自然数

 

「カキンッ!」

少し雲がかかってきた春の空の下で、長州学院の九番打者のバットが白球を撃ち抜いた。
球は土方さんの足元の、より一塁側を襲った。土方さんも懸命に反応するが間に合わない。打球は後ろへ抜けていく。
このままセンターへ・・・・・・いや、セカンドの刈田が飛びついた。そして打球はグラブに収まった!
しかし、相手打者の足は速い。普通に送球しても間に合わないかもしれない。そう思った刈田はとっさに、意外な行動をとった。

「新月、捕って!」
まだ砂煙も収まらない中、同じく打球に駆け寄ってきたショートの新月は、刈田がそう叫ぶ声を耳にした。
「え、え?」
新月は戸惑った。が、その答えを見つける前に、左手のグラブがひとりでに、目の前に浮き上がった白球を捕まえていた。息つく間もなくボールを取り出し一塁へ渾身の送球!

「バシイッ!」
「・・・くっ!」

その送球の威力は、受けたファーストの具志堅が思わず声を漏らしてしまうほどだった。しかしランナーも高速で一塁ベースを駆け抜けている。判定は・・・

「アウッ!」

一塁塁審が高々と、親指を立てた右腕を上げた。

「新月、ナイス!」
「お、おう」
刈田は新月のグラブに、自分のグラブを叩き合わせた。だがまだ新月は、まだ自分を取り戻していない様子だった。

「なあ、刈田、何で俺んとこへボールが飛んで来たんやろ?」
「ああ、あれは俺がグラブトスしたんだ。」
「・・・グラブトス!?」
ボールの行方しか見ていなかった新月は、刈田がそんな動きを見せたことに全く気づいていなかった。

「あのままの状態から起き上がって投げても多分間に合わないからな。起き上がってから全く逆の方向に体を向け直さないとといけないし。だから新月にボールを預けたんだよ。お前のほうが、肩も強いしな。」

刈田はほぼ一息で自分の動きを説明したが、新月がそれを理解するまでには少し時間がかかった。
「ま、まあとにかく、実はお前の方がすごかったんやな。」
刈田に言ったのか、自分に言い聞かせたのかはわからないが、新月はそう言うと再び自分の守備位置へと戻っていった。



そのころキャッチャーの藤谷さんは、少しだけ不安を抱いていた。
今の第二球目、外角ギリギリ、ボールになってもいいという要求をしたが、球はかなり真ん中のコースに入ってしまった。
しかしそれはある程度仕方がない。何度も言うが、まだまだ土方君は投手として完全に仕上がっているわけではない。だから細かいコントロールを求められなくても、気に病みすぎてはいけない。

それよりも気になったのが今、あわやヒットと言う当たりを飛ばした九番打者の振り。なんというか、前の打席に比べて格段に「迷い」がなくなっていたような振りだった。
甘く入った球を狙い澄まして振りぬく。当たり前の心がけだが、土方君の球威の前にできていなかった打撃。それが今、復活したように見えた。いや、ただの偶然か?・・・わからない、わからないけど、とにかく今は土方君を信じて球を受け続けるしか方法はない。

「よーし、1アウトです!」
藤谷さんは自らの迷いを振り払おうとするかのように、ナインに向かってそう声を上げた。



土方さんがゆったりと足を上げ、1−2からの第4球目を投げ込む。指示は低目へのストレート。だが・・・

「シャァァーー・・・・・」
・・・甘い!?

「キンッ!」

一番打者はそれを見逃さなかった。打球は三塁線上空へ。サードの南条は後方に走りジャンプするが・・・全く届かない。
白いラインのすぐ内側に打球が落ちる。三塁塁審がフェアゾーンに落ちたことを告げる。
レフトの中津川さんは、フェンスの方へ進んでいくボールに向かって走った。

中津川さんが球を捕って二塁へ送球。だがそのときには、ランナーは二塁に悠々と滑り込んでいた。

1アウト二塁。長州学院のランナーが得点圏に進んだのは、この試合これで二回目だ。


・・・
・・・
・・・
・・・
・・・


「シャァァーー・・・・・・ドンッ!」
2−3からの七球目。内角低めに決まった。いいコースだ。この回、制球力を乱している土方さんだがこれで・・・
「ボール!フォアボーッ!」

「・・・!?」
思わず藤谷さんは声を上げそうになった。だが高校野球において、審判への抗議はよほどのことがない限り認められない。藤谷さんは理性を動員して、不満が表れるのを抑えた。

気がつけば満塁。本当に一瞬だった気がする。
甘めに入った球を、二人の打者に連続して捕らえられたのが気になっていたのかもしれない。二番打者、そしてこの三番打者を相手にして、土方さんは明らかに際どいコースを狙いすぎていた。

その結果の二連続四球。この試合始まって以来の大ピンチ。
さすがにまずい。藤谷さんはタイムを取ってマウンドへと向かった。



「土方君、もしかして疲れましたか?」
藤谷さんは、最も容易に考えられる原因を口に出した。
「・・・いや、肩も足もまだまだ大丈夫だ。」
「そうですか・・・」
確かにフォームを見ていた限り、スタミナが切れたようではなかった。だとすれば何だろう・・・

「・・・最低でも一試合に一回はピンチがあるものだろ。それが今来ているだけだ。そう神経質になるなよ。」
深く考え込んでいた藤谷さんに、土方さんがそう言った。
「そうですね。すいません。」
励ましに行ったつもりが、逆に勇気付けられてしまった。

土方君の言う通りだ。相手は昨夏、日本で二番目に野球が強かった高校。その相手に対して、これまでがあまりにうまく行き過ぎていたのだ。
神経質になる必要はない。その言葉を反すうして、藤谷さんはキャッチャーボックスへ帰っていった。


長身で細身。らしからぬ体格を持った四番打者が左打席に向かってくる。
この試合長州学院の初安打を生み出した男。前の二打席とも、ボールをきちんと捕らえている男。草分がこのチームで一番怖いバッターであることは間違いない。
「よろしくお願いします。これで三回目ですね。」
「よろしくお願いします。」
さすがに藤谷さんももう驚かなかった。ただ「丁寧な人だな」と思うだけ。落ち着いて返事した。
草分はスパイクの先をバットで軽く叩いたあと、へその前にグリップを持ってきて構える。バットの角度はこの打席も45度。

「さーて、三度目の正直となるのか、はたまた二度あることは三度あるのか。」
先ほどまでと同じように、草分がそうつぶやいた。
「おそらく後者ですよ。残念ながら。」
そのつぶやきにもう慣れた藤谷さんは、サインを出しながらそう返した。

その返しには応じず、草分が構える。
一塁側スタンドからこの日一番の熱気が押し寄せる。逆転のチャンス。どの生徒も必死の形相で声を張り上げ、グラウンドに声援を送る。チャンステーマだろうか、先ほどまでとは応援の音楽が違う。
土方さんがゆったりとフォームを始動させる。満塁の場面では、盗塁される心配がないため急がなくてもいいのだ。

「シャァァーー・・・・・・ドンッ!」
「ストライッ!」

外角気味の直球で1ストライク。この場面に力む様子も見せず、草分は悠然と見送った。その顔にはかすかに笑みが浮かんでいる・・・・・・不気味だ。不気味だとしか言いようがない。

藤谷さんは二球目にボール球を要求して、様子を見ることも考えた。しかし押し出しで同点もありえるこの場面。いま制球の定まっていない土方君に、それを求めるのはあまりにも危険だ。
かといってまともに勝負するのも怖い。内野陣はゲッツー狙いの中間守備。うまく取れれば最高だが、下手すれば内野ゴロの間に一点を加えられる可能性もないとは言えない体制。どうする・・・

藤谷さんの考えが決まった。土方さんはそれを見て、第二球目を投げ込んだ。

「シューーーー・・・・・・・・・スッ」

サインはフォーク。真ん中よりちょっと下から落として、あわよくば空振りを・・・・・・だがその球はホームベース上に落ちた。投げたコースが低すぎたのだ。
球は一度跳ねて、藤谷さんのミットに収まる。カウント1−1。
草分はまたも、動きを見せない。まああれだけ外れれば当然か・・・・・・

「どうやら、最初の方になりそうですね。」
草分がスタンスをもう一度整えながらそう言った。普通の人なら、いきなりそう言われてもすぐにはわからないだろう。しかし藤谷さんの頭は、その言葉を過去のセリフに素早く符合させた。三度目の正直・・・?
土方さんが第三球目を投げる。今度は直球で勝負・・・!

「シャァァーー・・・・・」

「やっぱりね」

草分は腕をきれいに折りたたんで、バットを振りぬいた。
内角の直球が、きれいに芯で捉えられる。
ライナー性の当たりが右中間を襲う。ランナーは迷うことなくスタート。

センターの島田さんが快速を飛ばして打球に追いつく。だがすでにその時、いち早く飛び出した三塁ランナーはホームイン。二塁ランナーも三塁ベースを回っていた。
島田さんは中継の二塁手刈田に送球。かなり正確なボールが刈田の元へと届く。

間に合わないとわかっていても逆転を防ぐか、それとも草分の二塁への進塁を阻止するか・・・・・・いや、刈田は三塁に向きつつボールを投げた。
ランナーが三塁ベースに滑り込む。サード南条は素早くランナーの足にタッチ。送球した刈田の視点からはよくわからない。果たして・・・

「アウトッ!」

・・・・・・よかった・・・かなり際どい判断だったが、これで2アウトをとった・・・・・・

「刈田っ!!」
その時、南条の声が声援にかき消されながらもしっかりと刈田に届いた。南条は腕を引き、投げる体制に入っている。
そうだ、ボーっとしていると草分が二塁に進んでくる!早く二塁ベースに入らないと・・・・・・しかし幸い、草分は一塁で完全にストップしていた。

鮮やかな中継プレーで何とか2アウト目をもぎ取った。
しかしスコアボードには長州学院の得点表示欄に、この日初めて自然数がともった。
六回の裏、長州学院高校は二点を加え、逆転に成功。



俺の高校野球人生、初めての失点か。
逆転打を浴びた土方さんは、意外と冷静に事実を受け止めていた。ここからが本当の踏ん張りどころだということを、理解しているようだった。
少しだけ、打たれた原因について考える。・・・しかしよくわからない。

右打席には五番打者の橿原が入ってきている。今ここで、反省しても仕方がない。この打者を抑えれば流れはいったん断ち切れる。そう。この打者を抑えれば・・・
土方さんは、藤谷さんのサインを確認する。
ストライクを取りにいくストレート。そうきたか。確かにこのバッターは過去二打席、徹底してファールで逃げてきた。だからここでも初球から狙ってはこないだろう。だから確実に、か。・・・・・・藤谷にしては安易過ぎる気もする。だが裏の裏をかく意図もあるかもしれない。

とにかくこの場面、投げるからには最高の力を出すしかない。ここで無様な姿を見せるわけには行かない。
無機質なベッドの上からブラウン管を通じて俺を見ている母親のためにも。過去の自分を許してこの舞台を与えてくれた監督のためにも。勝利を信じ、俺を信じて見守ってくれる仲間たち、応援してくれる人たちのためにも。・・・・・・そして、俺の未来への道をさらに切り拓くためにも!

「っらぁっっ!!」

橿原への初球、土方さんはこの試合始めて、いや野球人生で初めて、マウンド上で咆哮した。
その時左腕から放たれたのは、ここまでで最高の直球だったと言っていいだろう。そのスピードは時速147キロを記録した。


だが、橿原はその球を捉えた。


立て続けの当たりに沸いたスタンドの声によって、打球音はよく聞こえなかった。
打球はこれまでにない角度で左中間方向へ上がっていく。まさか・・・!

センターの島田さんが駆ける。ただ、空中のボールのみを視界に入れて。
とりあえずスタンドには入らないようだ。しかし一塁ランナー草分はすでに二塁と三塁の中間を駆けている。落ちれば確実に3点目。
島田さんが走る。白球が重力に吸い寄せられる。

「うおぉぉぉーーっ!」

この日二回目の叫び声を、今度は守備で上げた島田さんは、斜め後方に大きく跳ねた。
そして島田さんのグラブに白球が入った!・・・・・・どうだ、落としてないか・・・!?

しばらく倒れこんでいた島田さんは上半身を起こし、左腕を掲げた。
グラブに収まったボールを、ダイヤモンドの方に向けて。

「啓ーっ!捕ったぞーっ!!」

島田さんは広大な外野の一番奥kら、ありったけの力を込めてそう叫んだ。


五番橿原が中飛で倒れ3アウトチェンジ。長州学院の猛攻を、何とか二点で食い止めた。

 

 

 

第四章メニューに戻る

小説メニューに戻る

ホームに戻る

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送