7月26日。夏の新島県予選大会準々決勝。

 今日は、新島県最大の球場、新陽球場で戦いが執り行われる。順調に行けば、あさっても決勝戦もここで戦うことになるだろう。

 対戦相手は南海大学付属沢見高校。いよいよ、優勝候補の一角がお出ましになる。

 率直に言って、ここまでの三勝は、バタ西にとって予定圏内のものであった。戦う前にそんなことを言うと足元をすくいかねないので、誰もが必死で一戦一戦に力を注いでいたが、終わってから振り返ってみればやはり勝たなければいけない相手たちだった。

 強敵を目前として意気揚々の部員達の中で、いち早くグラウンドに出てキャッチボールを行っているのは、関西出身の二年生、新月と具志堅だ。

 新月が軽快にボールをリリースすると、具志堅のファーストミットが心地よい音を立ててはじける。ショートからファーストまでより、少し遠い間隔でのキャッチボール。この二人にとっては何ということのない距離だが、野球を本格的にやっていない人であれば、山なりでも正確な返球は難しいかもしれない。

 だいたい、肩は動いてきた。

 それを確認すると、新月は徐々に具志堅との距離を縮めていった。

「なあ、新月」

 具志堅が、ミットから白球を取り出しながら呼びかけた。

「ん?なんや?」

「確か今日の相手の中に、お前の元知り合いがいるんだよな?」

「ああ。ピッチャーの弓射(ゆみうち)な」

 新月は答えながらも、ある時からずっと持っている違和感を再び意識していた。

 具志堅は、完全に「東京弁」になっている。

 まだ関西を離れて一年たらずのはずなのに、この事態は新月にとってかなり異常なことに思えていた。

 ただ、その理由を問いただす機会を、新月はなかなかつかみかねている。

「やっぱり、そいつも大阪のやつか」

「そらそうや。地元のリトルシニアの知り合いやからな」

「あっ、そうか。お前、リトルシニアの出身だったな……」

 具志堅はなぜか、ほっとしたような口調でそう言った。

 何かあるに違いない。新月は疑問を抱いた。

 ボールが二往復した後、新月はかなり信頼できそうな答えを見つけた。

「もしかしてあれか、お前の知ってるやつが、付属沢見におるかどうか、ってことか?」

「ああ。まあ、そんな感じ……」

 もし弓射のようにリトルシニア出身の選手ばかりで構成されているなら、普通の中学軟式リーグ出身の具志堅に、知り合いはいない。

 だが新月の知る限り、そういったことはないはずだった。

「確か、普通のリーグのやつもおったはずやで。もしかしたら、お前も懐かしい顔に合えるかもな!」

 新月は自分も喜びを共有しようと、極めて明るく言ったが、具志堅は同調しなかった。

 むしろ、先ほどより表情が沈んでいる気さえする。

 こいつには、ようわからんところが多い。突き詰めるのは、大会が終わってからにしよう。

 新月はあいまいながらもそう結論付けて、キャッチボールを続けた。

 

 真相は、思いがけないところで明らかになった。

 具志堅と新月が共にベンチへ戻る途中、一塁ベース付近で弓射に出くわしたのだった。

「よう。弓射、久しぶりやな」

 新月が声をかけると、弓射も気軽に返してきた。

「ああ。間近で見るのは一年ぶりやからな」

 弓射もいまだ、関西弁を使い続けているらしい。変なところで、関西人はこだわりをもっている。

「しっかし、新月。でかなったなあ」

「ん?前にメールで送らへんかった?180に届いたって」

「ああ、それは知っとったけど……間近で見ると、やっぱりびっくりするな。明らかに伸びすぎやろ。」

 弓射が目を丸くするのも無理はない。新月は昨年の入学当初から今まで、14cmもの成長を記録しているのだ。どこまで伸びるのだろうかと楽しみつつも、新月は最近自分の体に恐怖さえ覚え始めている。

 だがここでは、新月はあくまでも快活に、弓射の驚きを笑い飛ばした。

「となりの君は誰?」

「俺か?」

 弓射の右隣に立っている、少し小さめの男に新月はたずねた。

 先ほどからこの男は、新月の横の具志堅をしきりに盗み見ている。そう、なぜか正視しようとしないのだ。

「当たり前や。君以外におらんやろ」

「俺は加瀬。ポジションは外野手」

 加瀬、と称した男はごく簡潔に答え、相変わらず具志堅の方に注意を向けていた。

「ん?どうしたん?こいつが気になるんか?」

「まあ、ちょっと……」

 新月は、紹介するために改めて具志堅の方に目を向けた。すると、具志堅の表情もこわばってしまっている。

「こいつは具志堅。うちのファーストで、一番の筋肉バカや」

 軽口をたたいてみたが、加瀬の反応はすこぶるよくない。打ち解けるどころか、むしろ後方に体を引こうとしているようにも見える。

 しまった、スベッたか……

 新月は軽く舌打ちして失敗を流そうとしたが、次に出てきた加瀬の言葉は全く予想外のものだった。

「……具志堅って、まさか千島中の具志堅か!」

 加瀬は不意にそう叫んだ。それに鞭打たれるように、具志堅の表情が一気に固まった。

 両者、にらみ合いのような格好で、無言のまま立ち尽くしている。

 あまりの緊張感に耐えかねた新月が、何かを言おうとしたその時、バタ西ベンチの方からキャプテンの声が飛んできた。

「おい!新月、具志堅!どっちか来てくれ!」

「俺が行く……はい!」

 まるで新月を制そうとするかのように、具志堅は素早い反応を見せてキャプテンに駆け寄って行った。

 

 事情の全くわからない新月、そして弓射はしばらく言葉を失っていた。

「ちょっと……悪いことしてしまったかもな」

 加瀬が、後悔したような顔でつぶやいた。

「なあ、加瀬。いったいどういうことや?お前、具志堅と知り合いなんか?」

 新月はごく当然の問いをぶつけてみたが、加瀬はしばし思案してから答えた。

「いや、知り合いじゃない。でも、顔は見たことがある。たぶん、試合したこともあった。どっかで見たことあると思ったけど……やっぱり、そうだったんだな……」

「だから、どういうことやねん、それは!千島中って、何なんや?」

「そうか……弓射と同じで、あんたもリトルシニアだったんだな。中学の頃は」

「そや。それがどうしてん?」

「だから知らないんだ。千島中の具志堅、って名前を。大阪の中学の、普通の軟式をやってたヤツなら大抵知ってるはずだ」

「お前が、そうなんか?」

 加瀬は完全に標準語をしゃべっている。東京に行こうがインドに行こうが関西人は関西弁を使う、と信じきっている新月には、加瀬の出身地が大阪だという事は見当もつかなかった。

「そう。だから、あの事件の噂もよく聞いてる」

「事件?もしかして、具志堅が起こしたんか?」

「まあ、そうとも言えるし、そうとも言えないらしいし……とにかく俺は噂で聞いたから、詳しい事までは知らないけど……」

 そして、加瀬の口から、驚くべき具志堅の過去が日の目に出された。

 ごくごく慎重に。しかし、強烈な破壊力を込めて、加瀬は「噂」を少しずつ話していった。

 全神経を集めてその一語一語を聞いていた新月だったが、加瀬が語り終わってもまだ信じられないようだった。

「うそやん……あいつが、ほんまにそんなこと……?」

「しつこく言っとくけど、あくまでも噂の範囲だ。正確なことは知らん。後で責められても、責任は取れないからな」

 加瀬は周囲に目を配りながら、過剰なほどに念を押した。それほど、加瀬の口から語られた「噂」は衝撃的なものだったのだ。

「わかった。ありがとう。よし、これは直接本人に……」

「やめとけ!」

 持ち前の好奇心に動かされて今にも走り出していきそうな新月を、弓射は強い口調で止めた。彼も、この話にはかなり驚いているらしい。

「今は試合前だ。そんなことを変に掘り返して、あいつが打てなくなったらどうするんだ」

「……そやな。その通りやな」

 真偽はともかく、このような事を問いただせば、具志堅に激しい動揺を与えてしまうのは間違いないだろう。そこまで頭が回らなかった新月は、あと一歩のところで地雷を踏まなかったことに、ほっと胸をなでおろした。

「とにかく、どっちにしてもそのうちわかることやろ。たぶんな。今、慌てて蒸し返さんでもええやろ」

 弓射は、しっかりと新月を諭した。

 あっさりと納得して踏みとどまったあと、新月は弓射の顔を無言のまましばらく見つめた。

「な、なんや、新月」

「……いや、人間、一年も経ったら変わるもんやなぁ、と思って」

 新月は、昨年のちょうど同じ時期の弓射と、目の前の弓射を対比していたのだ。

「一年前は、バタ西のことなめきってて、思いっきりえばりくさっとったのにな。今はこうやって相手チームの心配までしてくれとる」

「まあ、確かに去年の俺やったら……すすんで焚きつけて、バタ西の戦力を下げようとしたかもな」

 弓射は指摘を素直に認めた。そして、弓射は自らの変化の理由を語り始めた。

「去年、バタ西に惨敗したあと、俺らは監督に言われたんや。「お前たちは決してエリートじゃない。思いっきり野球ができるよう、親の負担で遠くに住ませてもらってる一高校生だ。だから、お前たちは死に物狂いで野球をやらなきゃならない」ってな。まあ実際のところは結構学費免除されてるし、監督の言ったこともちょっと無理やりぎみやってんけど……あのときの俺らには、そんな事関係なかった」

 弓射はさらに表情を引き締め、続けた。

「あれから俺らは、今までの変な誇りを全部捨てて、必死で練習してきた。去年と同じチームやと思ったら、痛い目も会うで、新月」

 不敵な言葉を受け、新月も力強く返答した。

「当然や。全力で、沈めさせてもらうで」

「できるもんならな」

 二人は口端に笑みを浮かべ、拳をぶつけ合って別れた。

 もう、グラウンドにもスタンドにも、大勢の人が入ってきている。バックネットに控える、ノートやスピードガンなどを手にした大人たちの数は、準決勝よりさらに増えているようだ。

 いよいよ、この大会の鍵となる二校が、死力を賭けてぶつかり合う。

 一年越しの顔合わせ。両チームはそれぞれのベンチ前で円陣を組み、気勢をみなぎらせた叫び声を放って、グラウンドへと飛び出した。

 

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