二分の一
藤谷さんはネクストバッターズサークルでひたすらバットを振っていた。打席に入る前に、ここまで素振りをした経験は今までにない。いつもは、投手の一挙手一投足を凝視して分析した後、カウントごとの狙い球を決定して右打席へ向かう。
この打席もそうするつもりだった。しかしベンチを出るときに、藤谷さんは角田監督にこう言われたのだ。
「藤谷、ここまできたら頭やない。気合や。心や」
「・・・はい?」
「ここで決めたる。それだけを思って打席に向かえ。余計なことは考えるな。ええか?」
「はい」
最初は反論しようかとも考えたが、監督のごく真剣な目を見て、素直に従うことにした。
ベンチ辺りで監督が動いて、審判に何かを告げている。交代だろうか。
すると二塁ランナーの刈田がグラウンドの外へと走り始めた。代走だ。
ベンチから飛び出したのは背番号10、二年生の林部さん。2004年秋の大会では7番レフトでレギュラーを張っていた選手。足にはチーム内でも定評がある。
「二番 キャッチャー 藤谷君」
手のひらからにじみ出た汗が、藤谷さんの手首にはめられたチタンバンドにしみこんでいく。
先ほどの素振りから出た汗とはまた別種の汗も、そこには混じっていた。
限りなく広い球場にあふれかえる人の山。自分に向けられる視線、歓声、そして期待。
早めに、できれば初球で決めてしまおうと藤谷さんは決心した。勝負を長引かせれば、ここから見える全てのものに押し潰されてしまいそうだ。
バットを短く持って構える藤谷さんに、草分が第一球目を投じる。
「ピシューーー・・・・・・・・・バンッ!」
「ボール!」
球は大きく一塁側、藤谷さんから見て外側に外れた。
藤谷さんのようにバットを短く持てば持つほど、バントの構えは早く取れるようになる。実際、藤谷さんは送りバントをかなり得意としていた。それだけに、藤谷さんに対してスクイズ警戒の投球をするのも無理はない。
草分は第二球目を投げる前に、一度後ろに振り返って牽制した。
二塁手が的確にベースに入り送球を受ける。セーフにはなったが、そう余裕のあるタイミングではなかった。良い連携だ。走者はみすみす動けない。
ボールが投手に帰ってくる。サインを確認し、セットポジション。
藤谷さんはここで勝負をかけることにした。どんな球が来るかはわからない。だが「ここまできたら気合」だ。何でも打つしかない。
長い長い腕がバックスクリーンのほうに伸びる。体が低く沈み、第二球目が放たれる。
「ピシューーー・・・・・・・・・・・」
緩い球だ!藤谷さんはスイングを我慢し、腰で勢いをためた。藤谷さんが最も得意とする打撃技術、流し打ち。
「クッ」
球は外へ沈んでいく。カーブだ。しかし藤谷さんはその球をひきつけていく・・・・・・スイング!
「カンッ!」
ボールはバットの下に当たった。決して強烈な当たりではない。
だが的確なタイミングで捉えられた白球は、一二塁間を割るコースに向かって跳ねていく。
二塁ランナーはミートした時点ですでに走塁を開始している。セカンドは打球に追いつくことだけを目標に走っている。
一塁へ向かう間、藤谷さんは何度「抜けてくれ!」と繰り返したかわからない。
そしてその願いはかなった。
少し前進していたライトが捕球し、ホームへ鋭い返球。
キャッチャーのミットが球を収める前に、ランナーの足が五角形のベースに触れた。
当然、キャッチャーがタッチをしにいっても無駄だった。主審が高らかに宣告する。
「セーフ!」
八回の裏。川端西高校は長州学院を逆転。
後にこの場面は、第77回選抜高校野球大会のベストシーンのひとつとして記憶されることになる。
・・・
・・・
・・・
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・・・
「八番 センター 山本君」
これがこの試合、最後のコールとなるのだろうか。
九回の裏、2アウト。マウンド上の土方さんにまだ歓喜の色は見えなかった。最後まで、絶対に気は抜けない。この回の前に監督から何度も念を押されたし、土方さん自身も十分に承知していた。
八回に一個。九回に一個、土方さんは四球を出した。だが、全く気にならなかった。ただ藤谷さんのミットをめがけて最高の球を打ち抜き続けた。
もはや四番打者草分も、影の曲者橿原も、俊足左腕の西間も怖くなかった。土方さんの、バタ西ナインの、そしてそれを支える全ての人たちの思いがこもった白球は、長州学院の打者を次々となぎ倒していった。
そして第一球目。土方さんはゆったりと右足を上げ、投げ込む。
「シャァァーー・・・・・・」
球が放たれた後、左足が跳ね上がる。最終回を迎えても、土方さんの躍動は失われていなかった。
「キンッ!」
バッター山本が初球攻撃に出た。
しかし威力に押された打球は力なく前に転がっていった。
真正面から向かってきた球を、土方さんはゆっくりと処理。
確実に、一塁へ球を送る。
打った山本は頭からベースへ滑り込んだ。
「アウトッ!!」
一塁塁審の宣告と同時に、試合開始時にも鳴り響いたサイレンがうなりを上げる。
ゲームセット。
どちらのチームも、全ての場面で死力を尽くした。
それでも結果は一つだけ。二分の一の者だけが栄冠をつかむ。
見方によってはこの上なく残酷だ。それが、勝負という舞台。
グラウンドにいた者も、ベンチにいた者も、皆走ってホームプレートに向かう。
そしてホームベースを挟んで、両チームが列を成す。
「ありがとうございました!!」
喜びをしっかりと手に収めるために。悔いを少しでも吹き飛ばすために。それぞれが違う思いを込めた一つの言葉が、36人の球児たちから同時に発せられた。
第一日目 第二試合 川端西高校 3−2 長州学院高校
今大会二校目の勝者が、ここに生まれた。
〜試合詳細〜
川端西 | 守備 | 打数 | 安打 | 打点 | 三振 |
島田 | 中 | 4 | 1 | 2 | 2 |
藤谷 | 捕 | 4 | 1 | 1 | 2 |
土方 | 投 | 4 | 1 | 0 | 2 |
角屋 | 右 | 4 | 0 | 0 | 3 |
中津川 | 左二 | 4 | 0 | 0 | 3 |
南条 | 三 | 4 | 1 | 0 | 1 |
具志堅 | 一 | 3 | 0 | 0 | 2 |
刈田 | 二 | 3 | 1 | 0 | 1 |
新月 | 遊 | 3 | 1 | 0 | 2 |
林部 | 左 | 0 | 0 | 0 | 0 |
計 | 33 | 6 | 3 | 18 |
川端西 | 回数 | 人数 | 被安 | 奪三 | 四死 |
土方 | 9 | 34 | 4 | 9 | 5 |
長州学院 | 守備 | 打数 | 安打 | 打点 | 三振 |
長野 | 三 | 4 |
1 |
0 |
0 |
橋本 | 左 | 2 |
0 |
0 |
1 |
御所 | 遊 | 3 | 0 | 0 | 2 |
草分 | 一投 | 4 | 2 | 2 | 1 |
橿原 | 捕 | 2 | 0 | 0 | 0 |
西間 | 投中 | 4 | 1 | 0 | 0 |
榛原 | 右 | 4 | 0 | 0 | 2 |
山本 | 中 | 4 | 0 | 0 | 1 |
高田 | 二 | 3 | 0 | 0 | 2 |
計 | 34 | 4 | 2 | 9 |
長州学院 | 回数 | 人数 | 被安 | 奪三 | 四死 |
西間 | 5 | 16 | 1 | 11 | 0 |
草分 | 4 | 17 | 5 | 7 | 0 |
計 | 9 | 33 | 6 | 18 | 0 |
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