第二段階

 

 中学野球部のユニフォーム、高校になって購入した真新しい体操服、私服なのだろうか、どこかのメーカーのスポーティッシュな服、リトルシニアのユニフォーム……

 列挙に暇がないほど様々な服装をした新一年生たちが、次から次へとグラウンドに入ってくる。

「な、何が起こったんですか、一体……」

 止まりそうにもない人の流れに、キャプテンの角屋さんは困惑していた。

「そりゃ、ついこの前甲子園に出たんやから、知名度が高いのはわかっとったけど、まさかここまでとはなぁ」

 同じく、隣で腕を組みながらこの様子を見ている角田監督にとっても、これは予想外の事態だったようだ。ただ、角屋さんと違って、その顔に焦りは見えない。

 今日は各部活動の仮入部期間の初日。当然、このグラウンドに入ってきている者たちは全員、野球部への入部希望者である。

 去年は仮入部に来たのが10人で、結局10人全員が入部した。しかし今年は、いま来ている人数だけでもすでにその二倍を越えている。はっきり言って、

「異常ですね、これは……」

「異常、やけどこれが第二段階への姿や」

「……第二段階?なんですか、それは?」

 すっかり渋い表情を作っていた角屋さんだったが、突然飛び出た監督の言葉に、かなりの興味を示し始めていた。

「つまり、これからバタ西は次のステップに入る、っちゅうことや。甲子園での勝負を意識して、チームを作っていく段階にな。そのためには」

 と、監督はまだ後を絶たずに増え続ける一年生たちに指を向けた。

「ある程度の基礎が出来た選手、またはそれ相応の素質を持っている選手を、部活でよりいっそう鍛えていく。そういう方針に変えていくことが、どうしても必要になってくるわけやな」

「なるほど。そうですね」

「そういうわけでな、一年生には悪いんやけど……」

 監督は少し小声で、角屋さんに驚くべき計画を話し始めた。

 

「えっ!そんな……」

「これはな、今決めたことやない。ワシがここに赴任してきて先を見据えたとき、いつかはやらなあかんと思ってたことや」

 角屋さんは黙り込んでしまった。視線は、ようやく足並みの途絶えてきた一年生の流れの方に向いていた。

「やっぱりあれか、落とされたやつがかわいそう、とか、伸びるチャンスはあるかもしれないのにそれを消してしまって良いのか、とか思うとるんか?」監督は、角屋さんを説得し始めた。「でもやっぱりな、今の時点である程度の能力を持っているってことは、それだけいままで努力してきた結果なわけで……」

「いや、それもそうなんですけど……」

「けど、なんや?」

「チームの和が乱れると言うか、変なエリート意識みたいなのが出てくるんじゃないか、ってことが一番心配なんです」

「……そうか?」

「バタ西はこれまで、普通の――たまに例外はありましたけど――やつらが精一杯努力して、部員みんなで向上して強くなってきたチームだと思うんです。でも、その雰囲気を経験する前により分けみたいなことをしたら、他人を蹴落とすために努力するようなやつらの集団になるんじゃないかと思って……それがないから、俺はバタ西が好きなのに……」

 角屋さんは自分の思いを全て吐き出した。監督に、チームへの熱意をここまで深く伝えたのは、実は初めてのことだった。

 

 入部希望者の流れは、ようやくおさまっていた。

 

 しばらく言葉を選んでいた監督だったが、やがて少しほっとしたような表情で口を開き始めた。

「角屋、お前はええキャプテンやな」

「……え?」

「一概に、そんなチームになってしまうとは言えんけどな。そういう方式を取りながら、うまくやっとるところもあるしな。ただな」

 監督は角屋さんと向き合い、そして言った。

「お前のその気持ちは、ものすごく嬉しい。だからお前の意見を出来るだけ尊重して実行しようと思う」

「ありがとうございます……」

 一応そうは言ったが、角屋さんの懸念はまだ晴れていないようだった。

「心配するなや。うまくやるから、な」

 そして監督はグラウンドの中心に出て、入部希望者も含め、全てのメンバーを一同に集めた。

 

 

 監督は一年生の顔を一旦見渡して話し出した。

「はい、みなさん。川端西高校野球部へようこそ。……まず最初に、ワシはみんなに謝らないけません」

 一年生たちは怪訝な顔をした。ほとんどの者が、この人物と会うのは初めてなのだ。そんな中でいきなり「謝る」と言われたのだから、そういう反応を見せるのは当然のことだ。

「野球部に入った者は、もちろん自分でも限界以上に努力せなあかんけど、それに加えてやっぱり技術面での指導が必要となってくるんやな。えーと、見たところ、いま来てくれとるのは30人前後か。この一人ひとりに十分な教えを与えることは、今のバタ西の体勢ではかなり厳しいところがあるわけです、残念ながら。無理やり教えたとしても、中途半端な力のまま実戦に臨むことになって、もう一度甲子園を狙うことなんか到底無理、という状況になる危険性もなきにしもあらずなわけです」

 監督が一言発するたびに、角屋さんの緊張は高まっていた。本当に約束を果たしてくれるのだろうか、それだけが気がかりだった。

「そこで明日、みんなには非常に申し訳ないんやけど、まあ何と言うか入部テストみたいなものを行って人数を絞りたいと思うてます。具体的な数は……15人や」

「えっ!?」

 もちろん一年生たちも驚いた。しかしそれ以上に角屋さんはショックを受け、声を上げて立ち上がった。

「監督!さっき言ってたことと違う……」

 いきり立つ角屋さんを、監督は手で制した。そして無言で角屋さんの目を見つめた。わかっとる、任せろ、と。

 角屋さんは、それだけで完全に納得することは出来なかったが、腰を落として話しの続きを聞くことにした。

「……すまんな。テストの項目は、ダッシュ、遠投、そして実技――これは打撃、投球、守備、どれでも好きなものを選んでもらう――の三つで行こうと思う。判定はワシと、キャプテンの角屋と、正捕手の藤谷を中心にやってく予定や」

 ほとんどの一年生の表情は、どんどん強張っていった。全く予想だにしなかった通知。しかし反抗の意思を見せるような者はいなかった。新たな決意を心に燃やしたかのように、一年生たちは角田監督の姿を真剣に見つめていた。

「そういうわけで、ワシからの話は以上や。今日はそうやな……上級生の練習の邪魔にならんように見学してもよし、早速帰って明日に向けての調整をしてもよし、とにかく自由行動や」

 ありがとうございました、と一年生たちは爽やかに声を出し、思い思いの場所に散っていった。

 ただ、角屋さんだけでなく、何人かの部員は依然として、何か割り切れない感じを抱いていた。

 

 

 

 練習が終わって、それぞれの家への帰路。まだ四月と言うことで、あたりはすっかり暗くなっている。

 人通りは少ないが、かろうじて街灯がともっている道を、新月と具志堅、そしてもう一人の球児が連れ立って歩いていた。いつもなら、その「もう一人」というのは刈田であることが多い。しかし今日は、藤谷さんの補佐として翌日の能力テストの準備をするために、まだ学校に残っている。

 今日は、具志堅の従兄弟で今年バタ西に入学した八重村が、二人の二年生の隣を歩いていた。

 そして、八重村は先ほどからしきりに、能力テストへの不安をもらしていた。

「海兄ぃ、入部テストって、約束が違うじゃん……」

 八重村は、親戚と言うことで自分の家に下宿している具志堅に、いつもの口調を使った。

「だから、学校では敬語を使えって……」

「……へいへい、すんません」

「ええで、俺は別に気にせぇへんし」

 新月は何気なくそう言ったが、

「いや、新月。やっぱりある程度のけじめはつけとかないとだな……」

「わかりましたって。これから本当に気をつけますから」

 ややふてくされて、八重村は道端の石を蹴った。

「でもな、諭」

 諭(さとる)、というのは八重村の名前である。具志堅は当然、他の家族と区別をつけるために下宿内で八重村をそう呼んでいる。

「これぐらいで無理って言ってたら、いざ練習になってもついていけないし、レギュラーなんか絶対に取れないと思うぞ」

「それはそうかもしれませんけど……おれ、本当に走塁とか苦手だから……遠投もたいしたことないし」

「あれ、八重村って、ピッチャーやなかったっけ?」新月は訝しがった。「それに、前のチームではエースやってんやろ?」

「ええ、そうです、ただ……地肩はあんまり強くないんですよ、おれ」

 八重村は右肩を、軽く一回転させた。

「アンダースローのクセ球で、何とか打者を惑わしてる感じです。足腰の強さには結構自信あるんですけどね」

「ふーん……」

 そういえば、新月は前にこの八重村のピッチングを目にしたことがある。確かにアンダースローだったが、遠目からだったのでどの程度の球を投げるのかということは、もちろん分からなかった。

「確かにお前は足は遅いし、打撃も全くあかんけど……大丈夫だって。実技でアピールすれば」

 具志堅は確信を持っていた。八重村のボールは、絶対に角田監督の目に留まるはずだ、と。

「本当ですか?」

「おう。あの監督はどちらかと言うと、全体的にまとまっててなんでもそつなくこなす選手よりも、何か一つ飛びぬけたものを持った選手の方が好きだからな。お前には、あれがあるじゃないか」

「そう、ですね……」

 そう言うと、八重村はおもむろに腕を上げ、右ひじをじっと見つめた。そしてよし、と軽く気合を入れ、具志堅も一緒にうなずいた。

 もちろん傍で見ていた新月には、それが何を意味するのか全く分からなかった。

「あの、勝手に二人だけで納得されても困るんやけど……あれってなんやねん、あれって」

「あれ、か。ネタバレしたらつまらんから、まだ詳しくは説明しないけどな」

 具志堅は、妙にもったいぶった間を取ってから言った。

「スネイクファング、だ」

「スネイク……???」

「ま、それは明日のお楽しみってことで」

 そう言われても、素直に引き下がるわけには行かない。新月がもう一度問いただそうとすると、ちょうど二人の家への道が別れる場所まで来てしまった。

 このまま具志堅たちの家までついてって聞いたろか、という考えも新月の頭には少し浮かんだが、しかしもうそれなりに疲れているし、今日はここで別れることにした。

 

 ……いくら歩いても、疑問が解けるわけではない。

 スネイクファング。たぶん英語の単語だろう。新月は、帰った後久しぶりに英和辞書を開けて調べることも考えた。

 だが、いざ帰宅してみると、食欲と睡眠欲に負けた新月は、いつものようにそのまま床にふしてしまった。

 

 

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