整列

 

 校門の前に整列する川端西高校野球部員たちの間には、いつになく張り詰めた空気が漂っていた。その中心となるべき角田監督は、いつものように集合時間に遅れている。それがそもそも、この異様な雰囲気を作り上げている原因なのだが……

 今日の日付は5月5日。ゴールデンウィークの最終日だ。長い休日の最後の一日を惜しむように遊び呆ける者、逆に翌日からの出勤に備え死んだように眠りこけるもの、泊りがけで向かっていた旅行先からのUターンラッシュに巻き込まれ辟易しているもの……そんな世間の、なんとなく浮き足立った動きは、今年のバタ西の部員たちにとっては全く無縁のものだ。

 いよいよ今日、「あの」昭成高校が、遠征先の一つとしてバタ西を訪ねてくる。今日のために部員たちは皆、休みをつぶして練習に明け暮れていた。監督の計らいで、一応この試合への参加は任意とされていたのだが……とても自分の意思で休めるような雰囲気ではなかったし、強制的に休日をとれと言われても、ほとんどの部員は断固として拒んだことだろう。

 それほどまでに準備をしてきた試合なのだから、部員たちが意気込むのも当然と言えば当然なのだが……それにしても、今の各人の表情には、やはり尋常でないものが感じられる。

 その空気の形成に携わった最大の功労者、角屋さんが突然部員たちの前に出て、演説を始めた。

「はい、いいか!もうすぐ昭成高校ご一行様がおいでになる。到着予定時刻まであと3分だ」

 角屋さんの口調は、朝からずっとこんな感じでいやに丁寧だ。その原因は、昨日角屋さんが監督から「向こうは長い遠征の最終日で、おそらく疲れとるやろう。明日は、できるだけ丁重にお迎えせえよ。部員たちにも、そう伝えといてくれ」と委託されたことにある。

 ところが角屋さんは、その言葉を過剰に重く受け取ったらしく――例えば、微塵の失礼も許されない、と言われたかのように――、部員たちに規律と礼儀を徹底しているのだった。

 こんな対応をしても、たぶん相手は気詰まりするだけなのに……という考えは、角屋さんの頭には全くなかった。彼が、最近キャプテンとしての責任感をより強く感じるようになってきたのは喜ばしいことではあるが、少し気負いすぎているようなところもある。

「今日は、我が校にとって初めて、県外から他校のお客様を迎える歴史的な一日となる。くれぐれも無礼のないように、各自もう一度気を締めなおせ!」

「はい!」

 部員たちは背筋を垂直に伸ばし、腹式発声で返答する。

 向こう側の歩道を歩いている人が、危険物を覗き見るような目で部員たちにチラチラと視線を送ってくる。……これでおそらく、バタ西に対する地元の援助は、今後下火になってしまう……かもしれない。

 

 予定時刻から送れるほど五分弱。一体の中型バスが、部員たちの前に姿を現した。側面には、「syosei high school baseball club」と、洗練された書体で校名が記してある。部の専門バスで遠征旅行。資本主義のひずみとは、なかなか恐ろしいものである。

 部員たちが少し唖然として車体を眺めていると、バスのドアが開き、昭成高校のユニフォームを来た男性が現れた。見た目はまだ若いが、どうやら高校生ではないようだ。

 おい、行くぞ、と角屋さんが目配せすると、部員たちはいっせいに、

「おはようございます!!」

 と、とある北の国で鍛えられたかのように一糸も乱れぬ完璧な挨拶をして見せた。

「お……おはよう。すごいね、このチームの統率力は……」

「いえいえ、まだまだ鍛錬不足です」

 角屋さんはすっかり気をよくしていたが、明らかに相手は心を遠ざけているようだ。

「あ、私は昭成高校の二軍監督を務めている辰城(たつしろ)です」

「はい。お話は伺っております。自分は川端西高校野球部主将の角屋正一です。至らぬ若輩ながら本日はよろしくお願いします」

 角屋さんは緊張した面持ちのまま、用意してきたセリフを一息に放った。辰城監督は少し困ったような顔を見せ、

「ははは、まあそう固くならずに。ところで、角田監督は?」

「はい……角田監督は……」

 焦って辺りを見回すものの、角屋さんの目にそれらしき影は映らない。

「まだ到着しておりません。申し訳ありません、監督はいつも……」

「いや、いま来られているみたいだけど」

「え……?」

 辰城監督は、角屋さんの肩越しを見て言った。角屋さんもその視線を追いかけると、

「角田監督!」

「おう、角屋。すまんな、また時間に遅れてもうて」

 角田監督は何と、校門から姿を現した。

「い、いつから学校にいたんですか?」

「ああ、すまんすまん。ちょっと明日からの授業に使うもんを整理しとったら、ついつい時間を忘れてて……」

 一応角田監督も、川端西高校に務めている一人の社会科教師である。その準備があるのは仕方ないかもしれないが……

「よりによって、こんな時にやらなくても……」

「うん。ほんまにすまなんだな。……あ、辰城監督。ようこそ川端西高校へ」

「よろしくお願いします。角田監督。いやあしかし、こちらの高校の生徒さん達は、本当に礼儀正しいですね」

「え?そうですか?まあ、昨日なんとか形だけでも整えよ、とは言うときましたから」

「少しばかり、正しすぎる気がしないでもないですが……」

 辰城監督のその小さなつぶやきは、角田監督の耳には届かなかった。

 そして何事もなく、角田監督は昭成野球部をグラウンドへ案内し始めた。

 

 

 藤谷さんは、グラウンドへの移動中にもなにやらパラパラと紙をめくっていた。

「何を見てるんだ、藤谷?」

 昭成の二軍をまとめる立場の選手と軽く言葉を交わしてきた角屋さんが、藤谷さんに駆け寄ってたずねた。

「これですか。これは、昭成高校の新島遠征のデータです」

「……そんなもんまで集めてるのか、お前は」

「と言っても、昭成と対戦した学校に電話して集めただけのものなんで、あまり詳しいことは載ってませんけどね。せいぜい、最終の点数と勝敗と各打者の打席数と安打数、それに各投手の成績ぐらいしかわかりませんね……」

 藤谷さんは、「力不足ですいません」と言わんばかりにうなだれ、ため息をついた。

「……そんだけ集めれば十分すぎるだろ。にしても、よく教えてくれたな、そこまで」

「そこまで……っていってもたいした情報ではないですし、それに県内の各校も結構躍起になってるみたいですから。このまま新島を荒らされたまま帰してたまるか、って感じで」

「そんなにギスギスしてるのか?大丈夫かな、俺たち……」

「いやまあ、単なる例えですけどね、それは。先月の29日から今月の3日まで、昭成の二軍は5つの高校を大差で打ち負かしていて、昨日やっと陽陵が引き分けに持ち込めたところなんです。確かにこのままでは、新島県の野球は全国に汚名をとどろかせることになりかねませんからね。昭成の動きには、多くの高校が注目してますから……」

「それで、遠征最終日に当たるうちの高校に、なんとか勝って欲しいってわけか」

 角屋さんは、畏怖を込めた目で、昭成二軍のメンバーたちを見渡していた。

「まあ、そういうわけで各校の監督も、意外とすんなりと情報提供してくれたわけです。ところで角屋君」

「なんだ?」

「話は変わるんですが、あの辰城監督の現役時代って知ってますか?」

 角屋さんは、集団の先頭で談笑する昭成の監督に目を向けた。しかし、角屋さんの記憶の中に、その名前はインプットされてなかった。

「知らないな。プロで活躍してたのか?」

「いえ、プロには入っていません。でも、甲子園で暴れまわった伝説の高校球児なんです」

「そうなのか……?俺は高校野球はよく見るから、知ってるかもしれないな」

「そうですか。あの選手が活躍したのは、いまから15、6年前のことで……」

「……だったら俺は、その時3歳ぐらいか。そりゃ知らないはずだ……」

「まあ、僕もリアルタイムで見たわけではないですから」

 じゃあ何で知ってるんだよ、という問いを角屋さんは発しかけたが、すぐに鞘を収めた。藤谷さんの圧倒的な知識量には、もう十分に慣れている。

「時速140kmを越える直球と、高校球史に残るカーブで、昭成高校を二度優勝に導いたんです。ノーヒットノーランも二度達成したらしいです」

「す、すげえな。それは。優勝が二回か……」

「昔の昭成は、もっと強かったらしいですからね」

 そう口に出して、藤谷さんは素早くあたりを警戒した。こんなセリフが昭成の選手たちの耳に入ってしまったら、間違いなく気を悪くしてしまうだろう。

「でさ、その高校球史に残るカーブってどんなんだ?」

「えーとですね。確か……」

 藤谷さんの回答の途中。前方の角田監督が角屋さんに招集をかけた。

「あ、ごめん。行かないと。後で教えてくれよ」

「ええ。わかりました」

 そう約束して、角屋さんは監督の元へと向かった。

 最終的に、この約束が果たされることはなかった。このあと練習試合が予想外に忙しくなってしまい、キャプテンの角屋さんと、正捕手でありチームの頭脳である藤谷さんが、じっくりと試合外のことを話す余裕はなかったのだ。

 

 

 

 グラウンドに到着後、双方のチームは早速軽い調整に取り掛かっていた。シートバッティングや守備をフル配置してのノックなど、大規模な練習は行わないことになった。

 皆、当然チームごとに分かれて黙々と最終調整を行っていたのだが、そんな中南条は昭成高校の旧知と会話していた。

 高村、間宮、内和。南条の中学時代のチームメイトであり、春の甲子園のスタンドでもしばし言葉を交わした三人である。このうちチームの二遊間を担当する間宮と内和は、守備のコンビネーションの最終調整をしなければいけないということで、昭成のメンバーたちと共に練習を続けている。

「いやー、公立って言ってるけど、なかなか立派なところで練習してるじゃん」

 高村は、感慨深げにグラウンドを見渡した。

「うん。俺も最初は言ってきたときは結構驚いたよ。でも、昭成なんかと比べたら全然だろ?」

「ああ、まあ正直言ってな。うちの学校は野球バカだから」

 学校が野球バカだ、との言い回しは始めて聞いたが、南条は高村の意図を十分理解した。西東京地区の雄、昭成高校は春夏の甲子園で合計3回の優勝、2回の準優勝を遂げている。押しも押されぬ野球名門校であり、伝統もある。それに伴って、野球部にかける投資の額もまた、莫大なものだ。

「ところで高村、昭成二軍の注目選手、とか教えてくれないかな?」

「おっと、ここでスパイの本性があらわになったか?」

「いや、そういう……わけかもしれないけど……」

「まあ別にいいさ。練習試合だしな。はっきり言って、これって選手はうちのチームにはいないな」

 高村は少し回りに目を配りながら、意外なことを言った。

「え、そうなのか?でもあれだろ、今回の遠征ではまだ負けてないんじゃなかったっけ?」

「うん、まあ自分で言うのもなんだけど、うちのチームの連携は完璧だから。それで確実に勝ってきた、ってところだろう」

「ふーん。投手はどうなんだ?」

 南条は、おそらく一番試合の鍵になるであろう点について質問した。

「あ、そうそう。ピッチャーはそれなりにすごいぜ。今日はたぶん、石動が投げるからな」

「いするぎ?」

「ああ、石に動く、って書くんだ。あんまり聞かない名前だよな。今のところ、次期のエース候補だ。まあ、これ以上は教えられねえな。あとは自分たちの目で確かめてくれ」

「そうだな、ありがとう」

 南条は軽く礼を言い、練習へと戻っていった。

 なぜか高村は、川端西高校の選手について聞き返しては来なかった。相手のことについてはもう十分に調べつくしている、ということなのだろうか……?

 

 練習試合の割にはきっちり装備をつけた主審――どうやらこの人も昭成の関係者らしく、遠征に随行している――を軸として、両チームの選手が整列する。

 先攻の昭成高校の面々は、高村や内和を始め、全体的に小柄だ。ただ、ユニフォーム越しにもきっちりと筋肉はつけられていることがうかがえる。

 一方の川端西高校は、規格ギリギリの長身を誇る土方さんから、最近身長の伸びが止まった刈田まで、レギュラーの中でも体格はバラバラだ。

 もちろん、この外見を比較したところで戦力が分かるわけではないが……なんとなく、同じ世代のにチームの対戦とは思えない配列だ。

「それでは、昭成高校対川端西高校練習試合、5月5日、定刻11時プレイボールです」

「よろしくお願いします!!」

 いやに丁寧な主審の宣言のあと、両チームの選手たちが様々な発音で(一応、文字上では統一されているが)挨拶を交わす。

 各選手の成長のために、チームとしての動きの確認のために、新島高校野球のプライドを死守するために……抜けるような青空の下、様々な思惑と共に、試合の火蓋が切られた。

 

昭成高校

高村
間宮
金沢
石動
若狭
加賀
内和
富山
魚津

川端西高校

島田
藤谷
土方
角屋
具志堅
金田
中津川
刈田
新月

 

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