円陣と実証

 

心の準備ができていなかったわけではない。片桐が二塁打を放った辺りから、
自分の登板も有り得ないことはない、とは思っていた。
それでも南条にしてみれば、突然やってきたマウンドであることに変わりはない。
制限された球数を許された投球練習。しかし何球投げても、なかなか気持ちは落ち着かない。
自分の左側と、後ろの方に走者がいる。これがホームベースに返ってしまうようなことになると、一気に流れを引き寄せられる。

何とかここで食い止めないと。
そう気負えば気負うほど、ボールは自分の思った場所に届いてくれない。
もちろん、中学時代の前半までは投手だった南条にとって、こうしたピンチは初めて経験することではない。でもあのころ、こうした苦境を切り抜けなければならなかったのは、チームのためというより、ほとんど自分のためだった。打たれれば、レギュラーへの道のりがまた遠くなる、という危機感を抱いてのピッチング。
競争で生き残ることに必死だったあの頃。

投球練習が終わった。まだボールを、そして気持ちをコントロールする自信はついていない。

「プレイ!」

だが、試合はそのまま再開される。


ベンチに帰った後、土方さんはうつむいて、しばらく沈黙していた。
「・・・すみません。監督。馬鹿みたいに強気になって投げ続けて、こんな結果になってしまって・・・」
やっと言葉が出たものの、その後は続かない。まだ、顔を上げることはできなかった。
「・・・・・・たぶん、ほんまに疲れてなかったんやろ。さっきの回の時点では」
角田監督も、重々しく口を開いた。
「いや、正確には、疲れを感じてなかった、と言った方がええな。人間、興奮してると、疲れや痛みの感覚が鈍ってくるからなぁ・・・」

そういうと監督は、グラウンドに目を向けた。南条のボールカウントは0−2。
「ワシもな、お前には謝らなあかん」
「・・・え?」
あまりにも意外な言葉に、土方さんは思わず顔を上げ、少し赤くなった目を角田監督の方に向けた。
「自分にはスタミナが足りんかった。だからこうなった、そう思っとるやろ」
「・・・はい」

「正解と言えば正解。でも、100点ではない。一口にスタミナ言うてもな、長く走るための全身のスタミナと、一試合を投げきる肩のスタミナでは微妙に違う。さらにこの二つと・・・限られた期間で何試合も投げるスタミナ、これもまた微妙に違う。回復力、ってやつやな」

グラウンドでは、南条が三つ目のボール球を与えていた。それを横目に見ながら、角田監督は続ける。
「ワシは・・・最後のひとつのことを忘れとった。練習メニューにも、前の二つを鍛えるようなもんしか入れてなかった。だからワシも・・・」
「・・・違います。監督」
土方さんは、角田監督の結論をさえぎった。

「・・・昔は、俺にも連投できる体力がありました。でも一年野球から離れて、気づかないうちにそれが無くなってた・・・結局俺の責任です。結局俺がわがまま言って、勝手に野球やめて、俺の今の力も知らないで・・・」
再び視線を地面に向けて自分を責め続ける土方さんに、監督が何か言おうとしたそのとき、グラウンドからざわめきが伝わってきた。

相手打者が、南条のボールを捉えたのだ。



打球はややセンター寄り。しかしショート新月の守備範囲内だ。
新月は捕球した後のことを考えながら、ボールに向かって走る。
二塁ランナーはバッターがスイングする少し前にスタートを切っている。いわゆるヒットエンドランだ。その上これだけの距離があるので、三塁に投げてもおそらく間に合わない。二塁なら・・・落ち着いてトスすればアウトに出来るかもしれない。

そして新月は手を少し伸ばし、グラブでボールをしっかりとつかんだ。


・・・はずだった。
新月の左手は空を切り、打球は内野グラウンドを飛び出していた。

「うそっ!?」

イレギュラーしたのか、新月が単にグラブさばきをミスしたのか、原因はわからないが、打球が外野に抜けたのは紛れもない事実だ。
センターの島田さんが懸命に打球処理に当たるが、エンドランをかけたランナーはすでにホームへと迫っている。
でも、あきらめるタイミングではない。そう判断した島田さんは、キャッチャーに送球した。
だが島田さんには珍しく、その送球のコースは逸れてしまった。藤谷さんが送球を受けたのは、ちょうど左バッターボックスのあたり。ホームベースに滑り込んでくるランナーにタッチをしにいくが、間に合わない。

同点。
スコアボードには、赤いランプで「E」の文字が浮かび上がった。



「新月!気にするな!」
「打たれた」南条は、ショートの方に体を向けて叫ぶ。もちろん、本心では捕って欲しかったと思っている。だがさっきのエラーに対して、それほど大きくは落胆はしていない。
しっかりと詰まらせて、打ち取った結果なのだから。次はいける、と南条は手ごたえを感じていた。
引き続きノーアウト、1,2塁。藤谷さんがすばやい動きでランナーの進塁を止めてくれたためこういう状況になっているが、決して気の抜ける場面ではない。
もう一点は仕方がない。丁寧に投げていこう。
決意を固めて、南条はマウンドプレートを踏みしめた。


南条の手ごたえは当たっていた。
130キロ台の直球とカーブ、フォークでテンポよく投げ込み、相手に的を絞らせない。藤谷さんのリードも、再び冷静になったのか、あるいは吹っ切れていたのか、とにかく冴えていた。
試合を決め兼ねないピンチを無失点で切り抜け、南条は七回の表のマウンドを後にした。


ベンチに戻ってきた南条に対して、
「ようやった、南条」と監督が開口一番に声をかけた。「今の場面でひっくり返されとったら、完全に主導権を握られる可能性が高かったからな」
監督のその言葉はありがたかった。だが試合途中であり、同点に追いつかれたことを考えると、南条は簡単に喜びを表すわけにもいかなかった。

「よし!全員集合!」
突然、キャプテン角屋さんの声が高らかに響きわたった。
部員たちが素早くベンチ前に、円を書くようにして集まる。

「やっぱり甲子園、やっぱり全国だな。そう簡単には勝たしてくれない。でも、だからこそ楽しい、来た甲斐があった、そうだろ?」
角屋さんの呼びかけに、皆深くうなずく。
「点を取られたら取り返す。野球の基本中の基本だ。しかも、この回はさっきヒットも打ってる藤谷からだからな。ガンガン行こうぜ!」
「「「おう!」」」
「よーし、じゃあ・・・」

角屋さんが「いつもの」を始めようと右腕を円の中心へ差し出しだしたとき、藤谷さんが、
「ちょっと待ってください!」
「・・・ん?どうした?」
「先に、間野をKOする方針を言っておきたいんですけど」
「おお、そうか。確かにその方がやる気も出るな」

「ありがとうございます。では・・・間野の武器はカーブですが、回を追うごとに高めに浮いてきて、コースが甘くなってきています」
「・・・そうか?さっき俺が対戦したときはそうでもなかったぞ?」
六回裏に間野に三振を奪われた中津川さんが、いぶかしげに尋ねた。

「それはおそらく、具志堅君がど真ん中のカーブをスタンドに叩き込んだ直後だったからでしょう。その瞬間だけは注意できていても、次の回までは続かないはずです。カーブ以外の球は、それほど鋭いわけではありませんから、しっかりと見極めて打っていけばいけるはずです。・・・大丈夫ですよ。今から僕が打ってきて、実証して見せます」
藤谷さんは、確信に満ちた表情でそう言った。この人に常に付きまとっていた、ネガティブさはもう、ここにはない。

「よし。藤谷、ありがとう。ますます打てそうになってきたな。それじゃ、いつもの行くか!」
角屋さんが大きく息を吸い込み、音声と共に一気に放出する。

「Let's GO!バタ西!」

「「「「「「「「「おう!!」」」」」」」」」

今日はいつもより多めに、18個のチタンバンドが輪をなし、宙へと花開いた。



藤谷さんが、手前でいったん屈伸をしてから、打席に入る。
これで四打席目。球種の予測はおおかた出来ている。あとは、きちっとミートできるかどうかだけ。藤谷さんは、絶対の自信を持っていつもの構え、バットのグリップを大きく余して構えに入る。
「プレイ!」
間野が振りかぶって、ワインドアップモーションから第一球を投じる。おそらくこれも、ストレート。
「シューーーーーーー・・・・・・・・・・・バンッ」
外角に外れたのか、それとも外したのか、とにかくボール。
次の球も・・・ストレート!
「シューーーーーーー・・・・・・・・」
「チッ!」
やや厳しいコース、低目へ来た直球を、藤谷さんはカットした。打球は鋭くバックネットに当たる。
キャッチャーのリードにあまり工夫がみられない。初回から調べて見つけ出した傾向通りの配球。
それが正しいのなら、次の球は・・・

「シューーーーーーー・・・・・・・」
・・・ここから落ちる!
「・・・クイッ」

やはりその通りだ。しかもコースは甘いし、曲がる直前の微妙な浮き上がりもない。
要するに、打ちごろの球!

「カンッ!」

コンパクトに振りぬかれたバットが、ボールをピッチャーの頭上へと運ぶ。
そして低弾道でしばし宙を進んだ後、中堅手の守備範囲の前に着地。
原則通りのセンター返しで藤谷さんが出塁した。
自説を見事に実証し、ノーアウトでランナー1塁。

藤谷さんは珍しく、ベンチに向かって親指を立てた右腕を突き出した。



「キンッ!」

三番の土方さんが、これまたカーブを捕らえる。もはやこの決め球に、大阪を制し、甲子園で二校を下した面影はない。ノーアウト、ランナー1,2塁。

樟葉丘バッテリーはカーブ中心の配球を諦め、四番の角屋さんに対して直球を主体としたピッチングを組み立てた。だが・・・

「・・・ぅしっ!」
「カンッ!」

それは完全に裏目に出た。どちらかと言えば、速い球を力強く弾き返すことを得意としている角屋さん。
打球は左中間方向へきれいに飛んでいく。

足の遅い二塁ランナーの藤谷さんが、懸命にグラウンドを駆ける。正直、このままではきわどいタイミングになるだろう。
しかし藤谷さんに迷いはなかった。
次の一点が、流れを引き寄せる。

三塁ベースコーチの山江さんの進塁指示を眼中に入れる前に、藤谷さんの体はホームベースへと進路を取っていた。
そして、思い切りのいい走塁は幸いした。ショートに中継のボールが帰ってきたころには、藤谷さんはすでにホームへと迫っていた。ショートはホーム送球を諦め、ランナー土方さんの三塁進塁を防ぐ。

危なげなく藤谷さんがホームベースへと到達する。
七回の裏、川端西高校、四点目の得点。
取られたら取り返す。キャプテンの気合の一声を、球児たちはノーアウトのうちに実践してのけた。


「藤谷!お前の言ったとおりだったな!」
「さすが藤谷さん!」
ベンチへと戻った藤谷さんは、当然部員たちに歓喜を持って迎えられた。
「さあ、このまま一気に突き放そうぜっ!」
いつものごとく、ひときわ興奮していた島田さんが、ひときわ大きな声で叫んだときだった。

樟葉丘高校のベンチが動いた。

そしてベンチ前で肩慣らしをしていた背番号13の男が、グラウンドの中へと歩き始める。

「樟葉丘高校 選手の交代をお知らせします 野江君に代わってピッチャーの間野君が入り、ファースト、三番に楠木君が入り、ピッチャー。三番、ピッチャー、楠木君。四番、ファースト、間野君」
「・・・そういえば、南条君はあの投手と昔、知り合いだったんですよね」
藤谷さんが、「必殺諜報台帳」を取り上げ、パラパラとめくりながら、刈田に向かって確認した。
「はい。そうみたいですね。ジョーがサードの守備についてるときも、なんか話してましたしね」

「えーと・・・あったあった。楠木宏信。背番号13。一年生。長身右腕。地方大会の成績は・・・14イニングと3分の1で自責点2、奪三振は6・・・これだけではいまいちよくわからないですね・・・」
「あんまり調べてなかったんですか?」
意外と情報量が少ないことに、少し驚いていた刈田がたずねる。
「そうですね・・・甲子園ではずっと間野が完投してくると思ってましたから。ましてやこんな接戦では・・・刈田君、あのピッチャーについて、南条君から何か聞いていませんか?」
「確か・・・球が速くて重いピッチャーで、中学時代のチームでは二番目に早かった、って言ってましたね」
「二番目、ですか」
「はい。あ、あの相模信和の枚岡が、一番だったそうです。まあ、二番手ってことは、あそこまですごいことはないんでしょうね」
刈田はごく軽い口調で、そう報告した。
しかしそれを受けた藤谷さんは、少し不安な顔になって言った。

「でも、枚岡投手の最高球速って、確か146キロでしたよね・・・?」

二番手ということは・・・と続けようとも思ったが、今はそれを飲み込んで、この目でじかに楠木のピッチングを確かめることにした。


次の打者の南条は、素振りをしながら楠木の投球をじっくりと観察していた。
投球練習中の楠木の直球が、重い音と共にミットに吸い込まれる。打席の外から聞いていてもはっきりとわかるほどの音。
189cmの巨体は、マウンドに登るとその迫力をさらに増す。
仁王立ちでバッターに正対してから始動するフォーム。そこから放たれる、見るものを圧倒する威厳と漂う風格は、もはや南条と同じ年の投手、ましてやかつて一緒に戦った友であるとは思えなかった。

「南条、勝負だ!」

投球練習を終えた楠木が、打席に向かって叫ぶ。その顔には、この上ない喜びと、闘いに臨む厳しさが同居していた。

「よーし、かかってこい!」

南条もフォームをさらに大きくとって答える。
楠木がよし、と一つうなずくと同時に、主審によって再び試合が始められた。

「13」のゼッケンを背負ったこの男が、終盤に差し掛かったこの試合の流れを大きく変えることになる。この時点で、その影響のほどは、まだ誰一人として予測できていなかった。

 

 

 

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