不可解な奇襲

 

七回表、川端西高校の攻撃。
プロ野球では「ラッキー7」と言われ、ファンと選手の士気が大いに盛り上がるこの回。だが今のバタ西に、そのような雰囲気は微塵もなかった。

普段の相手ならこういう場面では、「取られたなら取り返せばいいだけだ!」と言うようなことを切り出す者が一人は出てくる。そして周りもそれにつられて再び気を引き締める。
だが今日の相手はモノが違いすぎる。
スキのない守備。穴を見つければすぐさま喰らいついてくる攻撃。そして二人の変則エース。
そんな難攻不落に思える牙城から何とか引きずり出した一点を、死に物狂いで守っていくしか勝つ方法はない。ほとんどの部員はそう思っていた。そして今それが崩れた。いったいこの先どうすれば・・・

バタ西ベンチはそんな閉塞感に襲われつつあった。そしてこのチームの頭脳である男もまた、その例外ではなかった。


「監督。どんな小さなことでもいいので、草分を打つ手がかりか何かないですか?」
この回の先頭打者である藤谷さんは、これまた芳しくない表情を見せている角田監督にヒントを求めた。
今のところ、自分では何も思いつかない。チームメイトにもいいアイデアが浮かんでいる様子はない。こうなったらもうこの人に聞くしか道はないだろう。そう考えての質問だったが・・・

「・・・ワシはな、自分が長いことやってたから、投手のええところも悪いところもかなり見抜く自信はある。」
「え?じゃあどこか『悪いところ』が・・・?」
「ない。長所しか見えへんな。今のところは。」
・・・それじゃ僕と何も変わらないですよ・・・藤谷さんはがっかりして、そのまま打席に向かおうとした。だがその時、監督が少し気になる解説を始めた。

「あの投手の何がすごいかってな、フォームのバランスが絶妙なんやな。
もしかしたら、あのフォームはただ腕が長いからできるだけ、と思ってるやつがおるかも知れんけどな、いくら腕が長うてもあれだけ打者の近くでボールを離すのは普通無理やで。」
「どういうことですか?」

「まずあれだけ打者のほうに踏み込むには、かなり足を開かなあかん。
そいで、投げる前にプレートから離れたらボークになるから、ちゃんと左足を後ろに残しとかなあかん。
その上球威が落ちんよう、肩が開かんようにきちんと制御しながらボールを離さなあかん。
こういう難しい動きが絶妙なバランスの上に成り立ってる、っちゅうのがあの投手の驚異的なところやな。」
「バランス、ですか・・・」
聞けば聞くほど、打てなくなる気がしてくる。やっぱり聞かないほうがよかったか・・・藤谷さんがそう思ったときだった。

「まあでも、そのバランスがちょっとでも崩れたらあのフォームは成り立たんようになる。危なっかしいフォームといえば、そうなんやけどな。」
監督の漏らしたその言葉を聞いて、藤谷さんはひらめいた。城塞を崩し得る蟻の穴の手がかりを見つけたような気がした。
早速藤谷さんは、監督にひらめいた考えを告げてみた。監督は、「ええんちゃう。やってみ」と軽く言って、藤谷さんを打席に送り出した。


・・・
・・・
・・・


刈田君たちの言っていた通りだ。
伸び上がるストレートは先発の西間にも劣らない速さでミットに届き、シンカーは西間のそれ以上のキレ、落差を持つ。「上下の変化」と例えたくなるようなコンビネーション。
コントロールには西間ほどの精密さがないだろうか。でもそれを補って余りある球威がある。
藤谷さんはここまでのわずか二球で、草分をそう評価した。現在、カウントは1−1。
「作戦」を発動するのはここが絶好の機会だ。藤谷さんはいつものように短く持ったバットに、力を入れなおした。

草分が腕をひねりながら後ろに引き、地面すれすれから第三球を投じる。

「ピシューーー・・・・・」

藤谷さんはここで、バントの構えを取った。

「コンッ!」
「・・・!?」

そして少し押されながらも確実に草分の前にボールを転がす。草分は全く予期していなかったのか、かなり遅れて前進を切った。
「草分!」
捕手の橿原は、打球の処理を草分に任せた。
草分はさらに焦る。何とかボールをつかみ、一塁へ振り向く。今から投げても微妙なタイミングだ、なんとかアウトに・・・・・・しかし草分の必死の願いとは裏腹に、藤谷さんは全く一塁ベースに到達していなかった。
十分余裕を持って、長州学院は1アウトをとった。



「角田監督、やっぱりそうです」
「みたいやな。ようやった」
奇襲作戦は完全に失敗。だが藤谷さんは全く気にかけていない様子だった。監督も同様。いやそれどころか藤谷さんから、ベンチを出る前に取り付いていた焦燥感が消えているようにも思えた。監督も同様。

・・・失敗云々ではなく、そもそも藤谷さんがセーフティーバントを試みようとすること自体がおかしい。チームでもワーストクラスの足については、本人が一番知り抜いているはずなのに・・・・・・よっぽど下手な守備陣を相手にしない限り、この作戦は成功し得ない。
謎を残したまま、次は三番の土方さんが打席へと入る。



少しだけ荒れた足場を直し、土方さんは構えに入る。心持ちバットを立て、体を大きく見せるフォーム。

「ついに打たれたな」

後ろから飛んできたそんな言葉が耳に入る。キャッチャー橿原のつぶやきだ。
「なぜ突然、あれだけ打たれ始めたのか迷ってるだろう。教えてやろうか?」
当然、無視。相手投手草分がモーションに入る。
「お前の球は手元で微妙に変化している。それに俺たちは手を焼いてきた。・・・5回まではな。全くたいした威力だよ」
その間にも橿原はなにやらぶつぶつと口を動かし続けた。
草分の第一球目が向かってくる。

「ピシューーー・・・・・・バンッ!」
「ボール」

外角へ外れた球。まずは一球様子を見たのだろうか。
「でもお前の球は、まだまだ本物じゃない。ハリボテだ。」
返球しながらも、橿原はつぶやくのをやめない。
「制球力のない今のお前が投げているムービングファストは、よく引き付ければ何のことはない、ただ内側に甘く入ってくるだけの打ちやすい直球だ。いわゆる「シュート回転する球」と似たようなもんだな。」
気にしてはいけない、と心の中の声が抗い続けている。だが次第に、土方さんの意識は橿原の言葉に傾いていった。
「それがわかった今、お前はもう俺たちを抑えられない」
草分は二球目のサインを確認しているが、まだモーションには入っていない。今なら・・・

「・・・すみません、タイムお願いします。」
土方さんはスパイクの紐が解けた振りをして、打席をいったん離れた。
そしてその様子を追った橿原の視線を、土方さんはしっかりと捉えた。

「・・・少し黙れ。高校生にもなって、けじめの一つもつけられないのか?」
騒ぎを起こすと面倒だ。言葉はできるだけ穏やかに。しかし相手に向けられた土方さんの低音には、拒絶を許さない意思が込められていた。
「・・・俺の気を削いで打たせないつもりだろ。言っておくが、全くの無駄だ。」
土方さんはそう言い残すとタイムを解き、打席へ戻った。橿原は一応、口を閉じている。


気を取り直して草分が二球目のモーションへ。長い右腕がしなやかにひねられた後、ごく低い軌道を描く。

「ピシューーー・・・・・」
内角高めの直球。
「カンッ!」

土方さんは狙っていたその球をフルスイングで捕らえた。
しかし伸び上がるストレートがバットの芯を外したため、打球は力なくセカンドの後方へ飛んでいった。

それでも土方さんはあきらめずに一塁へ全力疾走。・・・・・・それはただ気合から来たプレーではない。舞い上がった白球は、セカンドとライトのちょうど真ん中当たりの微妙な地点を目指していたのだ。

二人の野手が懸命にボールを追う。このままでは衝突の恐れもある。

「オーライッ!」

セカンドが自分に打球を任せろ、とそう叫んだ。しかしその声は運悪く、熱狂したスタンドの大音量にかき消された。
ライトが躊躇なくボールに猛進する。セカンドも追い続ける。ある地点まで来て、二人は身の危険を感じて捕球を譲り合ってしまった。

白球は二人の間に落ちた。
1アウト1塁。三番土方、ライト前ヒットで出塁。


「全くの無駄、か。打席の結果としてはそうなったな。」
キャッチャーの橿原は、打席に誰もいない今もなお、つぶやき続けていた。
「だが、打者としての土方に興味はない。出たところで、どうせつながらないしな。」
橿原は軽く一塁ランナーを確認して、再びキャッチャーボックスに座った。


・・・
・・・
・・・
・・・
・・・


「マウンド上の草分、セットポジションから第四球目を投げた・・・・・・外角いっぱいの直球決まってストライク。見逃しの三振、これで二者連続、今日5つ目の三振となりました。3アウトチェンジです。」
両者譲らぬ攻防に、放送席の熱気はまだ収まっていない。実況を担当する小村アナウンサーの額には、うっすらと汗がにじんでいた。
「いやー、橋見さん。草分投手はこの回も難なくシャットアウトしましたね。」

コメントを求められた解説の橋見氏の顔も、少し上気している。
「そうですね。一応一安打は生まれましたが、あれはしっかりと捕らえられた打球ではなかったですからね。そういうわけでほぼ完璧といっていいでしょう。ただ、少しだけ気になることがあるのですが。」
「あ、そうですか。と言いますと?」
「この七回だけで二番の藤谷君、四番の角屋君と二人の打者がセーフティーバントを試みていますよね。」

実は、角屋さんも奇襲をかけようとして失敗していた。その後普通の打撃に戻り、三振を喫したのだ。
「いくら相手が好投手とはいえ、多すぎる気がするんですよね。」
「そうですね・・・長州学院の守備陣も、全く崩れていませんでしたしね。」
「それは十分予想できたことだと思うんです。何か別の意図があるような気がしてならないんですよね・・・」

橋見氏はそう言いながら、首を少しかしげた。
しかし当然、小村アナウンサーにもその「別の意図」はわからない。その話はいったん終わって、放送は続けられた。

 

 

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