にぎやかな帰路
球児たちの運命を決める、夏の新島県予選まであと10日足らず。にもかかわらず、部員達の背中はいまだにまっさらなままだ。
ここ、川端西高校野球部では、角田監督の方針によって期間ギリギリまで背番号が発表されない。そこで特にこの時期、バタ西の部員たちの多くは、強い不安と期待を抱きながら毎日を過ごしている。
今、校門を出て家路につこうとしている二人の球児も、その例外ではなかった。この二人は春の甲子園でスタメン出場を勝ち取っていた。とはいえ、次への確信はまだ持てていない。
実力のみが重視され、実績、年齢、その他余分な要素はほとんど考慮されない。それが、バタ西のレギュラー争いなのだ。
「7月や言うても、今日は結構涼しいなぁ」
爽やかな風が頬をなでると、新月はしみじみとつぶやいた。
「そりゃあ、もう8時だからね……」
左腕にはめた腕時計を覗き込む刈田は、すっかり気の抜けた顔をしていた。
「ええやん。疲れとるんやから、涼しいときに帰れたほうが」
「全然よくないって。新月がもうちょっとちゃんとやれば、普通に帰れたのに……」
刈田は改めて、きょとんとする新月の顔を見てため息を一つついた。
今日、この二人は居残りで守備練習をさせられていた。
自称「バタ西のファイアーウォール」の二遊間である二人は、このポジションに欠かせないコンビネーション練習を徹底していたのだ。
二塁手刈田の動きには寸分の狂いもない。二人の息もあっていないわけではない。ただ……やはり新月の動きが粗いのだ。
ゲッツー、カバー、けん制時の動きなど、二遊間の内野手にはいろいろな場面で緻密なプレーが要求される。
単独での守備のスキルが、最近になってやっと向上しつつある新月には、まだコンビネーションプレーまでに手を回す余裕は少ない。
何度やっても失敗した。そのたびに二人で話し合い、心を落ち着け、再びプレーに臨み、またタイミングを外してしまう……このサイクルを必死で回っているうちに、ようやくそれなりの形は出来あがった。
しかしその頃には、すでに空には多くの星がまたたいていた、というわけだ。
「前から言いたかったたんだけどさ、絶対新月にショートは向いてないって」
「……え?そうか?動きは素早いし、肩は強いし、守備範囲は広いし、最高のショートやと思うねんけどな」
「よくそこまで自画自賛できるな……いやまあ確かにポテンシャルは高いんだけど、何と言うかこう、内野手としてのセンスに欠けてるんだよ」
かなり致命的な刈田の言葉に新月はすっかり憤慨して、
「な、なんや!そんなんまだまだわからんやろが!それに、もし仮にセンスがなかったとしてもやな」
「仮に、って……」
「ああ、もう、邪魔すな!なかったとしてもやな、頑張ったらええねん。頑張ったら。そしたら、人並みにはできるようになるって、そやろ!?」
「いや、まあ、人並みねぇ……」
刈田は少し考え込んだ。新月の守備はまだまだ粗い。でも、新月が自分で言った様々な長所は、今でも欠点を補って余りあるほどではある。そう考えると、新月は十分「人並み」以上のショートだとも思うのだが……
しかし刈田は、すっかり平静を乱して食ってかかる新月を見て、その考えを口に出すのはやめておいた。言ってしまったら、また変に図に乗るに決まっている。
「とにかくさ、俺としては新月は絶対外野の方が向いてると思う。島田さんの抜けた後に狙ってみたら?」
「いや、まあ確かに俺は外野でも天才的な働きが出来るとは思うけどな」
新月はいつものようにうそぶき始めたが、その表情はだんだん真剣になっていった。
「俺は、ショートをやらなあかんねん。野球をやるからにはショートやないと……」
得体の知れない迫力に押されて、刈田は何も返すことが出来なかった。
何か理由があるのだろうか?ここまで頑なにこだわるからには、何か深い理由が……
刈田がたずねようとすると、不意に新月は左に提げているバッグの中を探り始めた。
しばらく漁った後、新月は中から携帯電話を取り出し、
「よし、スイッチオン、と。お、何件かきとるな」
ボタンを操作する新月は、すっかりいつもの能天気な顔に戻っていた。
「なになに……お、引出と弓射や。この時期になかなかラッキーなんちゃう?諜報部副部長さんよ」
新月は刈田の顔の前に、携帯のディスプレイを差し出した。
今、「諜報部」では部長の藤谷さん、副部長の刈田、そしてもう定着してしまっているマネージャーの沙織が、情報収集の最終段階を追い込んでいるところだ。どんな些細な情報でも、のどから手が出るほどほしいのは事実だ。でも……
「新月宛のメールに、たいした情報が乗ってる気はしないけどな……」
「シケたこと言うなや……ま、ほとんどそやねんけどな。どれどれ、まずは引出のから」
引出共和。二年連続で新島県として夏の甲子園に出場している、陽陵学園のエースピッチャーだ。
昨年の夏も、一年生ながらバタ西との決勝戦に登板し、バタ西の甲子園行きを僅差で阻止している。
「なんや。全然、大したこと書いてないわ」
「やっぱりね」
といいつつも、刈田の首は自然とディスプレイを覗き込んでいた。
「えーと……『何で初夢は一富士二鷹三茄子って言うか知ってる?』……あのさ、いっつもこんな感じなの、引出って?」
刈田は心底がっかりして、新月に携帯を返した。
「うーん……だいたいいつもは、もっとまともなことを送ってくるんやけどな……まあでも、こんなんでも野球の実力はすごいからな」
「そりゃあね。」
実際、引出は二ヶ月前に行われた陽陵対バタ西の練習試合で、完璧なピッチングを見せた。
非常に小柄な体格からは信じられないほどキレのいい直球と、時速80キロ台で大きく曲がるスローカーブ。さすが陽陵のエースだ、と周囲を驚かせたものだったが、ただしその試合で投げたのは2イニングだけ。もう少し情報が欲しいところではある。
「ま、これは適当に流しとくわ。次は弓射、と……」
弓射幸吉。昨年の夏大会、バタ西が一回戦で沈めた南海大学付属沢見高校の投手である。ちなみに、新月とは中学時代、大阪にいた頃の知り合いだ。その関係で、今でもこうしてやり取りをしているらしい。
「お!これはなかなかええんちゃう?」
「なんて書いてある?」
「『もうすぐ夏大会』とかなんとかごちゃごちゃ書いたあと、『バタ西と当たるとしたら準決勝やな。まあ、せいぜい踏み台にさせてもらいますわ』やて。付属沢見と、準決勝に当たるんか。これは初耳や」
「……そんなこと、いちいち教えてもらわなくても知ってるよ」
抽選の結果はとっくに決まっている。その発表の場に、もちろん新月も居合わせたはずなのだが……
刈田はさっきよりも一層深いため息をついた。
「でもまあ、付属沢見と当たることはないと思うけどな」
携帯を折りたたみながら、新月は言った。
「なんで?」
「だって、あいつら調子乗っとるもん。なめきっとるからな、新島を。あれで準決勝まで、勝ち上がってこれるはずないやん」
南海大学付属沢見高校は、「体育科」という学科コースを設けて、全国からスポーツ推薦で生徒を集めている。当然、野球部も(特に大阪を中心に)推薦で集められた生徒で構成されている。
変なプライドを持ってしまい、完全新島の野球を見下していた付属沢見の野球部は昨年、一回戦でバタ西と対戦し、見事な返り討ちにあった。結果は、五回コールド、14−0でバタ西の勝利。
「まあ去年、あんだけひどい負け方したんだから、意識も変わってると思うけどね」
「そうか?ま、でももしそうなっとったら、元々能力は高い奴らやから、結構危険かもな」
新月の言った事は、刈田や藤谷さんも警戒していることだ。そのため今、予選の優勝候補の一つとして、リストに付属沢見の名はピックアップされている。
「ところで」
「なに?」
ここでもまた、新月は刈田を仰天させる言葉を放つのだった。
「陽陵とは、いつ当たるんやったっけ?」
「……自分で調べろよ」
刈田は新月の方を見ずに、冷たく言い放った。
陽陵学園とは、両チームとも順当に行けばまたもや決勝戦で対戦することになっているのだ。そんなに重要で、部員の誰もが知っているはずのことを、いちいち教える気にはならなかった。
さすがに応えたのか、新月はしばらく黙り込んでしまった。
少し気まずくなってきたので、刈田は別の話題を持ちかけることにした。
「弓射も新月もそうだけどさ、新島に来て一年以上経ってるはずなのに、なんで関西弁が抜けないんだ?」
刈田の方針は正解だったようだ。新月の表情は、すぐに明るさを取り戻した。まあ、元々気持ちの変化が恐ろしく激しい男ではあるのだが。
「そりゃあ、関西弁は関西人の誇りやからな。今の時代はどこにいっても東京、東京や。自分の住んでるとこのことなんか無視して、東京のまねばっかりして生活しとるやろ?言葉も方言なんかダサい言うて捨てて、東京弁ばっかり使とるわな」
この新月の見解には、かなり偏見が含まれている。実際のところ地方に行けば、例えば方言などはまだまだきちんと残っているところが多い。
「何が、ダサい、や。地元で生まれ育った人間が地元の言葉使うて何が悪いんや。そうやって東京の奴隷になって土下座するしか能のない奴の方が、ずっとダサいと思うで、俺は」
新月は本題から大幅にずれて、熱弁をふるった。
「ま、まあね。確かにそうだと思う」
とりあえず、刈田は同意しておくしかなかった。
「でもあれじゃん」
「それや、それ!その「じゃん」ってのがあかんねや!」
「ちょ、ちょっと落ち着けよ。全く……そうそう、具志堅は大阪出身なのに、最近全然関西弁使ってないよね?」
「うーん……そう言われてみれば、そやな」
「さっき新月が言ったみたいな「関西弁は関西人の誇り」って考え方は、みんなが持ってるものなのか?」
「当たり前やがな。そう思うてへん奴なんかな、俺は関西人として認めへんで」
まあ、実際のところ「そう思うてへん奴」はいっぱいいるだろうし、わざわざ新月に認めてもらわなくても、十分に関西で生活していける。
でも、首都圏に出た関西人が地元の言葉を使う割合は他の地域のそれよりもずっと大きい、という事実は確かにある。
「ってことはさ、例えば具志堅がそう思ってるとして使ってないって事は、やっぱり何かあるんじゃないの?」
「何か、ねぇ……そうかもな」
二人はしばらく理由を探ってみたが、しかし当然思い当たるはずもない。
「そういえば、甲子園に言ったときも、あいつ地元に顔出さんかったしな」
一日も早く出身地に出向きたいと騒ぎ、監督を困らせた新月とは正反対の態度を、あの時具志堅は取っていた。
「……ま、人間、それぞれいろいろあるからね」
刈田はごくあいまいなことを言って、この話を一旦打ち切った。
川端西高校から、刈田、新月の家までは遠い。長い居残り練習で疲れ果てた体を引きずる二人の足取りでは、なかなか家までの距離は縮まらなかった。
普通なら自転車で通う距離だ。「甲子園を目指してるのに、自転車なんて邪道や!野球部やったら走らんかい!」との日ごろの豪語を、新月は深く後悔していた。
その語気に気おされて、つられて走行通学をしている刈田は、やり場のない恨みを自らの中で処理していくしかなかった。
だらだらと、二人の球児は帰路を歩んでいく。
しばらくすると、二人は住宅街を抜け出し、割と大きな道路に出た。信号の上には「日出町」と交差点の名前が書かれた看板が乗っている。
信号を渡ると、突然新月は提案した。
「なあ刈田、お前の家って、こっちから行った方が近いんちゃうん?」
新月が指差した先には、かなり薄暗い小路が伸びていた。
「いや、いつもはこっから右に曲がって帰るから……」
刈田の言う方向は、国道沿いに歩いていくルートだ。
「ええやん。たまにはちゃう道通って行った方がおもろいやん」
「でも、新月にしたら遠回りなんじゃない?」
「ん?別にどっちでも変わらんけど」
「だったら無理に行かなくても……」
「あ!もしかしてあれやろ」
新月は、ニヤニヤと笑い出した。
「な、なんだよ」
「もしかしたらこわいんちゃうん?幽霊でるんちゃうんとか、ヤンキーが出て来てカツアゲされるんちゃうん、とか!」
「……んなわけないだろ」
指摘は正しかった。刈田は何とかそれを隠そうとしたが、抑えきれない焦りが余計に新月の好奇心を煽り立てるだけだった。
「お、図星やな。大丈夫やって、幽霊なんかおらへんし、ヤンキーがきよったら逆にボコボコにしたるわ」
「大会前なのに……出場停止になるぞ」
そんなこと無理だ、とは言わなかった。
最近身長が180cmの大台に到達し、「具志堅式」の筋トレもしている新月は、みるみる体格がよくなっている。下手に素手で手を出されても、わけなくやりかえしてしまうだろう。
「まあ、そうなったら正当防衛や。行こうぜ」
「え、ちょっと……」
「大丈夫やって、な」
まるでその気のない女性を無理やり闇に連れ込もうとする男のように、新月は刈田の腕を引っ張っていったが、小路に入るかはいらないかのところでいきなり足を止めた。
新月は小路の暗さに、言い知れぬ悪寒を覚えたのだった。
街灯が一つしかなく、深い闇がしっかりと足を下ろしている小路。
通り沿いに家はおそらくなく、無機質な工場があるだけの寂しい小路。
幽霊、ヤンキー、そんなありふれたものよりもっと恐ろしいものが、通りかかった者を飲み込んでしまいそうな……
「どうした?新月」
「いや、やっぱり……最近の世の中、何があるかわからんからな。普通に行こか」
刈田の腕を解放し、新月は国道沿いに歩いていった。
二人はしばらく、あの深い闇の持っていた波動に、口を閉ざされてしまった。
「最近な」
今度は、新月が沈黙を破った。
「南条のテンション、低いと思わへん?」
「……あいつは元から、十分低いだろ」
刈田の言う通り、南条が騒ぎ立てたり、過剰に意気を上げたりする光景を、見かける事は皆無だった。
試合前の円陣などではさすがに声を張り上げているが、それもやらないと怒られるため仕方なく、といった感じさえする。
いつも目に火をともしている新月とは対照的な性格。だからこそ、南条と新月はなんだかんだ言って一番親しい友達になっているのかもしれない。
「いや、あいつのいつものテンションの低さは、こうひたすらボーッとしてる、って感じやねん。目の前に核ミサイルが降ってきても別に気にしない、みたいな」
「さすがにそれはないと思うけど……」
「このごろのあいつはな、そう……なんか落ち込んでへんか?」
「そう、だな。うん。初めからそう言ってくれればわかったのに」
「まあ、あいつが悩むことって、一つだけしか思いつかへんけどな」
「野球、か」
南条は野球以外のことに対して、本当に無関心だ。テレビの話題や最近のCDの話題などにはもちろんついていけない。かといって、野球にものめりこんでいる感じはあまりしないのだが……
「やっぱりあれだろ?だいぶ調子悪いし、レギュラーも危ないからじゃない?」
特にピッチングの面で、南条は最近芳しい成績を残せていない。いや、最悪といってもいいかもしれない。
四月からここまで、合計八試合の練習試合を行っていて、南条は六試合に登板した。しかしそのどれもが、無失点で切り抜けられない、不満の残る投球だった。
まず、フォームが崩れている。それを無理やり直そうと意識すると、今度は球威が落ちる。球威を取り戻そうとすると、またもやフォームが崩れる……どうしようもない悪循環に、南条は陥ってしまっているらしい。
そしてピッチングの絶不調は、最近徐々に打撃をも蝕み始めている。持ち前のシャープな振りが見られず、練習試合や実戦打撃で飛距離、確実性、共に目に見えて落ちている。
「まあ、貴史はまだ一年生やから、もしかしたら実戦でこけるかもしれんし、サードは割りとレギュラーも狙えるかも知れんけど」
「こける……か?」
「いやまあ、ほぼありえへんけどな……」
新月はばつが悪そうに言葉を止めてしまった。
金田貴史は練習試合などで、まったく気負った様子もなく順調に安打を量産し続けている。この男が、いくら本番の予選といっても、緊張して打てなくなると言う事はほとんどなさそうだった。
「うん、だからあれや、比較的楽や、っちゅうことや。投手のレギュラーを狙うことに比べたらな」
「確かにね。土方さんを越えるのはね……」
この人も、練習試合で圧倒的な力を見せつけ続けている。球威、制球、投球の多彩さ、どの要素もまだまだ目を見張るほどの成長を続けており、背番号1が土方さん意外の背中に付けられるという事態はまず考えられない。
「あれやろ、土方さん、今度雑誌にも載るんやろ?」
「ああ、あれね。『甲子園の星たち』。まあ新島で一番の注目選手といえば、やっぱりあの人だろうから」
「ええなあ。俺もそんな選手になってみたいわ……」
常に自信満々の振る舞いをしている新月も、この人に対してはただただ畏敬の念を送るしかないようだ。
「土方さんは、右で投げても速いって知ってる?」
刈田はさらに土方さん賞賛の話題に色を添えるため、そんなことを口にした。
「え?そうなん?」
「うん。前休憩時間にやってたんだけど、たぶん俺より速いと思う」
「つくづくすごいなぁ。打撃もええしな。もう言うことなしやがな。……そんな人と同じ場所で戦ってたんやから、南条も落ち込むわけやな」
新月は再び当初の話題に方向を戻した。しかし刈田は同意せず、
「でもさ、まず一年で甲子園に出れたってこと自体がものすごいラッキーだし、二年生でレギュラー候補になれることもそんなに当然なことじゃないだろ?世の中には三年間万年ベンチにも入れない人だっているんだから、二年生の時点でレギュラー落ちしそうだからって、いきなり落ち込むのは単なるわがままだと思うけどな」
「……それは、俺らがなんだかんだ言っても結局はレギュラーになれそうやから、偉そうに言えるだけかも知れんで」
「まあ確かにそうかもしれないけどさ。でも俺がそういう立場だったら……たぶん、また秋か来年の夏に出られればいいや、って諦めるけどな。第一、それが一番普通だと思うしね」
刈田は確信を持って言い切ったが、それでも新月の顔はまだ晴れていなかった。
ややうつむいて、新月は重々しく口を開いた。
「諦めるんは、あいつの得意技や。それが出来てないから、なんかものすごく心配なんやけどな」
その言葉に合わせて、新月の様子もしおれてしまっていた。
刈田は、自分の考えを曲げる事はなかったが、それでも少しずつ南条への心配が募っていった。
もうすぐ、刈田の家に着く。新月の家はさらにその先だが。
このまま押し黙っておくには少し疲れる距離だ。先ほどから、新月は柄にもなく難しい表情を浮かべながら歩いている。
「でもさ、やっぱり女子のマネージャーっていいよね」
刈田はつとめて明るく、話題を切り出した。
今さら、という感じもしたが、しかし最も楽に話せることのはずだ、と刈田は考えた。
「……俺は、あのマネージャーは嫌や」
しかし今度は、刈田の試みは失敗してしまった。
「そう?仕事はきっちりやるし、助かるけどね」
「いや、あの水本沙織っちゅう女はな、マネージャーとしての一番大事な仕事をこなせてない」
いきなり、新月の目が光を取り戻した。またもや怒りをあらわにするつもりなのだろう。
「大事な仕事って?」
「癒しや、癒し!こう練習に疲れた選手たちをやな、とろけるような笑顔で癒してくれる、それがマネージャーにとって必要不可欠な仕事や!」
「また無茶なことを……」
「俺はな、中学時代はリトルシニアで女子のマネージャーなんかおらんかったから、高校になってやっと青春できる思てやな、でもバタ西にはマネージャーがおらんかって……で、いざ初の女子マネージャーが来たらあれや、ふざけんのもたいがいにせえよ!」
「ふざけてんのはお前だよ……」
どうやら、新月は「女子マネージャー」という存在に対して決定的な誤認を抱いていたらしい。まあ経歴を聞いたところ、仕方ないような気もしてきたが……
「……ってことをな、この前南条にも言うたんや」
「え?そうなの?」
「そしたらあいつ、沙織さんは頑張ってる、何事にも一生懸命にやってるし、本当にチームのためにマネージャーやってくれてるんだと思う、だから文句言ったらダメだ、とかほざきよってな」
「まあ、順当な意見だと思うけど」
「あいつはほんまにノロマやからな、癒しとか可愛さとかそういうことが全然わかってないんや。水本って、全然可愛ないやろ?」
「うーん……」
あまりの直球勝負でそう聞かれると、刈田は答えに迷ってしまった。
確かに、水本沙織には愛嬌というものが全然ない。笑ったり、明るく声を立てたり、そう言ったことがほとんど見受けられない。そういう面では、確かに新月の言うことも道理だろう。
しかしそれは単に落ち着いてるだけだといえばそうだし(いや、やはり落ち着きすぎだろうか)、それにやはり……
思考のループをさまよう刈田を無視して、新月は続けた。
「ってことをな、この前南条にも聞いたんや」
「え?また?」
「そしたらあいつな、でも、綺麗だよね、とか言いおってな。なんやそれ。まず、あいつの口から「綺麗」とか言う言葉が出ること自体があかん!」
「確かに似合わないけど、ダメって事は……」
「ああ、なんかイライラしてきた!さっきの心配は撤回や!あんな適当な奴、どうにでもなったらええんや!」
「あのー、新月」
刈田は、非常に言い出しにくそうに新月を見上げた。
「そろそろ俺の家なんだけど」
「……あ、ほんまやな。そっちの道やったな」
「まあ、とりあえず頭冷やしとけよ」
「そやな」
「じゃ、また明日」
「おう」
新月は、さっきの怒りはなんだったのかと問いただしたいほど、曇り一つない表情で刈田と別れた。
まったく、疲れるやつだ……
刈田はまた呆れながらも、少しだけ笑いを抑えながら家へと向かった。
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