ジェンガ

 

南条は自分のバットをタオルで一拭いし、打席に向かおうとしていた。
大きな当たりはいらない。一点を取るなら、まずワンヒット、いや、まずは塁に出ること。しっかりと球を見極めることに徹していこう。

そう決めたとき、角田監督がベンチの端のほうから南条の元にやってきた。
「南条、ちょっと作戦があるんやけど、ええか?」
「あ、はい」
今日、監督が打者に指示を出すのはこれが初めてだ。試合前のテレビ局へのインタビューで、そうすることを予告していたとも聞くが・・・まさか8回表を迎えるまで徹底するとは誰も思わなかった。

「作戦言うても、ごくごく単純なことや。南条がここで勝負すると決めたら、いったんバントの構えを取ってから打て」
「つまり、バスターってことですか?」
「うーん・・・まあそんなもんか。何のことかわからんままやるのも不安やろから、一応説明しとくな」

そう言うと監督はより南条に近づき、作戦の意図を小さい声で話し始めた。


「もしやってて打撃を崩しそうになったら、すぐにこの作戦は捨ててもええからな」
「はい」
そして南条は、一度監督の指示を噛み締めてから歩き始めた。
この作戦は監督が7イニングを通して試合を観察した末にひねり出された指針。実行して、決して損はないだろう。


「監督、例のやつを言ったんですか?」
藤谷さんが、再びベンチに腰を下ろしていた監督にそう尋ねた。
「ああ。そろそろ糸口をつかまんとこの試合、ほんまにこのまま持ってかれよるからな」
「そうですね・・・南条にできますかね?」
自分も一枚かんでいた作戦とはいえ、藤谷さんは少し不安な表情を見せていた。
しかし監督が発した言葉は、その不安とは全く逆のものだった。

「今のところはな、この作戦は南条にしかできんと思う。この試合、今のところあいつが一番タイミングを合わせとる」
「なるほど・・・」
「それに、あいつはなかなか底知れんモノを持っとるからな。バッティングに関しても、ピッチングに関しても。もっとも自分では、全く気づいてないみたいやけど」
監督は、ネクストバッターズサークルで素振りを始めた南条を見つめながらそう言った。

「秘められた素質、ですか」
「かなり、ええリストを持っとるからな。あいつは。その力を引き出してやるのがワシの役目なんやけど・・・・・・でも多分それは、いくら周りががんばっても今の状態では出てこんやろ。

あいつにはどこか、自分で自分の力に見切りをつけとるようなところがあるからな・・・」

角田監督はここで少しため息をついた。

「自分自身で壁を越えろ、ってことですかね」
「そやな・・・まあええ。とりあえず今は見守っておこう」
監督は言葉を止め、グラウンドに全神経を向けた。



「六番 サード 南条君」

スピーカーを介して球状に広がるそのコールに合わせて、スタンドから歓声が巻き上がる。
緊迫したこの試合もいよいよ終盤。どちらのチームの応援者も、ただ自分の高校の勝利だけを願って精一杯のエールをグラウンドに向けている。

どんな場面でもあまり動じない、との評を周りから得ている南条も、さすがにこの場面では少し震えた。だがその震えは、決して緊張だけから来ているものではなかった。南条は、左打席の土を何度も踏みしめた。

マウンド上の草分が長い右腕をしなやかにひねりながら後ろへ引く。そして地を這う腕は限界まで打者に近づいて、やっとボールは離される。

「ピシューーー・・・・・・・・クッ」
「ボール!」

一球目はシンカー。運良くストライクゾーンから外れてくれた。それにしてもすごいキレ、そして落差だ。打者からの視点では、このボールは何者かの力によって地面に引き寄せられているようにしか見えない。
これを狙いにいってもヒットにすることはおろか、当てるのも難しいだろう。
シンカーは完全に捨てる。南条は方針を確認し、第二球目を待った。

「ピシューーー・・・・・・・・・・・クッ」
・・・っと・・・・・・
「・・・ストライッ!」

完全にタイミングをはずされた。南条は少し前にのめったまま、バットを動かすことができなかった。
二球目は南条のほうに向かって変化してきた。おそらくカーブだ。
この球が、先ほどの回から少しずつ見られるようになって来た。ただ、変化はシンカーほど大きくないだけに、左打者の南条にとってはまだ脅威は薄いといえる。

次は1−1からの第三球目。南条はここで勝負をかけることを決めた。そして、監督の指示の詳細を思い出していった。

草分が腕を後ろに持っていく。
『ええか、ヤツの球の威力はあのフォームが崩れると確実に落ちる。コースも甘くなる。』

左足が大きく踏み出され、その後腕が前に振られる。
『そやからここぞという場面で崩すんや。バントの構えを取る。するとヤツは打球を処理するために前に出てくる・・・そこで、微妙に保たれてたバランスが崩れる』

ここで南条はバントの構えを取った。白球は長い右指によって回転を与えられた後に放される。
『そうすると格段に打ちやすい球がやってくる。後はその球を思いっきり・・・』

「ピシューーー・・・・・・・」

・・・構えを解いて振りぬく!!

「カキンッ!!」

監督の指示は見事に的中した。絶妙のバランスを崩された草分が投げたストレートは、うまく伸び上がらず威力が落ち、下半身の「抑え」が利かなかったため中途半端に浮いてしまった。

南条が放った打球は草分の長身を超え、芝生を少し削った。
あいにくセンターの真正面に落ちたため、南条は一塁でストップ。

「よっしゃぁ!!ええぞ、南条!!」
内容上、これが草分から放った初の「ヒット」。監督を始め、ベンチの選手たちは南条にありったけの力を込めて賞賛を送った。そして、選手たちを徐々に覆っていた雲が、少し晴れ間を見せた。

ノーアウトランナー1塁。ただ一人のランナーではあるが、このイニング、そしてこの相手を考えると、それは限りなく大きな意味を持つものだった。


「草分、おまえはバント処理しなくていいぞ。体のバランスが崩れる」
橿原はマウンドに駆け寄るなり、草分にこう指示した。長州学院のブレーンは、早くも「作戦」の意図を見抜いているようだった。
「・・・え?そんなことして大丈夫なのか?」
「もう8回だからな。たとえセーフティーを決められても、打たれるよりははるかにマシだ。第一、お前の万全の球威ならそう簡単には決められないし」
「それはそうかもしれないけど・・・」

草分はまだ納得いかないようだった。打者がバントの構えを取ったとき、投手がボールを取りに向かうのはセオリー中のセオリーだ。そんな草分の様子を見て、橿原は一言付け加えた。
「心配するな。もっとバックを信頼しろよ。・・・特に俺の肩をな」
「そうか・・・なるほどな」
草分はうなずいて、ロージンバックを手に取った。


一塁ベース上の南条に、ダイアモンドを超えた側から割れんばかりの歓声が降り注いだ。しかしその時南条の耳には、その声はあまり入っていなかった。

南条は投手の草分の挙動に神経を集中させていた。牽制アウトを絶対に受けないために。
こういう場面での牽制の駆け引きは、試合を決め兼ねないほど重要なものだ。せっかく出塁したランナーが刺され、流れが完全に切られてしまい、そのまま敗北を喫してしまうケースは多い。
案の定、草分は七番の具志堅に投球する前に、一塁へ牽制球を投げてきた。リードをほとんどしていなかった南条は余裕を持ってベースに戻った。

再び投手への注視を続ける。しかし投手ばかりに気を取られていても、これまた危険である。打者の動きに注目し、どういう打球を放つかというところにも気を配っておかなくてはならない。その上、ベンチの指示も時おり確認する必要がある。野球はかなり広い視野が求められるスポーツだ。


草分が具志堅に対しての第一球目を投げる。フォームの関係上、先発の西間に比べればそのモーションは遅い。しかし決して無駄のない動きで、ランナーを容易に動かさない。南条が盗塁を試みるのはあまりにもリスクが高すぎた。
ボールは美しい軌道を描いてミットに収まった。しかし判定はボール。非常に微妙なところではあったが。

草分が再び牽制球を送ってくる。長州学院はリードしているとはいえ一点差。南条は同点のランナーだ。警戒するのも無理はない。
そして気を取り直して第二球目を投げ・・・るかと思いきや、またまた牽制。相変わらず南条はリードを小さめにしていたので、アウトの危険性はなかったが。
草分は少し長めに静止した後、今度は本当に第二球目を投げる体制に入った。しなやかな腕が大きく後ろへ移動する。

・・・とここで具志堅が左手でバットの芯を持ち、横に寝かせた。再び作戦発動か!

しかし草分はそれを見てもまったく動かなかった。普段と同じようなフォロースルーの体制。

左打席の具志堅の元に、抜群の伸びを持ったストレートが襲い掛かる。具志堅はあわててバットを出すが・・・まったく間に合わない。鈍い音とともに小さくあがった打球は、難なく橿原のミットに収まった。


その時、橿原が小フライを捕ったそのままの体制から一塁に送球した。ランナー南条は具志堅のバスターを見て、少し飛び出していたのだ。
南条はあわてて頭から滑り込んだ。橿原の送球を受けた一塁手のグラブは、直線的な動きで南条の体へ向かった。
「ザァッッ」
「・・・セーフ!」
一塁塁審が両手を大きく広げた。かろうじて、南条は帰塁に成功した。

今まで塁に出ていなかったため、盗塁する機会もなくあまり気づかなかったが・・・相手のキャッチャー、相当いい肩をしている。マウンドだけでなく、ホームからの牽制にも気をつけないと・・・南条は前面についた土を払いつつ、警戒心を強めた。

 

 

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