上げ、体を沈めてくる・・・・・・左足がこちらに向かって大きく、本当に大きく踏み出された。そして腕が振られて・・・・・・草分の極端に長い腕が、これまた打者に迫ってくる。

「ピシューーー・・・・・・・バンッ!」
「ストライッ!」

・・・刈田は一瞬わが目を疑った。予想していたよりずっと速く、ボールがミットに届いた。
少し考えて、情報が入ってきたときより球速が上がっているのかな、と刈田は結論付けた。それは十分にありえることだし、また一番自然な考え方だ。

草分が第二球目を投げる。ボールが低い位置から放たれる。打者から見れば、ほとんど地面についているのではないかと思えるほどに。

「ピシューーー・・・・・・バンッ!」
「ストライーッ!」

ボールは内角高目の厳しいコースへと決まった。事前に聞いていた通り、ボールが大きく浮き上がってくるように見える。厄介な球だ。
だがそれ以上に刈田は、そのスピードに戸惑っていた。ネクストバッターズサークルから見ていたときには、明らかに西間より遅いと思っていたのだが・・・両者に大きな差はないように感じられる。刈田は自分の違和感を払拭するため、電光掲示板の球速表示に目を向けた。

しかしそれは、刈田の驚きをさらに増幅させる結果となった。
掲示板には、「130km/h」と言う文字が表示されていたのだ。

打席で悩んでも仕方がない。2−0とカウントは追い込まれている。謎解きにはあとでゆっくりと取り組もう。
刈田は違和感を無理やり封じ込め、草分の第三球目を待った。

「ピシューーー・・・・・・・・」
外角のコースではあるが高さは甘い。その球に対し刈田は反射的にバットを出した。

「クッ」
「ブンッ!」

お約束。ボールはホームプレートのごく近くで鋭く沈んだ。
「ストライーッ!バラーアウッ!」

草分もまた西間と同様、先頭打者を3球で空振り三振に切ってとった。


・・・
・・・
・・・


打席には9番の新月が立っている。刈田よりは球が見えているようにも見えるが、あまりついていけていない。

一方ベンチで、刈田は悩んでいた。だが考えれば考えるほど、深みにはまっていく気がした。恐ろしく速い130キロの球。スイングした刈田には何が起こったのかわからなかったほど、自分の近くで沈んだシンカー・・・

「刈田、どやった、あの球?」
角田監督が刈田の方に歩み寄って来て、そうたずねた。
「・・・2球目って、本当に130kmでしたよね?」
「ええっと・・・そやな・・・」
監督は表示を見ていなかったらしく、スコアラーに確認を取った。
確かにその球速は間違いなく130kmだった。

「ちなみに一球目は128kmやったらしいで」
「・・・128km!?」
「そんなに速いと思ったんか?」
「はい。西間に負けないぐらい・・・」

やはりそうか、と言うように監督はうなずいた。そして監督は、ほれ、見てみ、と草分のほうを指差した。
「大体見当はつくな。あのピッチャーは、リリースポイントが極端に前にあるんや。」
「・・・あっ!」
その一言で、刈田の抱いていた謎はあらかた解けた。

「腕と足が異様に長い分、球をあれだけ打者の近くで離せるんやな。それに股関節もやわらかいみたいやし、足の粘りも相当あるみたいやから・・・球持ちが異常ににええんやな。」

球を自らの体の前の方で離せるピッチャーを、「球持ちのいいピッチャー」と言う。
球持ちのいいピッチャーが投げるボールは、球が離されてからミットに届くまでの距離が短くなるので打者にはより速く感じる。
例えば打者に10メートル近づいて投げれば、どんなに遅い球でも速く感じる。これは極端な例だが、原理としてはこのような感じだ。
またスピードが増すだけではなく、変化球の曲がりはじめのポイントを打者のより近くに持っていけるので、それだけ変化球が打者の手元で曲がり、いわゆるキレのいい変化球になる。
球速があまりなくてもプロで活躍している投手は、この球持ちのいいピッチャーであることが多い。

逆に球持ちが悪い、つまりボールをリリースするのが早いピッチャーは、いくら数値上での球速が早くても打者にはそれほど速く感じられないし、変化球のキレも悪い。


話をグラウンドに戻そう。
新月も結局、三振を喫してしまった。そして次の打者の島田さんは・・・もう言わなくてもいいか。


西間がマウンドを降りて、これが追加点のきっかけになるかと期待したバタ西部員、また応援の人も多かった。しかしそううまくはいかないようだ。
何せ、長州学院が山口県予選から通じて使い続けた投手。そう簡単に、打てるはずもない。

 

 

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