初登板、再会U、諸刃の剣

 

__________________ 3月23日__________________


一人の少女がテレビの大画面に向かって座っていた。
そのテレビの大きさは、小柄な人間が両手を広げたぐらい、いや、もう少し大きいだろうか。「50型プラズマテレビ」と言ういかめしい名のつけられた機械。

「あれ、さっちゃん。今日は甲子園見てるの?」
少女の母は少し驚いてそう言ったが、少女は答えない。ただひたすら画面に視線を集中させている。
「さっきからこの調子なんだ。まったくどうしたんだろうな・・・あれだけ『興味ない』って言い続けてたのに」
これまた大きなソファに座って画面を見ていた少女の父が、代わりに答える。
「試合内容としては、一回戦の方がずっと面白いんだがな」
「そうなの?どう、バタ西の調子は?」
「ああ、楽勝だよ。どの選手もかなりいい動きをしている。角田監督の力は評価していたが・・・まさかここまでやってくれるとはな」

両親がそう話している間にも、少女は画面からまったく目をそらさない。
その視線の先には、マウンドに上がって、この試合最後になるであろう打者と対峙している、背番号5を背負った男がいた。


南条はグラウンドの中央で一度天を仰ぎ見た。
九回の表、塁上にランナーはいない。アウトカウントはすでに二つ奪っている。
途中の回からマウンドに上がった南条に、まだまだ疲れはなかった。
キャッチャー藤谷さんのサインを確認する。外角低めのカーブ。

南条は振りかぶって、第一球目を投げた。
「シューーーーー・・・・・・・・・・・」
「コンッ!」
打者は低めボール気味の球を引っ掛けた。
打球は力なく地を進み、三塁に入っている山江さんが難なく真正面で捕らえ、そして一塁に送球。

「アウトッ!」

試合終了。
第六日目、第二試合。川端西高校は鍵部高校を9−1で破り、準々決勝進出を決めた。


簡単に試合内容を振り返っておこう。

バタ西は一回の裏、土方さんの二塁打を機に連打し、2点を先制。
その後も効果的にタイムリーを重ね、具志堅のホームランなどもあって合計9点を鍵部高校からもぎ取った。

一方の相手打線は、一回から三回まで先発土方さんの前に完全沈黙。
四回。角田監督は南条をマウンドに登らせた。その時点でバタ西は五点リード。余裕を持った起用といえる。
だがその回、南条は先頭打者に四球を与え、その次の打者にバントを決められる。
そして、鍵部高校主将、選手宣誓の大役も務めた稲口にライト前タイムリーを浴びせられ、失点した。

しかしそこから南条は踏ん張った。持ち味である丁寧でバランスのいい投球を取り戻し、後続を無難に切っていく。
そして回を追うごとに調子は上がり、球速は最高で時速138キロを記録。
実は南条にとっても、これが高校野球の公式戦初登板。与えられた仕事をきっちりと果たし、川端西高校に二勝目をもたらした。


その日の第三試合目。大阪の樟葉丘高校が二回戦を突破した。
藤谷さんが予想したとおり、次はこの高校と戦いを繰り広げることになる。



__________________ 3月25日__________________


大会八日目。西東京代表昭成高校が準々決勝に進出した。
その試合をスタンドから見ていた南条は、球場をあとにして宿舎へ帰ろうとしていた。

今日だけ、部員には自由な行動が許されている。
新月はこの機会を利用して、大阪の衛星都市にある実家へと帰っていった。久しぶりの帰省ということで、かなり浮かれている様子だった。同じく大阪から来た具志堅は・・・なぜか地元へ向かおうとはしなかった。別に今行く必要はない、と言っていた。まあそれはそうだけど・・・
島田さんや角屋さんは大阪の中心、梅田へ出ていった。にぎやかな町を満喫しているのだろう。
土方さんは残って黙々と練習。

そして南条や刈田や藤谷さんを始め数人の部員は、甲子園に行った。
二回戦の二つの試合を見終えて、特に変わったこともなく変える予定だったのだが・・・南条は途中で、他の部員からはぐれてしまった。といっても、こういう場合は各自で宿舎に帰ることが決まっていたし、道のりは覚えているのでまったく問題はない。

甲子園の雑踏から一歩出ようとする所まで来たとき、南条の視界に見覚えのある人物が飛び込んできた。
背は普通より少し高いぐらいでがっしりしている男と、結構背が高く見た目は細い男。
間違えて呼んでしまうと気まずいので、すぐに声をかけるわけには行かない。よく見て確認して・・・・・・やはりそうだ。

「おーい!津野!枚岡!」

南条は手を振りながら、その二人の名前を呼んだ。
「南条?南条か!いやー、懐かしいな」
がっしりしている方の男、津野が、満面の笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。
「・・・ついに来たか」
「ついに?」
少し細い方の男、枚岡が発した言葉に南条は少し首をかしげた。

この二人の名前を覚えているだろうか。共に、南条が中学時代所属していたチーム、西関東フライヤーズのメンバーだった二人。津野はそのチームの正捕手で、枚岡はエース。そして今は、野球推薦でスカウトされた神奈川の相模信和高校で野球をしている。
「ああ、前に津野と話していた。いつか南条と会うことになるだろう、ってな」
「そうそう。お前すごいじゃん。長州学院を破って、昨日も勝って準々決勝だろ」
「うん。甲子園に出られるだけでもびっくりしてたのに、ここまで勝ち進めるとは・・・」
「しかも、昨日はマウンドに上がってたよな。いつからピッチャーに戻ったんだ?」
「なんだ、投手は完全にあきらめたんじゃなかったのか?」

枚岡が、特に感慨も込めずにそう言った。津野はあわてて、「そういうつもりで言ったんじゃないんだ」と弁解した。
「投手に復帰したのは去年の秋。まあ、そのあとすぐに土方さんが入ってきたから、エースにはなれなかったけど」
「ああ、その土方さんって人、すごいよな。ストレートが微妙に変化してるだろ。アメリカ人のピッチャーみたいだったな」
そう話す津野の目は輝いていた。この男は、いい投手を見るのが何よりも好きなのだ。
「フォークもかなり落ちてたし・・・なあ、枚岡」

「誰だ?その土方ってヤツは?」
枚岡の口から意外な言葉が飛び出た。
どうやら本当に知らないらしく、先ほども津野の話を聞いているのか聞いていないのかわからないような様子だった。
「誰って・・・ほら、南条のチームのでかい投手だよ」
「知らんな。俺は、俺より強そうなピッチャーにしか興味はない」
「・・・相変わらずだな。枚岡は」
南条は少し苦笑いしていた。中学時代から、枚岡はこういうヤツだ。

津野も複雑な表情を見せながら、
「そうか。だから大河内のことは、気持ち悪いぐらいに知ってたんだな」
「大河内か。あの投手、すごいよね。枚岡も認めてるんだ」
南条は、先日テレビで見た大河内の速球を頭に思い浮かべていた。
「・・・・・・認めてるも何も、中学のときに一度やられてるからな。一生忘れねぇよ」
突然、いつも通りにつまらなそうな表情を貫いていた枚岡の眉が、少し曇った。津野も横でうなずいていた。
しかし、南条にはその意味が理解できなかった。
「中学のとき・・・?俺たち、中学時代に大河内と対戦したことあったっけ?」
「ああ、そうか。あの東北遠征のとき、お前は体調崩して行けなかったんだったな」
「東北・・・?」

南条はさらにわからなくなった。大河内のいる七条高校は京都にある。いったい東北とどういう関係が・・・?
すると津野はその疑問を見抜いたかのように、
「大河内臥龍は、もともと東北の投手だ。七条には推薦で行ったんだろう。それよりも、その遠征の話が聞きたいんじゃないのか?」

南条がうなずいたのを見て、津野は語り始めた。


それぞれのポジションで、同年代の中ではトップクラスの実力を持つ選手たちが、適材適所、絶妙のバランスで西関東フライヤーズと言うチームを構成していた。まさに奇跡、と言われたチームだった。
中学シニアの大会を総なめにし、同年代では向かうところ敵なし。
そんなフライヤーズが東北に遠征、つまり練習試合を行いに東北地方を回っていたときのことだった。

当然、遠征先でも連戦連勝。最終試合も快勝し、意気揚々と地元へ凱旋する、はずだった。
屈辱の東北遠征最終試合、その相手のチームでは、大河内臥龍という無名の投手がエースを務めていた。
試合が始まる前、フライヤーズのエース枚岡は、とある場所で大河内と顔を合わせることになった。
枚岡はすれ違いざま、「この辺りのやつらは雑魚ばかりだな。せいぜい最後ぐらい楽しませてくれよ」と挑発の言葉を投げかけた。

このとき以前にも、枚岡は東北のチームの各投手に、さまざまな形でこういった言葉をぶつけていた。
そして侮辱された相手は今まで、同じように枚岡に食ってかかるか、またはうつむいたままその場を去っていった。前者は枚岡の力をよく知らない者、後者は・・・枚岡のピッチングを十分に知っているものだった。

だが、大河内は違った。
枚岡の挑発に、反発するでもなく打ちのめされるのでもなく、ただ帽子を少し下げて、口元に笑みを浮かべながらそのまま歩いていった。
この時点での枚岡は、新しいパターンが出たな、と単純にこの反応を受け取った。


そして試合は始まった。

打てない。

それは両者共にではあるが・・・・・・相手がこうなることはよくあるにしても、フライヤーズ打線が沈黙するのは、この遠征中初めてのことだった。
とにかく球が速い。そして制球力がいい。それだけでも十分に恐怖の材料ではある。
だが一番フライヤーズの各打者を苦しめたのは、アマチュアリズムに反する執拗な内角攻めだった。
打者がのけぞるほど内角に投げ込む。怒った打者がにらみつけても、大河内はまったく動じない。
そして本当に打者に当ててしまうことが、その試合中3度もあった。すると大河内は、礼儀として帽子を取って頭を下げながら・・・あの笑みを表した。特に枚岡はこの習性に、久方ぶりの恐怖を覚えた。

こんな投手と対戦するのは初めてだった。高村、間宮の二人が成す自慢の核弾頭コンビは力で押され、片桐、穴井、津野という中学球界でこの上なく恐れられたクリーンアップも打撃を崩され、まったく太刀打ちできなかった。
対する枚岡も、いつも通り完璧なピッチングを展開していた。

だが九回の裏、枚岡は決勝のソロホームランを浴びた。
その一打を放ったのは、ほかならぬ大河内であった。


「・・・・・・要するに俺らは、大河内ひとりにやられた、ってわけだ。あのあと帰ってきて、みんなヘコんでただろ?」
「えっ、えーと・・・・・・確かにそうだったな。そういえば」
南条は一応そう言っておいたが・・・本当のところはよく思い出せない。
たぶんあの時は、いつも通りにフライヤーズの全勝を確信していて、特に結果を気にすることもなかったのだろう。

「南条、話は変わるけどさ。あさっては樟葉丘と当たるんだろ」
「うん」
続きを聞かなくても、津野が言おうとしている事はわかった。
「片桐と穴井と、それに楠木がいるんだよな。あそこには・・・元フライヤーズのメンバーのいる高校は、全部甲子園に出てるんだよな」
「すごいよね。俺の高校なんかは特に、ここに来れるなんて思ってなかったし。ちょっとした奇跡だよな」
「いや。ある意味樟葉丘のほうが奇跡的だと思う」
「そう?あそこは私立だろ。推薦で集めてるんだし・・・」
「よく考えてみろ。大阪だぜ。樟葉丘は。しかも私立つっても、二年前にできたばっかりだろ」
「え、そうなのか?」
その事実は、南条がはじめて耳にすることだった。

「よくそんな短期間で、あの激戦区を勝ち抜けたよな・・・いや、新島を抜けるのは楽だ、って言ってるわけじゃないけどな。川端西も、事実上野球部は活動三年目だろ?」
「そうそう。ほんとによく知ってるよな・・・」
「俺の情報網をなめるなよ。ましてやお前がいるチームだ。できる限りで調べつくしてるさ」
津野はちょっと誇らしげに笑った。底抜けに明るい、見るものを安心させる笑顔だった。

この爽やかな人柄と、相手のことを緻密に調べる周到さ。申し分ない野球の能力。
津野はかつてフライヤーズのメンバーから全面の信頼を集め、キャプテンとしてチームを引っ張っていた。
プライドが高く、普通の野球漫画だったら確実に「憎き敵役」にされそうな枚岡でさえ・・・津野はチームにまとめこむ、素質と力を持っていた。今所属している相模信和でも、おそらくそうやって枚岡をリードしているのだろう。

「ま、とにかくお前も一度は戦いぶりを見たことがあるだろうけど・・・樟葉丘には十分気をつけろよ」
「改めて言わなくても、甲子園なんだかから毎試合気合は入ってるよ」
「それはそうだが、本当にあそこは爆発力があるからな。特に打線の連打が・・・」
ここで津野は、はっとしていったん言葉をとめた。
「・・・って、あんまり南条の味方ばっかりしちゃ、楠木たちに怒られるな。悪い悪い」
津野は再び笑った。
なんだか楽しくなってきて、南条も一緒に笑った。

「津野、そろそろ帰った方がいいんじゃないのか?俺いま、時計持ってないけど」
笑い声を上げる二人のそばで枚岡が事務的に切り出した。あわてて津野は左手を上げ、時間を確認する。
「本当だ。悪い、もう時間みたいだ。まだ話したいことはあるけど・・・まあまた甲子園が終わったら、電話くれよ」
「うん。わかった。じゃあな」
「ああ」
津野が軽く手を上げ、そして相模信和の二人は南条の目的地とは逆方向へ去っていった。

俺も、そろそろ帰るか。



翌日、相模信和高校もまた、準々決勝への進出を決めた。バッテリーは、まさに前日南条と再会していた二人であった。

枚岡のピッチングは、格段の進化を見せていた。
伸び上がるストレートは中学時代よりもさらに威力を増していた。
何よりも大きな進化は、130キロ台の球速を持ち、鋭く切れるスライダーにあった。

この試合の様子もテレビにかじりついて見ていた部員たちは、大河内を見た時に勝るとも劣らない衝撃を受けた。
背番号1をつけた一年生左腕が、曲がりなりにも一回戦を突破したチームの打者たちをやすやすと斬り倒していく。
特に左打者は、高速で逃げていくスライダーに、まったくついていけていない様子だった。
「何であんな球が投げられるんだ・・・?」と、ある部員が思わず驚きを口にした。

すると、角田監督はこう答えた。
「あの投手は、たぶんひじの関節が極端に柔らかいんとちゃうか。だから腕がムチみたいによくしなって球は伸びるし、スライダーが面白いように切れる・・・・・・そやろ、南条?」
角田監督は、これまた画面に視線を釘付けにしていた南条のほうを振り返った。
投手転向の騒ぎの時に、南条が枚岡と同じチームに所属していたことは、すでに周知の事実となっている。
「そうですね。確かあいつに『なんでそんなストレートが投げられるんだ』って質問した時に、そう言っていたと思います。でもあのスライダーは・・・はじめて見ました」
そう答えながらも、南条の注意は画面内の枚岡からまだ逸らされていなかった。

「昔、東京ラインズに、井藤ってピッチャーがいましたよね」
突然藤谷さんが口を開いた。
「あの投手も確かひじの関節がかなり柔らかかったんです。その右腕から放たれる高速スライダーは、今まで誰も見たことがないほどのキレをしていたそうです。「直角に曲がるスライダー」と言う異名がついていたぐらいですからね。ただあの投手は・・・圧倒的な成績で新人賞をとったあとはケガの繰り返しで、結局通算成績はあまり伸びずに球界を去っていきました」

「そこやな。ポイントは。柔らかい関節は、いわゆる諸刃の剣ってやつで・・・・・・この枚岡って投手も、きちんと足腰作って投げんと、とり返しのつかんことになるやろな・・・・・・」
そう言ったあと角田監督は、本人も気づいていない様子で自分の右腕の辺りに手を伸ばしていた。

事実、枚岡は相手打線をノーヒットに抑えていたにもかかわらず、5回でマウンドを降りた。
故障した様子はない。
体力の温存だろうか・・・いや、おそらく相模信和の監督も、諸刃の剣の負の面にはすでに気づいているのだろう。

こうして八強が出揃った。
明日の樟葉丘高校対川端西高校の対戦を皮切りに、いよいよ甲子園の戦いは佳境を迎えていく。

 

 

 

 

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