単純な原因

 

試合の中盤、六回の表が終わろうとしていた。

「キンッ!」

樟葉丘高校の三番打者が、土方さんの直球を見事に捕らえた。
球足の速い打球が地を走る。だが・・・運よくと言おうか運悪くと言おうか、その道筋の先にはショートの新月ががっしりと構えていた。
守備の基本は、打球に対して向かっていくこと。そのときの新月もそれを実行し、一歩前に足を踏み出した。

しかし、少し力みすぎたか。
「あっ!」
新月はボールをグラブの根元で止めてしまい、打球は弾かれた。
幸い、その方向は新月の前。
あわてて新月は、ボールを再び取りにいく。時間がないのでグラブをはめていない右手で。
ランナーはその間も一塁線沿いを走り抜けている。
新月はコースがそれないことを願いつつ、最大限の力でファーストに送球した。
目の覚めるような白い一筋が、ダイヤモンドの上空を貫く。

「バシイッ!」
「・・・アウト!」

少しきわどいタイミングではあったが、肉眼で確認できる程度。
この回も、土方さんは無失点のピッチングを展開し、スコアは依然2−0。バタ西がリードを保っている。


藤谷さんは、改めて新月の強肩に感心しながら、「新月君!ナイスです!」とキャッチャーボックスを去る際に叫んだ。
しかし、ただ味方のナイスプレーをほめているだけではすまない状況になって来た。
土方さんのボールが、相手打線に捉えられ始めてきたのだ。

六回の表は三者凡退。しかし奪三振はなく、先ほどのショートゴロも含め、決して打者を完全に打ち取れたとはいえない。
五回の表には、五番の片桐、六番の穴井に二連打を浴び、ノーアウト1,2塁のピンチを背負ってしまった。
何とかその苦境は切り抜けたものの、回を追うごとに球威が徐々に落ちてきているのは、捕手の藤谷さんが一番感じている。球速表示も、六回の表はすべて120後半から130キロ台前半にとどまっていた。
一回戦の中盤と同様に、制球を重視しすぎているのか、または思い切り投げ込むことを忘れているのか。・・・・・・どちらも考えづらい。一回戦の時すでに、そういった状態に陥ってしまう恐ろしさを、土方さんは十分心得ているはずだからだ。
だが、あるいは無意識のうちに、力を抑えながら投げてしまっているのかもしれない。
藤谷さんは土方さんに一度助言してみることを決め、ベンチへ帰っていった。



角田監督も、土方さんの投球の異常には気がついていたようだ。
だが、その観点は藤谷さんのそれとは違っていた。
「土方。お前ちょっと、疲れてへんか?」
「いえ、大丈夫です」

土方さんは即座にかぶりを振った。横で聞いていた藤谷さんも、それは違うと思った。土方さんのランニング量、投げ込み量、そしてそこから生まれる抜群のスタミナはこれまでの戦いで実証されている。
しかし土方さんの自信に満ち溢れた反応にも、角田監督は、「そうか・・・疲れたら、早よ言わなあかんぞ」と、納得しきっていない表情で低く答えるだけだった。

その間にも、グラウンドでは六番打者の具志堅が、相手投手の間野と対戦を繰り広げている。
具志堅は手ごたえを感じていた。今日の俺は、球がよく見えている。
実際に第一打席は冷静にフォアボールを選ぶことができた。
第二打席はタイミングをはずされ打ち取られたが、かなりしっかりと捉えたファールもあった。
第二打席でやられた球は縦のカーブ。この球は確かに鋭い。待っていなければなかなか打てるものではない。

ならば、待つだけだ。


間野が、具志堅に投げた四球目。
ゆるい投球が、初めは高目へ抜けて向かってくる。
そして示し合わせたように、球は途中から、少し逃げつつ縦に落ちてきた。おそらく制球ミスだろう。ほぼど真ん中に近いコース。
具志堅は、鍛え上げられた肉体をフルに生かしてバットを振りぬいた。


「カキーンッ!」


硬い糸の塊と金属の棒がかち合い、気持ちのいい打球音が響き渡った。
弾き返された白球はライト方向にどんどん飛距離を伸ばしていく。
しかし完璧にスタンドへ入りそうな軌道ではない。右翼手は諦めず、打球を追いかけ続ける。


少し深刻なやり取りをしていて、それぞれ考え込んでいた監督、土方さん、藤谷さんも、いつの間にか打球の行方だけを見つめている。


浜風が容赦なく白球の飛行に抗い続ける。負けじと白球も伸び続ける。

そしてそのまま白球は、ライト側ポールの少し左側にストン、と飛び込んだ。


一塁側内野スタンドを中心に、場内は歓声に沸き立った。
その音量は、具志堅が三点目のホームベースを踏んだと同時に、さらに大きくなった。
惜しみなく祝福を送るベンチのメンバーの中でも、特に島田さんは、「この野郎!俺のホームラン数を抜きやがって!」と、ひときわ具志堅のヘルメットを強く叩いていた。しかしその顔には、満面の笑みが浮かんでいた。



具志堅の今大会二本目の本塁打をきっかけに、このまま攻勢をかけるかと思われた川端西高校だったが・・・・・・そこから後はさすがエースの投球。間野がしっかりと踏ん張って得点を許さなかった。
一応、新月が四球を選んで出塁し、その後二試合連続となる、今大会二個目の盗塁も決めたのだが・・・打席の島田さんが打線をつなげず3アウト。具志堅のホームランに影響されたのか、残念ながらその振りはさらに大味になっていた。


球場内の、そして球場外で試合を見守るもののほとんどが、この時点でバタ西の勝利を確信していた。すでに、「あの」長州学院に勝った時と同じ三得点を上げている。後は土方さんがいつも通り(といってもまだ全部で12イニングしか投げていないのだが)抑えてくれるだろうと、信じて疑わなかった。

しかしここでもまた南条は、完全に自分たちのチームのペースに思えるこの状況に、違和感を感じていた。
その違和感の主な原因は、相手選手の表情。
皆、リードを奪われて落胆しているような表情をひとかけらも見せないのだ。それどころか、あせっている様子すらない。先ほどホームランを打たれたときも、投手の間野は「ああ、ちょっとミスったか」とでも言うような顔をして、その後を淡々と投げきった。

もうひとつ特徴的なのは、イニングごとに選手たちがベンチ前で円陣を組んでいること。いくら高校野球といっても、これは多すぎる部類に入るだろう。しかもその円陣に、あくまでも傍から見ていてだが、あの特有の悲壮感や必死さがまったく感じられないのだ。
樟葉丘高校の球児は全員、心から楽しそうに試合へ臨んでいる。

南条は、4回の表の守備の前に楠木と交わした会話を思い出していた。



それは、楠木が何気なく「南条、そっちの高校はどうだ、楽しいか?」と言ったことから始まった。
南条はためらいなく、
「うん。楽しいよ。友達は結構おもしろいし、先輩は無茶言わないし、監督は・・・まあたまに大丈夫か?って思うけど、しめるところはきちんとしめてくれるし、それに・・・練習すればその分だけ、ちゃんと結果が返ってくるしね」
最後の言葉が出たとき、言った南条の顔にも、聞いていた楠木の顔にも、一瞬だけ影が走った。
だが会話はそのまま続けられた。
「そっか・・・よかったな。いきなり引越しするって聞いたときは、俺ものすごい驚いたぞ」
「こっちはもっと驚いたよ・・・いきなり転勤とか言って・・・」
「でもあれだ。ちょっと心配してたんだけどな。引越しを機会に、お前が野球やめるんじゃないか、ってな」
「・・・野球やめても、することないしね。なんとなく野球部の見学に行ってたら、いつの間にかここにいた、って感じかな。・・・・・・まあ俺はそんなんだけど、樟葉丘のほうはどうなんだ?」

「こっちか。こっちも楽しいぞ。推薦の話が来て大阪に言って、最初はメチャクチャ緊張してたんだけどな・・・寄宿舎だからきついんじゃないか、とか、先輩にしごかれるんじゃないか、とか、鬼みたいな監督がいるんじゃないか、とか、毎日野球漬けの生活になるんじゃないか、とか・・・でも、来てみたらぜんぜん違ってたな。特に監督が」

そういうと、楠木はベンチの方に目を向けた。自然と南条の視線もそちらに向く。
「常に笑顔が耐えないんだよな、あの人。なんなんだろうな。初めにあの人から聞いた言葉が『私は君たちの支配者じゃありません。だから、責任の持てる範囲で自由に生きてください』だからな。よくわからんよ」
「へぇ・・・それはすごいな・・・」
「ただ、怒るときはものすごい怖いけどな。「人が変わる」って言葉の意味が初めてわかったぞ。・・・まあそんな感じで、うちの部員は割りとのびのびやってるよ。その辺が実は、樟葉丘がここまで来れた理由なのかもな」

楠木がそう言い終えると、まさにイニングが始まろうとしていた。
まだまだ話したいことはあったが、南条は一旦、そこで守備に神経を戻したのだった。



七回の表が始まる。そろそろ樟葉丘も反撃を開始しないと、試合の流れが決まってしまう。
だが先ほども言ったように、樟葉丘の選手たちの顔には、ただ喜びだけが張り付いている。
南条は三塁の守備に向かったが、コーチボックスに楠木の姿はない。どういうことだろうとあたりを見渡してみる。

・・・いた。
三塁ベンチの前で、キャッチャーミットをつけた選手とキャッチボールをしている。そろそろ登板、と言うことだろうか。
ホームベースのほうに目を向ける。次の打者は、四番ピッチャーの間野だ。初めに警戒していたほどの打撃力は、まだこの選手に見られない。だがしかし、引き続き注意すべき打者であることは間違いないだろう。


「プレイ!」

審判が少し腰をかがめつつ、イニングの始まりを宣言する。
土方さんはいつものようにゆったりと足を上げ、初球を投げ込む。
「シューーーーー・・・・・・・ドンッ」
「ストライッ!」
外角に決まった球を、間野は見逃した。

ストライク先行。
だが、キャッチャー藤谷さんの表情は優れない。先ほどの回よりも、さらに球威が落ちている。いや、威力だけでなく、スピードもなくなっている。
6回裏の攻撃中のベンチ内、具志堅のホームランの興奮が冷めやらない中、藤谷さんは「一回戦の途中と同じようになってきています。思いきり投げてください」と、土方さんに忠告しておいた。土方さんも、「・・・わかった」とうなずいた。
それを無視することはまず考えられない。だが忠告がまったく効いていないのは事実だ。

とにかく様子を見るため、二球目のサインを出す。今度も直球。いったん、高めに外す要求。
「シューーーーー・・・・・」
だがその球はベルトの上あたりの、きわめて中途半端なコースに入ってきてしまった。
土方さん特有の「球の揺れ」も起こらず・・・

「キンッ!」

間野のスイングがボールを一閃する。
打球は土方さんの足の右側に抜け、マウンドのふち辺りで着地したあとセンターへ。

ノーアウトでランナーは一塁。この試合始めて、樟葉丘の四番打者が塁に出た。


やはり、おかしい。藤谷さんはあわててタイムを要求し、マウンドに駆け寄る。
「土方君。もっと思い切って投げないと・・・」
「・・・投げてるよ。それだけを考えて投げている」
土方さんは、少しいらだちながら答えた。
「と言うことは、思うように球が走らないんですか?」
「・・・そうかもな」
詳しくはわからんけど、と土方さんは軽く天を仰いだ。
「どうしますか、やはり・・・」
次に藤谷さんから出てくるはずの言葉は、予想できていた。だから土方さんはそれをさえぎって、
「・・・大丈夫だ。気合で乗り切ってみせる」
「・・・・・・わかりました。気合ですね」
土方さんの曇りのないまなざしと声に押され、藤谷さんはあっさりと身を引いた。
・・・いくら頭が切れても、まだまだ彼は捕手として、一流とはいえないのかもしれない。


土方さんが、けん制を一球はさんだ後、五番の片桐に投げた三球目。

「カーンッ!」

片桐がしっかりと振りぬいたバットが外角の直球を捉え、レフト方向へボールは飛んでいく。
球に逆らわず、おっつけて運んでいく打法。

甲子園の外野は広い。
特に左中間、右中間は他の球場よりずっと広い。その左中間に、打球は落ちた。
レフトの中津川さんとセンターの島田さんがボールに向かっていく。
打球の落下地点はレフトよりだったが、俊足の島田さんの方が先に追いついた。
島田さんは中継の遊撃手へ正確の送球を送る。
・・・だがその時点ですでに、一塁ランナーだった間野は三塁を回っていた。
遊撃の新月が送球を受け取ったときには、間野はすでにホームへ滑り込む体制。
間に合わない。
新月は二塁ベースのほうへ体を向けたが、バッターランナーの片桐もすでに二塁へ到達していた。

これで3−1。七回の表にして、樟葉丘高校の初得点が入った。



確かに土方さんは、宣言どおり片桐に対して気合のこもった投球を展開した。投げた後に体が跳ね上がり、眼光もさらに鋭くなっていた。
しかしその躍動が、ボールに反映されない。
球威は戻らず、低めに要求したはずの球は浮き、そして見事に二塁打を浴びせられた。
これはどう考えても異常だ。藤谷さんは監督の方を見た。
動く気配は、ない。

「六番 ライト 穴井君」

そして試合の流れも止まらない。
この体格のいいバッターに対して、初球に何を投げるか・・・藤谷さんは、いつも以上に頭を痛めていた。
正直、どの球も通用する気がしない。
・・・だめだ。キャッチャーがこんなことじゃ・・・一番投手を信頼しなければいけないキャッチャーが、投手を疑う。それはバッテリーの、そして試合の崩壊にもつながりかねない。
それにしてもどうするか・・・藤谷さんは、打者の裏をかくことを考えた。

初球のサインはフォーク。
賭けだった。打ち気にはやった相手がスイングしてくれれば、何とかこの場面をしのげるような気がしていた。だがもし失敗して、見逃されれば、この後どうピッチングを組み立てていいかわからない。
右打席の穴井が、今回も一つ、豪快な素振りを繰り出す。
風を切って、低く、重い音が、藤谷さんの心臓を打った。

土方さんがサインを確認し、いったんグラブを胸の前に止める。
そして少し急いだモーションで、穴井に対して第一球目を投げた。

・・・フォークに限らず、変化球を操るには、指の先から肩の付け根までに一貫した制御力が必要となる。
このときの土方さんに、その制御力はもうなくなっていた。
左腕から放たれたフォークに中途半端な回転がかかり、ストライクゾーンの真ん中へと進んでいく。


バッテリーが「しまった!」と思ったのとほぼ同時に、白球は穴井のバットの餌食となった。


打球はきれいな放物線を描き、レフト方向へ。
何とか、外野フェンスがその飛行を妨げてくれた。
足も速いランナーの片桐にとって、ホームに帰るには十分すぎる当たり。


樟葉丘高校は、二人連続の2ベースヒットで二点目を加えた。


おそらくもう、限界だ。打席に入ろうとしている七番打者を横目に、藤谷さんはそう思わざるを得なかった。
一塁ベンチの監督の姿を探す。
だが、まだ監督は采配をとろうとしない。いったい、なぜ・・・?
こうなればもうしかたがない。藤谷さんは半ばやけになりながら、第一球目のサインを出した。

「・・・バンッ」
一球目。高めの直球。ボール。
「・・・バンッ」
二球目。外角の直球。ボール。
「・・・パシッ」
三球目。ホームの前でワンバウンドしたフォーク。当然、ボール。

四球目のサインを出している最中に、藤谷さんは初めて、土方さんの異常にはっきりと気づいた。
肩が、小さく、しかし確実に上下している。
なんでこんなに単純なことを今まで見逃してしまっていたのだろう。いや、監督はすでにわかっていた。

土方君は、疲れている。たとえ表情が崩れていなかったとしても。

だがサインはもう出してしまった。後は甘いコースに入らないことを願って球を待つだけ・・・!

「・・・バシッ」
藤谷さんの願いはかなった。

ストレートのフォアボール。ノーアウト、1、2塁。


角田監督がついに動いた。
そしてゆっくりと、審判に交代を告げる。
情報はウグイス嬢の元に届き、場内にエコーがかかった声が響く。
「選手の交代をお知らせします。土方君に代わってサードの南条君が入り、ピッチャー、三番に山江君が入り、サード。三番、サード、山江君。五番、ピッチャー、南条君・・・」
川端西高校のエースが、ついにマウンドから、下ろされた。

 

 

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