カウント2−1。五番打者の南条は狙い球を絞っていた。

 2回表、四番具志堅が空振りの三振に倒れ1アウトランナーなし。バタ西打線は四者連続の三振。せめてバットには当てていかないと面目が立たない。

 高めのストレートにヤマを張る。大河内は前の具志堅、そして南条に対してもすべてストレートで攻めている。怪我明けで変化球を控えているのか、それとも一巡目で変化球を投げるほどの打線ではないと感じているのか、相手の思惑はわからないが、とにかく当分直球一本の配球が続くはずだ。

 大河内が左足を引き、グラブを頭の後ろに持っていく。

 両腕をひざにつけ力をためた後、右腕が空を切る。

「シュァァーー・・・・・・」

 コースは高い。ヤマが当たった。この男にもコントロールミスはある。

 南条はバットを出す。長打もありうる高さの球だったが……

「キンッ」

 押された。打球はふらふらと二塁ベースを越え前進してきたセンターのグラブに難なく収まった。

 クリーンナップも含めた五者連続三振という不名誉は避けられたが、ランナーを出せないまま2アウト。攻略の糸口は全く見つからない。

 

 甘いコースだったのにな、と惜しい思いをしながらベンチに帰ってきた南条に、

「タイミングはばっちりでしたよ、南条さん」

 と声をかけてきたのは一年生の金田貴史だった。

「やっぱそうだよな。狙い打ちだったから。なんなんだろう、パワー不足か」

「迷いがあったんですよ」

「迷い?」

「コースは予想通りだったけどヒットにできる自信がなかった、それで振りぬけなかったんじゃないですか?」

「言われてみれば……そうかもしれないな」

「その上あの速さですから。さっきの一球も138キロ出てたそうですよ」

「キレもあるしなあ……新月の言ってたとおり近くに来れば来るほど、どんどん速くなってくる感じだった」

「なおさら迷わず振り切らないと飛ばないですね……って、さっき見逃し三振した俺が言えることじゃないんですけど」

 出過ぎたことを言ってすみません、と謝るように貴史は帽子を深くかぶりなおした。

 打席では六番キャッチャー後藤がいい粘りを見せている。カウントは2−2。ここまで二球をファールにした。特徴的な(アクの強い?)バッティングをする三年生の先輩たちがいたこともあり、今まであまり目立たなかったが、後藤はなかなかシュアな打撃を見せる。いまの戦力の中では中軸を打っても遜色ないほどだ。

 南条がそんな分析をしながら後藤のバッティングを眺めていると、貴史が唐突なことを口に出した。

「枚岡さんって言う人も、あれぐらい速いんですかね」

「えっ?」

「確か南条さんって、春に準優勝した相模信和の枚岡さんと同じチームでしたよね」

「え、ああ、中学時代にな。なんだよ急に?」

 不意に飛び出した投手の名前に南条は少し動揺していた。

「いや、トップレベルの投手は皆あんな感じなのかなって……」

「……あいつは特別だよ」

 南条は枚岡の映像を、できるだけ消し去ろうとしていた映像を思い起こしながら答えた。

「あいつと大河内は特別だ。でないと、一年生でエースになって優勝や準優勝できるはずがない」

「そう……ですね」

「中学時代って言ったらもう二年前だからずいぶん変わってるだろうけど、この目で見た限り球のスピードは大河内のほうが上だと思う。ただな、枚岡のストレートは浮くんだ」

「へえ、枚岡さんの球もよく伸びるんですね」

「いや、違う」

 南条は突然真顔になって否定した。

「本当に浮くんだ。浮きながら向かってくる。もちろん横から見たら落ちてはいるけど、打者から見たら絶対そうは思えない」

「……はあ」

 現実的ではないのにやけに力のこもった主張を、貴史はただキョトンとした顔で聞くしかなかった。ふと、南条の頭にもう一人の左腕投手の姿が浮かんだ。

「大河内の球質は……俺が見た中では木田さんのボールに近いかもしれない」

「木田さん、ってうちの去年のエースですよね」

「あっ、そうか。今の一年生は直接は見たことがないんだな」

「はい。かなりキレのあるストレートとスライダーを投げるって聞いたんですけど」

「そうそう。木田さんの場合は腕の出どころがわかりにくいから特に速く感じたな……スピード自体は大河内のほうが上なんだろうけど」

 いまごろ大学でどんな野球生活を送っているんだろう、と続けようとしたとき、グラウンドで鈍い金属音が鳴った。南条と貴史が目を向けると、マウンドから降りた大河内が冷静に打球をさばいていた。そのまま一塁に送球してアウト。六番打者後藤はピッチャーゴロに倒れた。

「一応、当たるようにはなってきてるか」

「とりあえず一本は打たないとメンツに関わりますよね。行きましょう」

 二人はグラブを左手にはめ、二回裏の守備へと飛び出ていった。

 

 南条はその回先頭の七番打者を三振にきってとった。大河内に比べれば見劣りするとはいえ、南条のストレートもそれなりに速い。丁寧に制球して2−1とカウントを整え、高目ボール気味のコースへ投げ込み空振りを奪った。

 さて、このイニングは七条高校のベンチに焦点を当ててみよう。

 二列に並べられたうち後ろの長いすに、大河内が背をもたせ掛けて機嫌よくしゃべっている。横には、少し顔をこわばらせてキャッチャー伏見が座っていた。

「一人一人の振りはそう悪くないんだけど、まあこっちで言ったらベスト8ってところだろうな。スピードの感覚が身についてない。どうだ、リードしてても大して怖くないだろ?」

「ええ、いや、まあ……」

「せっかく遠いところから来てるのに悪いけど、今日は適当にさばいて早めに帰ってもらうか。まあ、病み上がりのリハビリ用としては手ごろな相手だ」

「……噂には聞いてましたけど、本当に容赦ないですね」

 伏見は相手側のベンチをこそこそと伺った。暴言はまだ伝わっていないらしい。

 普段の大河内はごく普通の高校球児だ。もちろん同級生や後輩に少し荒い言葉を使ったり、ここ関西地方で言うところの「いらじ」をするぐらいのことはあるが、頂点に立つ者が表しがちな尊大さは全く見られない。

 それが試合になると豹変する。デッドボールギリギリの球を投げても形のうえでしか謝らない。味方がエラーをするとあからさまに冷たい視線を向ける。ベンチではこのように相手をこき下ろす。

 勝負に入ると気持ちの高ぶりを抑えられないようになるという。それだけの強い意志があるから、あれほどキレのある球を投げられるのかもしれないが……

「大河内。声を落とせ」

 前列のベンチに座る監督が短くいさめる。いくら格上のチームとはいえ、今日は相手のチームにお越しいただいている身だ。

「落としてますよ」

「もっと落とせ。今日は歓声がないぶんよく響く」

「……わかりました」

 大河内は渋い表情で両腕をいすの後ろにだらんと垂らした。グラウンドでは七条の八番打者が弱い当たりのレフトフライを打ち上げていた。

「いい加減なバッティングしやがって。あれぐらいの球、一回で捉えろ」

 態度が変わるといっても監督にことさら反抗したりはしない。大河内は言いつけを守り、ごくごく小さい声でグラウンドの投手と打者に吐き捨てた。

 

 2アウトランナーなしから、九番打者はフォアボールを選んだ。ここで迎えるのは先ほど三塁に高いバウンドを叩きつけ、内野安打で出塁した一番キャッチャー、左打者の伏見。

 伏見はこの回もすばやく攻撃を仕掛けてきた。1−0からの二球目。外角のやや高めに浮いたストレートを引き付けて叩く。打球は三遊間の上を越え、レフト前に落ちた。

 一年生ながら外角の球を左方向に打ち返す技術も持っているようだ。練習試合とはいえ、七条で一番打者に選ばれるだけのことはある。

 ランナー一塁、二塁。再び二人のランナーを抱えてしまった南条だが、続く二番打者にはストレートを低めに集め、セカンドゴロに打ち取った。

 ピンチを切り抜け向かえた三回の表、バタ西の攻撃は七番レフトの柴島。前エースの土方さんが引退した今、チームでほぼ唯一の左投手として重宝されている柴島だが、打撃も意外に鋭い。特に左打席で右投手の緩い変化球をとらえる技術には見るべきものがある。

 しかしこの回も、大河内はストレート一本でピッチングを展開した。柴島は見逃しの三振に倒れて1アウト。

 八番打者はセンターの板橋。打撃でも器用なところを見せ、バントの技術ではチームトップクラスの彼も、速球に押されあえなくセカンドゴロに打ち取られた。

 九番打者は刈田。最近はコンパクトな振りで安打を生み出す感覚を身に付けてきている刈田だが、大河内の前では通用しない。この日早くも6つ目の三振を奪われ、3アウトチェンジ。

 バタ西の野手たちは休むまもなく守備位置へと向かった。練習試合では勝ち負けが最重要ではないとはいえ、さすがにあせりを感じ始めている。

 

 投球練習を終え、南条は思った。さっきまでの三イニングは忘れよう。次から攻撃が始まるんだ、と。

 そのためには、今ある点差をこれ以上広げてはいけない。この三回裏、打席に迎えるのは三番大河内、四番柴、五番仁戸。エースの怪我、予選敗退という苦い記憶を越え、春での雪辱を誓う新生七条高校を支えるクリーンナップだ。

 左打席に大河内が入る。先ほどは内角のカーブを芯で捕らえられたが、運よくファーストライナーだった。

 サインを確認し、振りかぶって足を上げて第一球を投げる。

「シューーーーーー・・・・・・・・バンッ!」

 外へのストレート。主審の手が上がった。まずはストライク先行だ。一打席目にも大河内は初球を悠然と見逃した。速球で押しに押すピッチングとは対照的に、バッティングではしっかり狙いを定めて振る方針をとっているようだ。

 続く二球目、三球目もストレート。一球はゾーンを外れた。一球は引っ張りすぎのファール。打球は校舎を守るために張られたネットに当たって落ちた。

 球は見えている。甘いところに投げれば今度は出塁されるだろう。

 南条はロジンバックを軽くつけてから、サインを覗き込んだ。

 低目へのフォーク。高校生ながらこの真下に落ちる球を投げられるのは南条の強みだ。武器というほど大きな落差を持っているわけではないが、打者の感覚を乱すことはできる。確か相手の大河内も春にはフォークを投げていたはずだが、今日はまだ見られない。

 ボールを二本の指で挟み、振りかぶる。落差が出るよう、打者を惑わせるよう、右腕を思い切り振り切った。

「シューーーーーーーー・・・・・・・・・・・」

 回転の少ない球が、

「スッ」

 ベースの少し手前で沈む。

「キンッ!」

 大河内の重心は揺るがなかった。突き刺さる打球に南条がグラブを出すも、小指側をかすめただけで通り過ぎてしまった。

 抜かれたか?南条が後ろを振り返ると、セカンドの刈田がボールをバックハンドで捕まえていた。

 動きを止めることなくグラブの中の白球をつかみ、自らの加速に負けず素早く身を返して一塁に送球。大河内の足は決して遅くないが、刈田の華麗な守備の前に一塁ベースを無事踏むことはできなかった。

「アウトッ!」

 七条高校のベンチからも感嘆の声が漏れた。こういうプレーはそうしばしば見られるものではない。

「刈田、ナイス!」

 南条はほっと胸をなでおろしながら、刈田に向かって叫んだ。

「おう、南条もいい反応だった。あれで球の方向が変わらなかったら抜けてたな」

 身体能力の限界を使った守備動作をしながらもこうしてプレーを分析できるところに、刈田の真骨頂がある。

 クリーンナップの先頭を塁に出さず1アウト。それでも緊張は続く。左打席に四番の柴が入った。

 この打者にどれだけの力があるのか、映像や噂を通じて見聞きしたことはあるが、本当のところはまだわからない。

 キャッチャー後藤から第一球目のサインが送られる。低目へのカーブ。

 最初の変化球は振ってこないだろう、そう決めて投げたのが災いした。

「シューーーーーーーー・・・・・・・・・・・」

 コースは甘くなかったが、

「カンッ!」

 引き付けて弾き返す技術が柴にはある。流し打ちと思えないほど鋭い打球が空を切る。

「……っしゃ!」

 グラブの高鳴りと気合十分の叫びが同時に響いた。白球は新月の手に収まっていた。

 ショートライナー。これで2アウトだ。

「新月、よく取ったな……ナイス」

 刈田の時より随分消極的な声を、南条は飛ばした。

「アホッ、これぐらいやったらいけるわ!任せとけ!」

 新月の守備は粗いには粗いが、ガッツは人一倍、過剰なほどにある。つまらない当たりをこぼすことこそさえあれ、打球に対して脅えることは絶対にない。そういう意味では頼もしいショートだ、と言えないこともないだろう。

 バックに盛り立てられた南条は、次の五番ライト仁戸を三振に切ってとった。うまく決まったインローの直球に、この打者は手を出せなかった。

 クリーンナップを三者凡退。痛烈な当たりは二本あったが結果オーライだ。

 

 四回の表の攻撃、バタ西打線は早くも一巡して新月から始まる。チームの核弾頭としてそろそろ突破口を開かなければならない。新月は策略を抱いて左打席に向かった。

 投球練習最後の球を大河内に返して、ダイヤモンドの野手に声を飛ばしていたキャッチャーの伏見に、この回は新月のほうから声をかけた。

「おう、伏見くん、自分かなり足速いねんな」

「あ、ありがとうございます。僕はこれだけでここに推薦で入ったようなものですから」

 そう言って伏見はミットで太ももを叩いた。

「いやいや、さっきの回もうまく流し打ってたやん。なかなか謙虚やな」

「そんなことないですよ。あ、そろそろ始まるみたいなので」

 伏見はあわててマスクをかぶって座った。

 これで少しは気が散っただろうか。新月は自らの策略をもう一度心の中で繰り返した。小細工はそれほど得意でないが、練習試合だ。少しぐらい試してみてもバチは当たらない。

 大河内はサインを確認し、投球体制に入る。初回から不変の、ムダのない動きでボールを放つ。

「シュァァーー・・・・・」

 新月は寝かせたバットを球の軌道に合わせた。

「コンッ」

 三塁方向に、彼としては会心のバントを決めた。打球の行方を確認するまもなく一塁へダッシュする。

 伏見、俊足はお前だけちゃうぞ、お返しや、と駆けながらほくそ笑む彼はすでに作戦の成功を確信していた。

 それは実際うまく勢いを殺したバントだったが、大河内のフィールディングはさらに正確かつ迅速だった。素早くボールに駆け寄り球を素手でつかむと、体を十分に起こさないままサイドスローから一塁送球。

「アウトッ!」

「……えっ」

 ベースを駆け抜けて止まった新月はしばし混乱した。審判の判定に不服があったわけではない。自分の視界で送球がファーストミットに収まっていたからだ。

 小手先の画策は通用しない。大河内を崩す手がかりがまた一つ消えた。

 続く二番打者、ライトの庄司は先ほどの回に続いて三振に終わった。依然としてストレートに振り遅れている。

 2アウトランナーなし、ノーヒット更新を阻止すべく三番サードの金田貴史が右打席に向かう前に、大河内は突然タイムを取ってキャッチャーの伏見に手招きした。

 

「どうしたんですか、大河内さん?」

 相手ベンチはもちろんだが、当事者である伏見にさえマウンドに呼ばれた理由は全くわからない。もしかしたら故障上がりの右足に痛みがぶり返してきたのだろうか、そんな不安が一瞬頭をよぎったが、大河内の提案は伏見が思っても見ないものだった。

「そろそろフォークを使おうか」

「……ここで、ですか?」

 試合が始まる直前に伏見は大河内に指示されていた。ストレート以外のサインは出すな、と。

「練習試合であんまり手の内を見せるのはまずいんじゃないですか?」

「誰がそんなことを言った?」

「え?」

「関東のチームだから、次に対戦するとすれば春だろ。そのときまで俺が同じ球を投げ続けていると思うか?」

「……ありえないですね」

 ゆるぎない自信を持ってたずねてくる大河内に対して、伏見も納得して答えた。

「でも、それなら今までどうしてストレートだけで」

「実験だよ」

 伏見が言い終わる前に大河内は答えを明かした。

「病み上がりの真っ直ぐがどれだけ通用するか、試してみた。俺の生命線はあくまで真っ直ぐだから。案外いけるもんだな。この秋も、ベスト8ぐらいまでなら変化球なしでも勝てそうだ。ただ……それ以上になると違う」

「そうですね。やっぱりこっちは層が厚いですから……」

「で、実験第二段階だ。今から相手するやつは、新島で一番のバッターだからな」

 大河内は打席の外で静かに素振りを続ける貴史に視線を向けた。少し長めにタイムを取っているのだが、貴史に気持ちが乱れている様子は見られない。やはりな、と確認して大河内は続ける。

「いいサンプルになるぞ。あいつを抑えられれば、新島県の打者に関しては問題ない」

「え、でも、陽陵の選手はどうなんですか?」

 陽陵は新島県の強豪、陽陵学園のことだ。地方大会の決勝でバタ西を破り、今年の夏は県代表として甲子園に出場した。この名前がすぐに出てくるあたり、伏見もそれなりに情報集めに熱心だといえるが、大河内のリサーチ量はさらに上を行っていた。

「いや、陽陵の中心バッターは二人、伊佐と本庄というやつらなんだけど、打率も出塁率もそいつらより金田のほうが上だ。実際この夏の決勝戦のビデオも見て」

「おーいピッチャー、早くしろ!」

 主審を務めている七条高校の選手が叫ぶ。いくら打者が苦情を言ってこないとはいえ、さすがに時間を食いすぎた。

「ま、そういうことで、タイミングは適当に任せるから」

「あ、はい」

 キャッチャー!と主審の声が再びかかり、伏見はあわてて戻っていった。

 右打席に貴史が入る。伏見はその微動だにしない構えを目の端で観察した。

 金田貴史。この名前を伏見は始めて耳にしたわけではない。

 北陸のとあるシニアのチームで俊足捕手としてならしていた中学時代に、関東のほうに天才打者がいるという触れ込みで、貴史のうわさを何度か聞いたことがある。しかし、二回ほど出場した全国大会では姿を見かけなかったから、今日相手チームに金田貴史がいることを知っても、話に尾ひれがついていただけのことだろうとタカをくくっていた。

 とはいえ、大河内がそこまで評価しているのなら見過ごすわけにもいかない。試合が再開されると、伏見はまず高め直球のサインを出した。そして大河内の豪球を受け止めるべくミットをしかと構える。

「シュァァーー・・・・・・バンッ!!」

「ストライーッ!」

 打席の貴史は動かない。いや、動けない、のかもしれない。様子を伺いながら二球目のサインを出す。外角のストレート。試合前には足の故障の影響から制球が乱れるのを少し心配していたのだが、始まってみれば何の問題もない。ここもきっちり決めてくるだろう。

 マウンド上の大河内がしなやかに振りかぶり、右腕を叩き打つ。

「シュァァーー・・・・」

 貴史のバットが反応した。

「キンッ!」

 手首の返しを抑えて放たれた打球がライト方向に飛んでいく。一塁手がミットを伸ばすが届かない。一塁線、きわどいところに着地したが……

「ファール!」

 一塁塁審の声が響く。バッターの貴史は特に悔しそうな顔も見せず打席へと戻っていった。

 マスクをかぶる伏見に、ようやく貴史の実力が感じられ始めた。タイミングが遅れたとはいえ、大河内の速球を今のようにさばける打者はそう多くないだろう。

 早めに決めるほうが得策かもしれない、伏見は次のサインにフォークを選択した。

 大河内がうなずき、同じフォームから第三球を放った。

「シューーーーーーーー・・・・・・・・・」

 球は少し浮いた。やはり大河内はまだ本調子ではないのだろうか。それでも、

「スッ」

 落差は大きい。いきなり目にした打者は対応できない、はずだったが……

「キンッ」

 貴史は合わせてきた。

 伏見は思わずあっ、と声を上げそうになった。

 本当はカットしてファールにするつもりだったのだろうか、アッパー気味になったスイングからの打球は上がりすぎた。レフトが定位置より少し前進して捕球し、3アウトチェンジ。

 この回も大河内はバタ西打線を全く寄せ付けずに抑えた、ように思われたが、バッテリーの心象は少し違っていた。

 

 ベンチへの帰り際、伏見は大河内がぼそりとつぶやくのを聞いた。

「……いいサンプルになるな、これは」

 全くその通りだ、と伏見も同調した。そして、このあと大河内さんはもう一つ変化球を解禁することになるだろう、と予測を立てた。

 四回の表、スコアは変わらず0−1。動かない試合にも、両者の集中力はまだ切れていない。

 

 

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