クイック&スロー

 土方さんの長い左腕がしなり、叩き付けるように白球を投げ込む。

「シャァァーー・・・・・・・・ドンッ!」

 調整は割とうまくいった。スピード、威力、ともに申し分ない。

 最近球速を測った中で、もっとも高い数値は時速141km。春の甲子園では最高147kmを記録したが、角田監督によれば、それは限界を超えた力によって引き起こされた奇跡のようなもの、だそうだ。だから普段の練習でそんな球速を期待してはいけない、と監督は付け加えた。

 それにしても、やはりこのストレートは迫力満点だ。

 普段球を受け続けている藤谷さんがそう感じるのだ。初めてグラウンド上で土方さんの球を目の当たりにする、昭成の選手たちの驚きはひとしおだった。

「すげぇな……やっぱり間近で見ると違うな……」

 ベンチから少し身を乗り出し、バッティンググラブを装着しながら、高村は驚きを漏らした。

「ま、でも、当てられないほどじゃあないだろ?」

 ごく軽い調子でそう言った間宮も、打撃の準備を進めている。この男は今日、昭成チームの二番打者に指名されているので、ネクストバッターズサークルへ向かう準備をしているのだ。

「ストレートだけならな。ただ、あの投手にはフォークがあるからな……」

「いいじゃん、捨てろよ。球数を稼ぐのは高村の仕事じゃないからな」

「わかってるよ。変な話だけどな」

 高村は辰城監督のほうに目を向け、少し苦い笑いを浮かべた。

 普通、一番打者はファールで粘るなどしてできるだけ相手投手に多くの球数を投げさせ、後続のバッターに相手投手の球筋を見せる、という役割を託されることが多い。それをやらなくてよい、という指示が、ここ昭成二軍チームでは監督から指示として出されている。高村の言うように、それはかなり「変な話」なのだ。

「当てれば、塁には出られるだろ、とりあえず?」

 試合直前だというのに、グラウンドではショートの新月が球をグラブの前にこぼしている。

 そんな内野手たちの動きを眺めながら、間宮は高村に確認した。

「まあな。一打席までなら、出る自信はあるな」

「ま、せいぜいかき回してこいよ。……ここまでの6試合みたいにな」

 間宮は不敵な笑みを口元に浮かべ、高村の足をポン、とたたいて、打席に送り出した。

 

 

 高村が左打席をしばらく足で慣らし、主審に目配せをする。

 それに答えて、主審は右手を天にかかげ、高らかに試合開始を叫ぶ。

 練習試合なので、当然観客はいない。ごくごく静かなプレーボール。

 ま、たまにはこういうのもいいかな、と独特の空気を楽しみつつ、土方さんは藤谷さんからのサインを覗き込む。

 身長193cmの投手と、170cm足らずの打者の対戦。遠目からは、まるで土方さんが小学生を相手にしているかのようにも見える。

 しかし高村は、名門昭成の二年生の中で屈指の実力を持つ選手。土方さんが投げ下ろす剛球にも……

「シャァァーー・・・・・・・・ドンッ!」

 動じることはない。

 きちんとボール球を見極め、カウントは0−1。

 高村は特に焦る様子もなく、平然とバットを構えなおす。

 土方さんも速いテンポで、第二球目へのモーションに入る。

 上体をあまり沈めず、長身を生かして投げ込むフォーム。第二球目の球種は、

「シャァァーー・・・・・・」

 カウントを稼ぎにいくストレート。

 とはいえ、これも十分に威力のある球だった。

 だが高村はその球に迅速な反応を見せ、コンパクトにバットを振りぬいた。

「カンッ」

 真ん中寄りの甘い球だったが、高村は少し降り遅れた。

 ただ、ボールの上を叩いた打球の勢いは、決して死んでいない。

 打球は三遊間方向へ向かっていく。しかし十分に新月の守備範囲だ。

 逆シングルで難なく捕球し、新月は自慢の強肩から鋭い送球を……

「うおお……っ!?」

 動揺のあまり、新月は送球を逸らしそうになってしまった。

 ボールが新月の右手を離れたとき、すでにバッターランナーの高村は一塁ベースに足をかけようとしていたのだった。

 もちろんそこから送球が間に合うはずもなく、早くも昭成高校に、一人目のランナーが生まれた。

 バタ西のベンチに、軽いざわめきが押し寄せた。予想外に、足の速い選手がいる。この時点では、各部員たちにはその程度の認識しか生まれていなかった。

 ただ一人、南条だけは高村の「成長」に驚いていた。

「あいつ……また一段と速くなってるな……」

 その小さなつぶやきを、後ろでスコアブックをつけていたマネージャーの沙織が拾った。

「一段と、って南条さん、あの人を知ってるんですか?」

「ん?」南条はゆっくりと振り返った。「ああ、沙織さんには言ってなかったかな。高村とは、中学時代同じチームでプレーしてたんだ」

「そうなんですか」

「うん。で、次の打者の間宮と、後でたぶん打つと思うけど、内和ってやつともね。三人ともそれぞれすごい選手だよ」

 南条は少し誇らしげに、三人のことをかいつまんで話した。

「……なるほど。要チェック、ってわけですね」

「一応藤谷さんには言っておいたんだけどね。……そうだ」

 突然、南条の頭にあるアイデアが浮かび上がった。

「沙織さん、後で高村の塁間タイムを計ってくれないかな?」

 塁間タイム、とは読んで字のごとく、ベースからベースまでの走行タイムのことだ。

「タイムを、ですか?」

「そうそう。二打席目のホームから一塁までのタイムと、この後もし盗塁したらそのタイムもね」

「高村選手のものだけでいいんですか?」

「うーん……たぶんね」

「どうして測るんですか?」

 特に必要もなかったが、一応沙織は何条に理由を尋ねてみた。

「実は新月のためなんだけどね。新月より足速いやつってなかなかいないだろ。島田さんですら、最近は追いつかなくなってきてるし。それであいつも、このごろ張り合いがなくなってきた、みたいなことをこの前言ってたから。高村だったら十分、新月の目標になるんじゃないかな。50mのタイムがどうかは知らないけど、さっきのを見た限り、一塁までのスピードは新月より速そうだし」

「……南条さんも、結構いろんなこと、考えてるんですね」

 そう言われて、南条は少し心外だったようだ。複雑な表情で、力ない笑い声を数度もらした。

 確かに、普段からどこか抜けたような顔をしているが、野球のことになると実は深い考えを持っている、と南条自身は思っている。

「まあね。……あっ、でもそうなると……ストップウォッチを部室までとりに行かないとダメだな……ごめん。やっぱりややこしいから……」

 南条が止めようとする手を逃れて、沙織はとある方向に足を進めた。

「いえ、大丈夫です。ストップウォッチならおそらくこの中に……」

 そして沙織は、ベンチの片隅に静かに置かれた小さなかばんを取り上げた。中身を探ると、スピードガンの横に目的のものが入っていた。

「やっぱりありました。さすがですね」

「藤谷さんのバッグか……確かに、心配しなくても大丈夫だったね」

 相変わらずぬかりのない人だ。南条は改めて、藤谷さんの用意周到ぶりに驚いた。

 一方のグラウンドでは、二番打者の間宮が土方さんの第七球目を待っていた。

 ボールカウントは2−2。やはり名門、昭成高校だ。土方さんの投球について、既にかなりのデータを持っているらしい。コントロールにまだまだ難のある土方さんはこうやって粘られると球威を落としてしまう。

 しかし最近土方さんは、精神の安定を図れるようにいろいろな訓練をつんできた。普段の練習で、実戦打撃で、角田監督の豊富な経験に基づいた練習メニューが課され、それなりに成果も上がっているはずだ。

 その土方さんをいらだたせる要因、それはこの小柄なバッターが立つ左打席よりも、むしろ小柄なランナーがうろつく一塁ベースにある。

 一塁ランナー高村のリードはとにかく大きい。だが、いくらけん制球を投げても、すんでのところで一塁ベースに到着する。そして幾度となく盗塁するそぶりを見せながら、まだスタートを切っていない。

 塁上でこれだけ巧みに動かれると、投手が平常心を保つのは非常に難しい。まずいことになってきた。藤谷さんは出来るだけ早めに決着をつけるため、決め球を投げさせることにした。

 大きく落ちるフォークを外角に指示。土方さんはうなずき、セットポジションから第七球目を……と、ここで一塁ランナーがついに二塁へと動いた。

 回転を殺されてリリースされたボールに打者の間宮は少しだけ反応するが、スイングはしない。

 完全にボール球だ。藤谷さんはいち早く投球体制に入りながら、落ち着いてワンバウンドのボールを拾い上げたが……右腕から二塁への送球を放ったとき、すでに高村は二塁ベースへ滑り込んでいた。

 完璧にモーションを盗まれた。

 ノーアウト、ランナー二塁。

 約18メートルの距離を隔てて見ても、藤谷さんには土方さんの焦りがひしひしと感じられた。

 右足は小刻みにマウンドをえぐり、ロージンバッグを何度も手のひらに転がしている。

 藤谷さんの思考も、表には出さなかったもののかなり乱れていた。相手の攻撃パターンの予想が頭上を駆け巡っては去っていく。強打に出るか、それとも無難にバントで送ってくるか。それとも四球を選んで三番に期待するか、いや、あるいはエンドランをかけてここで一点をもぎ取りにいくのか……

 そうだな。もし取られたとしても、たぶん失点は一つだけで済む。藤谷さんは自分にそう言い聞かせ、無理やり開き直った。初回から長考して試合のテンポを崩してしまっては、チーム全体に悪影響を与えてしまう。

 藤谷さんは第八球目の球種に、ストレートを選んだ。とりあえず、力で押すしかない。

 ここで、打者の間宮が二塁ベース上の高村になにやらサインを送った。

 しかし土方さんは気にする余裕もなく、第八球目を投げ込んだ。

「シャァァーー・・・・・・」

 土方さんの左手から球が離れると同時に、高村はまたもやスタートを切った。

 間宮がバットの芯のあたりを左手で支え、バントの構えを取る。やはり、確実に送ってくるようだ。

「コンッ」

 乾いた音と共に、打球は一塁方向に転がっていく。

 一塁方向……?おかしい。バントでランナーを三塁に進めるときは、三塁方向に打球を転がすのが鉄則だ。そうすると打球の処理は投手がしなくてはならないため、送球が遅れてランナーが生きる確率が上がる。

 しかも、間宮は方向調整に失敗したわけではなさそうだ。明らかにバットの芯は一塁の方へ向いていた。

 打球の勢いはあまり弱まっていない。

 一塁手の具志堅が、塁間を越えて勢いよく転がってきた打球を無難に捕球した。

 その時、ある男が予想外の動きを見せた。

 ベンチから南条が、力の限りに「具志堅!ファースト!」と叫んだのだった。

 隣にいた部員たちが、その体を引き戻しにかかる。変な情報を送られた具志堅が、混乱してしまっては困る。そう考えた部員たちは、必死に南条の体を引っ張った。

 しかし南条の声は、藤谷さんの「的確な」指示によってかき消された。

「サードです!落ち着いて!」

 当然の指示だ。いくらエンドランをかけているといっても、このタイミングではランナーは間に合わないはず……

 具志堅の左腕から放たれた送球が、三塁手金田貴史の元へと向かう。

 だが貴史がボールをグラブに収めたとき、すでにランナーは彼の足元へ滑り込んでいた。

「……っ!?」

 貴史も一年生とは思えぬ的確な動きで、グラブをランナー高村にすばやく差し出す。

 しかしそのタッチが、高村の足に当たることはなかった。

 高村は巧妙にグラブをかいくぐり、見事にベースを蹴った。

 ノーアウト、一塁、三塁。内野安打とバントだけで、昭成の核弾頭たちは試合を決めかねない大チャンスを展開した。

 

 

「やっぱり出たか……」

 部員たちの手から解放された南条は、深くため息をついた。

「あれも、中学時代からやってた動きなんですか?」

 南条のつぶやきに反応したのはまた、スコアブックをつけ続けている沙織だけだった。

「うん。西関東フライヤーズの勝ちパターンだったよ。あの一、二番の連撃で相手投手を混乱させて、その後のクリーンアップで徹底的に打ちのめすんだ。その前後のイニングで、エースの枚岡が初回からガンガン飛ばして相手打者を完璧に抑えていくから、相手はすっかり戦う気をなくしてしまうんだな……まあ、昭成でそれが見られるかどうかはわからないけど」

 説明しながら、南条は右打席に入ってきた三番打者を観察していた。外見だけでその実力を判断することは出来ないが、少なくとも、フライヤーズの三番だった片桐よりも上、という感じはない。

「でも南条さん」

「ん?何?」

「間宮って選手は確か、小技は何でもこなせるくせ者、って言ってましたよね。その割にはさっきのバント、あんまりうまくなかったと思うんですけど……?」

 沙織は鋭い質問を投げかけた。確かに先ほどの間宮のバントは、勢いを殺すのに失敗した「悪い」バントのように見えた。

 だが南条は迷うことなく、

「そこがくせ者のポイントなんだよ。ああやって、明らかに失敗したバントを転がせば、何も知らない守備陣は本能的に三塁に送球したくなるから、そこで……」

「……あっ、そういうことですか」沙織は早くも、南条の言わんとするところを理解したようだった。「それで三塁に間に合わない送球を投げさせて、ランナーを二人とも生かす、って言う作戦なんですね」

「すごいね、もうそこまでわかるんだ」

 南条は心底感嘆していた。沙織は、南条が説明しようとした言葉よりも、ずっと簡潔にその意を表したのだ。

「いえ、それほどでも……」

 沙織は少しはにかんだ様子を見せ、南条から目をそらした。

 

 

 

 腕の振りには見合わない低速の球が、六番打者の膝元に向かって軌道を伸ばす。

 すっかりタイミングを外された六番打者だったが、それでも何とかスイングをこらえて球を捉えにいく。

 だが、徐々にではあるが緩く沈んでいくボールに、崩れた体制のままついていくのは不可能だった。

 バットが空を切り、主審が決然と右手を振り上げる。

 スリーアウトチェンジ。土方さんは、苦しいピンチを最小失点で乗り切った。

 高村と間宮の「連撃」を受けながらも、土方さんは気持ちを切り替え三番打者を三振に切って取った。

 四番打者には犠牲フライを上げられ、一点を先制された。しかしその後の五番打者は内野フライ、六番打者は先述の通り、この回二つ目の奪三振で葬り去った。

 低速で鈍く落ちていく新球種、「ブラントフォーク」は予想以上の威力を見せている。

 揺れるストレートといつものフォークだけでも、普通の打者はどちらかに絞っていかないと当てることが出来ないほど、威力は高い。そこに、ストレートとほぼ同じ腕の振りで緩い球を投げ込まれたら……初めて対戦する打者は、ボールに手を出すことすら難しくなってしまう。

 そんな中、しつこくファールを打ち続けた二番の間宮や、犠牲フライをきっちりと打ち上げた四番の石動は、かなり高い打撃技術を持っていると見ていいだろう。

 イニングは一回の裏へ。

 昭成のエース石動は、極めてゆったりとしたフォームで、慎重な投球練習を始めた。たぶん、相手と対戦する前に体の動きを細かく確認しているのだろう。

 石動の投球練習をチェックしていた数名の部員たちは、おおかた全員、そのような判断を下していた。

 

 身長からは想像できないほど鋭い素振りを二、三度繰り出し、「うおっしゃっ!」と大きく一叫び。気合十分な川端西高校の先頭打者はやはりこの男、大口自慢の一発屋、島田さんが打席へと向かう。今日ももちろん、彼の意識はフェンスのはるか向こうへ飛んでいる。

 数日前の実戦打撃で(運よく)放った特大弾。あれをここで再現して、バタ西野球ここにあり、を昭成のエリートたちに見せ付けるのが俺の役目だ、といつも通り、初回から島田さんの意気込みは激しい。

 島田さんが左打席に入り、昭成二軍のエースと対峙する。

 体格は、特に大きくもなければ小さくもない。どんな球を投げるのかは……ベンチで誰かがなにやら言っていた気もするが、島田さんの脳裏には全く刻み付けられていなかった。

 持ち前のカンピューターをフルスロットルで始動させ、クラウチング打法でバットを構える。

 審判の手が上がり、バタ西チームの攻撃開始を告げる。

「島田君!一発放り込んでやってくださいよ!」

 ネクストバッターズサークルから、いつもと違った口調で藤谷さんが叫ぶ。もはや藤谷さんは、島田さんに「本来の一番打者」の姿を求めてはいない。

 マウンド上の石動がゆっくりと振りかぶる。まるでストレッチ運動のように緩慢な動き。

 頭の後ろで少しグラブをとめ、これまたゆっくりと足を上げる。少し遅れて、両腕が徐々に徐々に胸の前へと進んでいく。

 グラブが胸の前まで来ると、またもやしばしの静止。

 気の短い島田さんはこの時点で、全身の血を煮えたぎらせていた。もしチーム内の実戦打撃でこういうことをする投手がいたら、直ちに一喝するところだが……さすがの島田さんにも、ここで叫び声を上げるほどの厚かましさはなかった。

 何とか怒りに震える体と心を静め、石動の右腕が振り下ろされるのを待つ。

 待つ。

 待つ……

 ようやく、長いテークバックの後、白球が放たれた。

 島田さんはたまらずバットを出しにいった。おそらく初球はストレートだろう、と何の根拠もなく判断した上でのスイング。

 ……確かに、石動の第一球目は変化を見せなかった。

 ただ、その速度は、島田さんの直感が予期していたものをはるかに下回っていた。

 全くやる気の感じられない、緩い棒球。

 島田さんのバットは、あえなく風を切り裂いた。

 おそらくチェンジアップだろう。変化せず、ただタイミングを外すことを目的としたチェンジアップ。

 強烈に神経に突き刺さってくる残像を何とか振り払い、島田さんは第二球目を待った。

 待った。

 待った……

 再び、島田さんの体内に不快な泡が発生し始めた。とにかくフォームが遅い。遅すぎる。

 ようやく、第二球目が石動の右手を離れた。

 次こそストレートだろう。そうやって、球速差で揺さぶる作戦なのだろう。普段俺は相手の配球なんて考えないけど、それぐらいのことはわかるぞ。

 島田さんは変に強い確信を持って、スイングに踏み切った、

「シューーーーー・・・・・・・・・」

 ……のだが、向かってきたのは先ほどとほとんど変わらない低速の球。

 しかし島田さんは高い反応力で、バットを止める。

 タイミングさえ合えば一番打ちごろの球だ。ギリギリまで引きつけて、叩き潰してやろう。

 島田さんは腰に力を入れ、何とかスイングを耐えていたが……球が食い込んでくるように沈む様子が目に入ると、我慢に限界が急激に押し寄せてきた。

 体がなだれるように地面へと崩れ、島田さんは二球連続の空振りを喫した。

 ひざについた土を払い、うなりごえを漏らしながら、島田さんはいったん冷静になって考えることにした。どうすれば、俺はあの投手を打つことが出来るだろうか……そして、結論はすぐに出た。

 この打席で打つのは無理だ。ああいう技巧派の投手は、俺の守備範囲じゃない。分析は藤谷に任せて、二打席目の前に攻略法を教えてもらおう。

 いままで幾度となく苦境を乗り切ってきた黄金の方程式を胸に秘め、島田さんは第三球目を待った。

 もちろん、いい球が来たら狙いに行くつもりではあるが。

 前の二球と同じテンポで、石動が直球を投げ込んできた。昭成二軍のエースを務めるだけあってそれなりのスピードはあるが、驚くほどの球威ではない。

 ……と、傍目から見ていたものたちは皆、そういう感想を抱いていた。

 だが島田さんはそのストレートに振り遅れ、あっけなく三球三振に倒れてしまった。

 

 その不思議な現象は、偵察役を託された二番の藤谷さん、そして打球への対応力は高いはずの三番打者、土方さんにまで見られた。

 高校野球の舞台では、そう速いとはいえない直球。実際、スピードガンの球速表示も、最高で125kmにとどまっていた。

 だが、なぜか打者はその球についていけない。

 石動のフォームのようにどんよりとした違和感を抱えつつ、バタ西の各野手は二回の表のグラウンドへと向かっていった。

 

 

 その後しばらく、練習試合は意外につつましやかな展開を見せていった。

 2回、3回共に両者無得点。土方さんは毎回ランナーを出しながらも、無難に昭成の各打者を斬っていった。一方の石動も、変則的ながらも決して崩れることのない独特のフォームから、一定のテンポでゆるい球を淡々と投げ込み続けた。その結果、バタ西の各打者の感覚は完全に狂ってしまった。

 その中でただ一人、六番に座っていた金田貴史はチェンジアップをきちんとセンターに弾き返した。

 本人は極めて謙虚に「たまたまヤマが当たっただけです」と笑っていたが……そのヤマをかけることさえ、バタ西の各打者は出来ていない状況なのだ。実戦になっても、この男の振りはキレを落とさないようだ。

 そしてイニングは四回の表へ。ここで角田監督が、初めて腰を上げ、審判のほうへ歩み寄った。

 選手交代を告げられたのは投手の土方さん。しかしマウンドを降りた土方さんは、ベンチではなく外野へと向かった。

 代わりに、レフトの中津川さんがベンチへ向かう。

 この回からマウンドに上がるのは、二番手投手の南条だ。

 各投手に経験をつませるため、角田監督は初めからこの采配を予定していた。だが昭成の面々は、この交代を当然のこととは考えなかったようだ。なにやらベンチ内の動きがあわただしくなっている。

 揺さぶられて一点を取られたとはいえ、土方さんは直球を主体に力強い快投を続けている。甲子園でも鮮烈な印象を残したエースの、三回途中降板。よくよく考えれば、昭成側の反応の方がむしろ自然なのかもしれない。

 

 審判が試合の再開を告げ、南条の投球が始まった。

 ほとんど青一色に染め上がっていた五月の空に、少しずつ雲が覆い始めていた。

 

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