躍動感

 

「パシッ」
「ボール!」

七回の裏、先頭打者の六番西間に対して土方さんが投じた第三球目。低めに外れて2−1。ストライク先行のカウント。普通は、ごく順調なピッチングだと思うところだ。
しかしボールを受けている藤谷さんは、マウンドへ向かおうかとも考えていた。その原因は受けたボールのあまりにも軽過ぎる感触。

この回に入る前の投球練習の時からそうだった。球に力がこもっていない。
後藤をはじめ、バタ西の正捕手候補をことごとく沈めてきたストレートが、強い手ごたえもなくあっさりとミットに吸い込まれる。威力が弱まっただけでなく、特有の手元での変化もほとんどなくなっているような気がする。
このままでは危険だ、と藤谷さんは思っていた。しかし有利なカウントで下手な行動を取ると、投手のテンポを崩しかねない。とりあえずいったん落ち着いて、様子を見ることにした。

四球目にはフォークを要求。
土方さんがゆったりと振りかぶって投げ込む。

「シューーーー・・・・・・・・・スッ」

相変わらず、大きな落差だ。しかし打者の西間はバットをピクリとも動かさない。
もちろん判定はボール。カウント2−2。
第五球目。今度は高めの直球で空振りを・・・

「シューーーー・・・・・」
「カキーン!!」

鋭く振られたバットは、ボールにミートした瞬間、この試合でも一番ではないかと思うほどの快音を上げた。
だが幸い打球は大きく一塁側へ切れていった。ファールボール。

かなり危ない当たりだった。完全に捕らえられていた。もしあれが前に飛べば・・・
藤谷さんは迷った。
ストレートは危険だ。ほぼ完璧に合わされている。
フォークでカウントを取るのは非常に難しい。
二回の裏だったか、西間の俊足はすでに目にしている。この打者をノーアウトで塁に出してしまうとこの上なく厄介だ。どうする・・・

いつまでも待たせておくわけには行かない。藤谷さんはサインを出し、捕球体勢に入った。
土方さんが第六球目を投げた。

「シューーーー・・・・・」
内角のなかなかいいコース。これなら・・・
「カキンッ!」

コンパクトに振りぬかれた西間のバットが再び土方さんの直球を捉えた。
今度はフェアゾーンへ。ライト前に落ちた。
当たりが良すぎたため打った西間は二塁を狙うことができない。

ノーアウト、ランナー一塁。おそらく長州学院で一番足の速い選手を、一塁ベースに置いてしまった。


やはりタイムを取るべきか・・・・・・藤谷さんはまだ迷っていたが、土方さんはマウンドを整えながらすでに投球体制へ入ろうとしている。
タイミングを失ってしまった。藤谷さんはここも様子を見ることに決めて、キャッチャーボックスに座った。
打席には左打ちの七番打者が入っている。

土方さんが一度だけ一塁のほうに目を向けた後、第一球目を投げた。

「シューーーー・・・・」

・・・その時、一塁ランナー西間が走った。いいスタートだ!
バッターはスイングしない。藤谷さんは素早く一連の動作をこなし二塁へ送球した。
藤谷さんの肩は特に強くはない。しかし捕ってから投げるまでの早さはチーム内で飛び抜けている。

守備体系の関係で、二塁ベースはショートの新月が入った。
送球は少し低いが正確なコースを通って向かってきている。これをこのまま捕ってタッチして・・・
新月がまだボールを捕らないうちに、西間はすでにスライディングを開始していた。

「ズザァァァッ!」

確実にタッチプレーをこなせば、あるいはこのランナーを刺すことができたかもしれない。
しかし新月は送球を受けることすらできなかった。ボールは新月の後ろへはじかれた。
もちろんセーフ。この回もまた、得点圏にランナーを進めてしまった。


「ドンマイ!新月!今のは難しい!」
サードの南条が、うなだれる新月に向かってそう叫んだ。
・・・本来ならこういう役目は投手の土方さん、または捕手の藤谷さんが務めるものだ。しかしどちらにもその余裕はないらしい。藤谷さんにはマスク越しに、そして土方さんには帽子の下に、焦りの表情があらわになっているかのようだ。

土方さんは第二球目を投げる体制に入った。もはや二塁を確認することすらしない。
とりあえずのクイックモーションから、ボールが放たれた。

「シューーーー・・・・・・」

「カキンッ!」
このバッターも外角の直球を捉えた。

「バシッ!」

そのボールがサード南条のグローブに収まるまで、ほとんど時間はかからなかった。鋭い打球はサードの真正面を突いたのだ。
二塁ランナー西間は少し飛び出している。南条はチーム随一の強肩で、二塁に送球した。
だが西間の反応も早い。送球は間に合わず、2アウト目を取ることはできなかった。

1アウトでなおもランナーは二塁。ピンチは終わらない。



「タイムお願いします」
重い腰を上げベンチから出てきた男は、審判にそう伝えた。
ここでついに角田監督が動いたのだ。タイムを要求した後、ベンチの前で部員の一人になにやら伝えている。
それを受けた部員が、マウンド上に駆け寄っていく。
高校野球では直接監督がグラウンドに向かうことはできない。そのため「伝令」を介してグラウンド上の選手に指示を与えるのだ。


「土方さん、用件は三つです。」
一年生の伝令は少し間をおいて、伝えられたことを整理してから口を開いた。

「まず一つ目が、特にこの回、腕が全く振れてないから、暴投するぐらいのつもりで振っていけ、と言うことです。」
「・・・でもそうすると、球が真ん中のほうに入ってしまう。それでさっきの回は二点を取られた。」
土方さんのその言葉を聞いて、藤谷さんはこの回感じていた違和感の答えを見つけた。

「土方君。この回はずっと、力を抑えて投げてたんですか?」
「・・・ああ。コントロールを重視して・・・・・・」
「だめですよ・・・それで簡単に前に飛ばされてたんですよ。力は足りないですし、全然球が揺れ動いてないですよ。」
「・・・そうだったのか?」

はい。・・・確かに変化する球は甘く入れば危険です。でも相手を惑わす効果はそれ以上の威力を持っているんです。もっと自分の球を信じてくださいよ。」
藤谷さんは、土方さんの目を射抜くように見据えながらそう言った。ピッチャーの気持ちをよく知り、その上でいかにしてピッチャーの力を引き出すか。血の通ったリード。いつか昔、角田監督に言われたことだ。

「藤谷さん、二つ目に行っていいですか・・・?」
伝令はすっかり遠慮しながらそう言った。
「あ、ええ、どうぞ。」
「ではいきますね。二つ目は、回を追うごとにフォークの握りがバッターに見えてきている。特にこの回はまる見えだから、足の後ろに隠すかグラブの中に隠すかして相手に見えないようにしろ、と言うことです。」
「「・・・あっ」」」
土方さんと藤谷さんは、ほぼ同時に声を発した。そうか、だから見切られていたのか・・・・・・

「最後の三つ目です。とにかく全力で投げていけ。自分では気づいてないかもしれないけど、6回に打たれたのは土方さんに全体的な勢いが欠けていたからだ。後ろには南条もいるし、スタミナは気にせずぶつかっていけ、ということです。」
「・・・わかった。ご苦労さん。」
土方さんは伝令の肩を二度叩いて、ベンチへ送り出した。

「・・・よし、藤谷、行くか。」
「はい!僕もこれで吹っ切れました。どんどんいきますよ!」
バッテリーの顔はすっかり晴れ渡っていた。それぞれ持ち場に帰り、試合が再開する。


・・・
・・・
・・・
・・・
・・・


土方さんがマウンド上で躍動する。左腕から放たれたボールが大気を切り裂き、打者に近づくに連れて不規則な抵抗を受けながらミットへ向かっていく。

「ドンッ」「ブンッ!」
「ストライーッ!バラーアウッ!チェンジ!」

下位とは思えないほど鋭い振りを見せた長州学院の九番打者も、この球を捉えることはできない。空振りの三振。

角田監督の指摘は見事に当たっていた。特にフォームの勢いについて。
土方さんは全く意識していなかったが、回を追うごとにフォームの躍動感が薄れていたのだ。
スタミナ切れからか?しかしこの回後半のピッチングを見る限り、それは考えづらい。おそらくあまりの快投に緊張が緩んでいたのか、あるいはペース配分を意識しすぎていたか、と言ったところだろう。
とにかくこの回、土方さんは二塁ランナーを動かすことなく後続を断ち切った。


現在、長州学院は1点差でリードしている。次が八回の表だから、バタ西に残された逆転のチャンスはわずかに2イニング。
しかしその2イニングは短いように見えて、果てしなく長い。それが野球というドラマだ。このドラマがバタ西にとってどういう結末を迎えるのか。それはまだ、誰にもわからない。

 

 

 

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