挑戦

 

 島田さん、という三年生がいる。昨年の夏から今年の夏まで、バタ西打線一番打者の地位をほとんど不動のものとしていた外野手だ。

 トップバッターでありながら小細工は一切なし。それほど大きくない体から放たれる強烈な打球で相手を脅かすのが主な仕事だった。その代償として、三振の数も非常に多かったが。

 新チームのキャプテン新月はその座を受け継いだ。監督は彼のずば抜けた走力を買って、当分一番に固定するつもりのようだ。

 といっても、自分に島田さんと同じ役目は果たせないと新月は覚悟していた。

 決して非力なわけではない。ずっと続けてきた筋トレと素振り、異常なまでに成長した体格、そして左打者転向が成功したおかげで、今ではチーム内の多くの投手からホームランを放てるまでになっていた。

 実戦となると話が違う。どんな場であろうとボールを無理矢理押し切ってしまう力と、みなぎる気合、それに過剰なまでの自信がなければ、あの島田さんのような先頭打者ホームランを狙うことはできない。ましてや今日の相手は夏春連破のエース、大河内だ。

 左打席に入ってバットを立てる。右足を少し後ろに引く。最近はじめたオープンスタンス気味の構え。
 マウンド上の大河内は、身近な人間でたとえると南条より少し大きいぐらいの体格だ。その南条が取り違えていたように、ぱっと見た様子では普通のスポーツマンにすぎない。現段階では、思っていたほどの威圧を感じない。

「あ、今日はよろしくお願いします」

 大河内をまじまじと観察する新月の後ろから、ややキーの高い声がした。

 七条高校のキャッチャー、伏見俊介。背は低い。身長164cmと野球部員としては小さいバタ西の二塁手、刈田よりさらに小さいのではないだろうか。少なくともキャッチャーの体格には見えない。

「あ、どうもどうも。よろしくな」

 新月は律儀に挨拶を返した。敬語でないのは、伏見が一年生だからだ。それで大河内とバッテリーを組んでいるということは、伏見もそれなりの実力者なのだろう。

「プレイボーッ!!」

 主審が右手を突き上げ試合開始の宣告をする。

 一瞬のうちに、大河内の表情が変わった。「地元の兄ちゃん」と見間違えられた陽気な風貌が消えた。

 帽子の下からギロリと眼を向けられた新月は、不覚にも身震いしてしまった。

 サインを一度で確認し、大河内は両手を振りかぶって頭の後ろに回す。

 それほど間をためずに左つま先を三塁側に向け、左足を上げる。

 ひざの位置は太ももの中間ぐらい。あまり高くない。ひざに付けた両腕は伸びている。

 そのまま右腕を後ろにもって行き、投げる体制に入る。名前の割には普通のフォームやな、とのんきな考えがバッター新月の頭をかすめた瞬間に、ボールは放たれた。

「シュァァーー・・・・・・・バンッ!!」 

「ストライーッ!」

 内角いっぱいをえぐりこむストレート。高さはベルトのあたり。

 速い。

 新月の思考が一瞬止まった。今まで当たったどの投手とも違う。このとき分かったのはそれだけだった。

 なぜかキャッチャー伏見の動きも止まった。5秒間ほどボールを受け止めた体制のまま固まっていた。主審からの注意を受けてあわてて大河内にボールを返球した。

「ど、どないしたんや?」

「あ、すみません……」

 不審な顔でたずねる新月に対して、伏見はミットを見ながら答えた。

「実は僕、実戦で大河内さんの球を受けるの初めてなんです。だから感動して……」

「へえ……」

 伏見は速球の余韻を味わうように右手をミットに当て、元の位置に腰を落とした。もしかしたらこの伏見は、七条高校の正捕手ではないのかもしれない。うちが点を取るとしたら、その辺から崩せるかもな、と新月は先を読み、バットを構えた。

 ワインドアップモーションから放たれた第二球目。

「シュァァーー・・・」

 新月の胸元に、球が大きくなって迫ってきた。

「・・・・バンッ!!」 

「ストライッ!」

 とりあえず一回振っておこうと考えていた新月も、手元で伸びるインハイへの直球に全く反応できなかった。

 新月はこれまでにも球の速い投手と対戦してきた。自校のグラウンドで、新島の球場で、今年の春、甲子園で。しかし誰一人、このような直球を投げるピッチャーはいなかった。

 このような、とは、どのような球だろう?それを報告するのが一番打者の役目なのだが。

 新月の思いとはよそに、大河内は三回目のモーションに入っていた。サイン交換はすこぶる順調だ。

 次は絶対振ろう。ファールぐらいは打たな、どうにもならん。

 風を切って、ストライクゾーンのど真ん中にストレートが伸びて来た。

 新月のバットは、球の軌道のはるか下を通り過ぎた。審判がかん高い声でアウトを叫び、新月の第一打席は終了した。

 続くバタ西の二番打者はライトの庄司。今回初めて背番号を、それも一ケタの数字を与えられた二年生だ。

 夏には少し太ももを痛めていたこと、それに「一芸」を重視する角田監督の戦略から一年生の板橋がベンチ入りしたが、打撃や守備など総合的な実力で言えばこの庄司のほうが上だろう。

 

 ベンチ(練習試合なので、その名の通りグラウンドに長いすを置いただけなのだが)では三球三振に打ち取られた新月が憮然と座っていた。

「……どうだった、大河内の球?」

 新月の隣の空間に南条が滑り込み、たずねる。新月はしばらく考えてから、短く答えた。

「速かった」

「……それだけ?」

「おう。なんつーか……速かった。近くに来れば来るほどスピードが増してくる感じやな……」

 今の新月にはそう表現するのが精一杯だった。打撃というものは、ある程度球種を絞って、球が放たれてからコースや球種を判断して、バットを振る。先ほどの新月はその「判断する」という過程が全くとれなかったのだ。

 手元に近づいてくればくるほどスピードが増してくる気がした。こんな感覚は初めてだった。

「確かになあ……143キロ、141キロ、141キロ、だって」

「マジで?」

 この三つの数字は新月への三球をマネージャーが測定したスピードだ。新月は南条をじっと見つめて、ため息をついた。

「同じ高校生やんなあ……」

「な、なんだよ今の間は」

 南条は少しムッときたが、事実なので仕方がない。時速143キロというのは、南条が今までに記録した最高球速だった。それを一人目のバッターで、怪我明けの状態でたたき出してしまう、南条と同級生の大河内。

 お前だってこんなに下のとこを振ってたじゃないか、と新月の空振りの有様を両手で示してやろうかとも思ったが、そうしてやりあっても何にもならない。

「ま、その辺の分析はあいつに任せよや」

 新月がグラウンドに向けた視線の先ではアウトカウントが一つ増え、すでに三番の金田貴史が打席に入っていた。

 

 実はバッターボックスに来るまで、貴史はまぶたの重さに苦しんでいた。昨夜眠れなかった理由は一つ。現在の高校球界最高のピッチャー、大河内との対戦に興奮していたためだ。

 だからこうしてマウンド上の大河内を目の前にすると、眠気はすっかり吹き飛び心拍数が高まった。

 興奮すべきは大河内だけではない。バットを構える貴史の右側にいる伏見。まさかこいつが七条高校に来ているとは。新月はじめ二年生たちは知らないらしいが、こいつはこいつでただ者ではない。

 いつも打席では鋭い視線を浮かべるだけの貴史の口元に、自然と笑みがせりあがってきていた。相手にとってはさぞ気味が悪いことだろう。

 大河内はサインにうなずき、伸びやかに両手を上げてモーションを始めた。無駄のない動きから白球がピシッとはじかれる。

「シュァァーー・・・」

 日本一の速球が、貴史の胸元、いや、胸板に向かって迫ってきた。貴史はとっさに身をのけぞらせる。

「だ、大丈夫ですか!」

 勢いあまって尻餅をついてしまった貴史に、マスクをはずした伏見が心配そうに声をかけた。恐ろしい球だった。運動神経の塊のような打者でなかったなら、しゃれにならない負傷を受けていただろう。

「別に怪我はない」

 白々しい、と内心つぶやきながら立ち上がり、ピッチャー大河内の方を見る。高校球児らしく帽子を取っているが、目は謝っていない。口の端は少しつりあがっているようにさえ見える。

 これが、一部の高校野球ファンの間で論議になっている大河内のブラッシュボールだ。彼は強力だと認めた打者をこうして脅かし、投球を有利に進めていく。

 アマチュア精神に反する、との怒りの声が今のところ優勢を占めているが、世界で活躍する投手が育つためには今からそういう勝負心を持っていてもいいじゃないか、と大河内の戦術に賛成するファンもいる。

 どっちにしても、俺は強力な打者だと認められたわけだな。

 貴史は妙な喜びを覚えたが、それで満足するわけにはいかない。

 静かな闘志を改めて燃え上がらせた貴史を、大河内はいとも簡単に翻弄していった。

 二球目、内角への甘いストレート。甘い、というところがポイントだ。いくら合理的な審判でも、危険球の後では内角ギリギリのボールをとるわけにはいかない。一方の打者は、まさかこんなボールのあとに内角にくるはずがないと思っている。その中間をとっての配球だ。

 三球目は低め、四球目は外角いっぱいへのストレートで見逃しの三振。

 柄にもなく集中力を乱されたことも災いしたが、そもそもタイミングを合わせることができない。貴史にとってこのような打席は久しぶりだった。相手は同じようなスピードのストレートしか投げていないのに。

 大河内は10球で初回を終えた。まさに両者の格の違いを見せつける、鮮烈なスタートだった。

 

 一回裏、投球練習を終えた南条の背中を、キャプテン新月は力強くたたいていた。

「俺たち打線がふがいないせいで大河内がムダにすごく見えて焦っとるかもしれんけどな、お前だって普通のレベルからしたらずっとええピッチャーなんやから、な。のんきなお前のことやから心配ないとは思うけど、いつもどおり投げたら大丈夫やって」

「……わかったわかった。いいから守備位置戻れよ」

 ショートは内野のリーダーであることが多く、ピンチを迎えた投手に率先して励ましを与える場面も良く見られるが、投球前に話しかけることは普通ない。元気付けようとしてくれる気持ちはありがたいのだが、南条は人のピッチングを見て闘志を燃やしたり、逆に落ち込んだりするような男ではない。あくまでマイペースなのが彼の持ち味だ。

 ただ、あれが高校トップクラスの投手だということを思うと、かつてのライバルの影が頭の隅をチラッとよぎったのだが。

 「しまっていくでー!」と新月の珍妙な掛け声を聞いて、野手たちはボール回しをやめそれぞれの守備位置に体を落ち着けた。

 左のバッターボックスに一番打者が入る。キャッチャー、伏見。ポジションを考えても学年を考えてもかなり大胆な器用であることは間違いない。

 伏見は打席でも、帽子を脱いで律儀に挨拶をしていた。

 主審の手が挙がり、イニングが始まった。

 南条はバタ西のキャッチャー、後藤の出すサインをのぞきこむ。

 後藤は二年生で、春の時点から控え捕手としてベンチ入りしている。前の正捕手藤谷さんのように、膨大なデータに基づいたリードとキレのいいインサイドワークを期待することはできないが、肩の強さは魅力だ。

 そんな後藤が初球に選んだのは外角へのストレート。無難な入り方だ。

 まずはストライクをとらないと、そんな当たり前のことを思い浮かべつつ、両腕を振りかぶった。

 グラブを顔の前に起き、右足を上げる。ためた力を解放し、小さな左打者伏見に向かって白球を放つ。

「シューーーーーー・・・・・・・」

 相変わらずボールが指にかかりきらない。それでもなかなか正確にミットへ向かうボールを、

「キンッ!」

 伏見は短く持ったバットで早速たたきつけた。振り切るか振り切らないかのうちに一塁へ向かって走り出した。

 三塁線。夏の日差しに乾かされたグラウンドで、白球は大きく跳ねた。

 「オーライ!」
 サードの貴史がダッシュしてボールが落ちてくるのを待った。表情が心なしかいらだっている。

 待ちきれなかったのか、貴史は少しかかとを上げて捕球し、すばやく一塁に送球した。ボールはスパンッ、と軽快な音を立ててファースト具志堅のミットに納まった。

 伏見がベースを踏んだ少しあとに。

「セーフ!」

 弾丸のように駆け抜けた伏見は、少し得意そうな顔をして一塁ベースへと戻っていった。

「は、速い……!」

 初球を内野安打にされた南条は伏見に目をやったままあぜんとした。いくらバウンドが高かったとはいえ、今の当たりがセーフになるとは。たとえバッターが新月でも微妙なタイミングだったはずだ。

 マウンドを降りたところで少し立ち止まっていた南条に、サードの貴史が謝りに来た。

「すみません、南条さん」

「え……?いや、うん。今のは仕方ない。さっきぐらいすばやく球をさばいたら普通はアウトだって」

「いや、バッターが伏見だからもっと前進しておくべきだったんですが……」

 貴史は少し引っかかるセリフを残して三塁へと帰っていったが、その時の南条は特に気がつかなかった。

 ノーアウト一塁。エース大河内、そしておそらくこの回対戦するであろう中軸の柴という二人のスターを抱える七条高校は、意外に手堅い野球をすることでも知られている。

 バッターは二番の鴨岸。ここは当然……

「コンッ」

 三塁への正確なバント。1−1からの外よりのストレートを無難に転がした。備えてやや前進していたサード貴史が落ち着いてボールを処理する。

 セカンドには俊足の伏見が滑り込む。もちろん投げても間に合わない。確実に一塁へとボールを送り、まずは1アウト二塁とした。

 七条高校はわずか4球で得点圏にランナーを進めてしまった。ここで迎えるのは3番打者、ピッチャーの大河内。二度ほど素振りをして左打席へと入る。

 大河内の野球センスは打撃の面でもいかんなく発揮されている。過去二度の甲子園でいずれも三割を越す打率を残し、通算で三本のホームランを放っている強打者だ。

 打席上でも大河内の表情は鋭利だ。視線の切っ先が投手の心臓をえぐる。南条はいままでいろいろな強打者と戦う前にそうしてきたように、ふうっと息をついて呼吸を整えた。

 二塁ランナーを少しだけ見て投球態勢に入る。あれだけの俊足だから三塁に盗塁される危険性も無視できないが、それはキャッチャーも考慮に入れているはずだ。

 グラブを胸の前に置いた状態から足を少し上げ、ボールを放った。

「シューーーーーー・・・・・・・・バンッ!」

 大河内は反応しない。

「ストライッ!」

 直球は外角の、キャッチャー後藤の構えたミットよりやや高めに届いた。打てないコースではない。まずは様子見だろう。

 続く二球目も、サインはストレート。

「シューーーーーー・・・・・・・・バンッ!」

 審判の手は挙がらない。真ん中ひざ下のボール球。

 これでいい。まずは慎重に打ち取ろう。

 キャッチャーからの返球を受け、右のかかとでピッチングプレートを抑えながら三球目のサインを覗き込む。

 内角低めへのカーブ。この試合始めて投げる変化球だ。いくらデータ収集に熱心な大河内とはいえ、それなりにキレのある南条のカーブにタイミングを合わせていくのは難しいだろう。

 ここはストライクを取るべき場面。そう心に決めて、南条はセットポジションからカーブを投げた。

「シューーーーーーーー・・・・・・・・・・・」

 少し高めに浮いた。大河内の右ひじがピクッと反応した。

「キンッ!!」

 ボールを体にひきつけながらも少し早めに振り抜かれた打球が一塁線上を飛ぶ。南条が一塁に目を向けたのとほぼ同時に白球はファースト具志堅のミットに納まった。

 ファーストライナー。具志堅はランナーが少し飛び出した二塁に送球したが、ショート新月のタッチが遅れて刺すことはできなかった。

「……ちくしょう。ま、ええわ。南条、2アウトやで!きっちり抑えていこや!」

 ベンチに帰ったらまた刈田の小言が待っとるな、と悔しい気持ちを晴らすかのように、新月は親指と小指を立てた右手を上げて叫んだ。

 南条も右手を上げて応える。それにしても凄まじい打球速度だった。その辺りのバッターが放てる当たりではない。

 できるだけ打球の残存を記憶から消すよう努めながら、南条は次のバッターに向かった。

 四番レフト、柴。

 夏春連覇の七条高校を支えたもう一つの原動力だ。左打席に入って、後方にバットを寝かせる。身長は南条より少し低いぐらいなのだが、普通よりも長いバットをグリップに少し小指をかけて握っているので大きく見える。

 グラウンドはやけに静かになっていた。先頭の伏見や先ほどの大河内などに声援を浴びせていた七条高校ベンチが声を潜めたためだ。

 こいつに余計なアドバイスはいらない、と七条のメンバーが信頼しているのか、あるいは柴自身、バタ西の貴史のように騒音がきらいなのか、理由はわからない。いずれにせよ、嫌な緊張感が南条を襲っているのは確かだった

「ビビるな、南条、押していけ!」

 重い空気を打ち破らんとして新月が声を張り上げる。他のバタ西の野手たちも呼応して声を上げる。

 一回から何もそんなに張り詰めなくても、と内心やや毒づきながらも、南条は野手たちに感謝した。

 キャッチャー後藤から、一球目のサインは低目いっぱいへのストレート。

「シューーーーーー・・・・・・・」

 今度は思い通りにいった。

 南条がそう思った矢先、柴の長いバットがひざ上の球をとらえた。

「カキンッ!!」

 打球はショート新月の頭上を越えた。

 つまり少し流し気味に打ったのだが、ライナーは桁違いの速さで外野に着地した。

 七条の三塁ベースコーチはためらいなく腕を回転させる。左中間への二塁打コース間違いなし、と判断したのだろう。

 予想は外れた。バタ西のセンターはこちらも快速の板橋。体の小回りを存分に利かせて定位置を少し越えたあたりでボールに追いついた。しかし板橋の体はフェンスを向いている。それを見たベースコーチは二塁ランナー伏見を本塁に突っ込ませた。

 板橋はフェンス方向へ数歩走った後、体を切り返し中継に入ったショートに送球。すでにランナーは三塁を回っている。

 板橋の球を受けた新月はキャッチャーに向かって全力のストレートを投げ込んだ。

 スピードは十分。だがコースが高かった。

 つま先を立て、目いっぱいに手を伸ばして捕球するキャッチャー後藤の足元にランナー伏見が滑り込んだ。後藤はすぐさまミットを振り下ろしたが……

「……セーフ!」

 七条高校、一点先制。

 殊勲のランナー伏見は両手を上げ、これが王者の戦いだといわんばかりに誇らしげな様子で待ち構える七条ベンチに駆け戻っていった。

 

 バタ西のバッテリーと内野手たちは早くもマウンド上に集まった。柴の打席が終わっても、全国を制した七条高校打線相手に気を抜くことはできない。下手をすると大量失点に繋がりかねない場面での判断だった。

「みんな、すまん!」

 メンバーの顔がそろうなり、新月はグラブと右手をあわせて謝った。心持ち、体をセカンド刈田のほうに向けて。

「うーん、まあ、今回のはまだ仕方がない。確かに送球は高かったけど……落ち着いて投げろ、ともいえない状況だったからなあ……お前の肩でもギリギリのタイミングだったし」

「あ、やっぱりそうか」

 さっと表情を明るくして顔を上げる新月に、刈田はすばやく言い放った。

「それでも反射的にきちんと送球できるように練習しないとダメだ、内野手は」

「へ、へえ、すんません!コーチ!」

 最近の新月は自分の実力を謙虚に認めはじめ、守備に関しては刈田の言うことを前面に受け入れるようになっていた。

「それはともかく」

 二人のやり取りを背にして、南条が不安を漏らした。

「初回からこんなに捉えられるとはなあ……どうしようか……」

 帽子を脱ぎ、ユニフォームの裾で汗をぬぐう。柴に投げた一球は失投ではない。もう一度投げろといわれてもそう簡単にはうまくいかないような低めのいいコースに、ボールは向かっていたはずだった。

「ボールが高くて打たれるならまだ納得できるんだけどな……」

 腑に落ちない顔でつぶやく南条をはげましたのは、サードの貴史だった。

「いや、今の二打席のことは気にしないほうがいいですよ」

「……どういうこと?」

「あの二人は別格です。噂には聞いていましたが……最初からあれだけ迷いのないスイングができてしかもボールをきちんと捉えられる打者は、少なくとも新島にはほとんどいません」

 その好打者の一人に間違いなく入るであろう貴史が言うと、妙に説得力のある言葉だった。

「球は十分走ってますよ。大河内が打ったカーブだってよく沈んでましたし」

「そういうことを言うのは俺の役目なんだけどなあ……まあ、いいけど」

 キャッチャーの後藤はそう言って苦笑した。そんな激励を送られたら俺の出る幕がないじゃないか、と。

「とりあえず戻りましょう。少しぐらいの失点は大丈夫ですよ……次は絶対に打ちますから」

 表情には出さないが、貴史自身も先ほど大河内に打ち取られたことがかなり悔しいようだ。芯の入った声を聞いて、南条も少し自信を回復した。

 内野手たちはそれぞれの守備位置に戻っていった。

 2アウトランナー二塁。

 続く五番の仁戸もヒットを放ったが、ごく弱い当たりが判断に迷ったライトの前に落ちただけのものだった。球威では南条が勝っていた。

 ひとまず手ごたえをつかんだ南条は、ランナーを三塁に置きながらも、あせることなく六番打者をセカンドゴロに打ち取った。

 一回の裏終了、0−1で七条高校のリード。覇者への挑戦が始まった。

 

 

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