休息

 

 帰路、川端西高校野球部の選手たちは意外に明るい表情で歩を進めていった。

 行きと同じく、選手たちは思い思いの格好で、時に監督の叱咤を受けながら電車、バスを乗り継いだが、中には疲れて眠りこんでしまう選手もいた。

 特に今日先発のマウンドに立った南条は、車中でまったく目を開けようとしなかった。キャプテンの新月は乗り換えのたびに南条をたたき起こさなければならなかった。行きのように迷子になられるよりまだ苦労が少ないのは確かだが。

 宿舎についても南条の足取りは極めて重かった。そして他の二年生、新月、刈田、具志堅とともに自分たちの部屋に着くなり、端に寄せてあった布団の上に倒れこんだ。

「お、おい、ほんまに大丈夫か?」

 新月は車中でも何度かそう尋ねたのだが、今度は本当にあせっていた。それくらい南条の全身に浮かぶ疲労の色は濃い。

「いや、病気ではないから。ただ疲れただけ……」

「ほんまか? どれどれ」

 うつ伏せになって布団に顔をうずめる南条の額に、新月は無骨な手を添えた。熱はない。

「とりあえず寝かせてくれ……」

「おいおい、着替えんと寝るんか? 飯はどうするん?」

「後で適当にやっとくよ」

「あんまりきついようやったら遠慮せず言えよ。辺鄙なところやけど一応診療所はあるらしいから」

 南条は布団に埋まった顔を力なく縦に動かした。これ以上話しかけるのはやめておいた方がいいかもしれない。

「布団しいとこうか?」

 刈田が気を利かせて素早く動く。南条からの返事はない。またもや深い眠りに入ってしまっていたようだ。

「お疲れやなあ……おい、具志堅、手伝え」

「あいよ」

 具志堅と新月は軽々と南条の体を持ち上げ、布団の上にそっと置いた。

 三人は、うつぶせて寝息を立てる南条をしばらく見下ろしていた。

「スタミナはあるはずなんだけど」

「精神的に疲れたんだろ。あの七条打線だぜ。一人も気が抜けなかっただろうからな」

 刈田と具志堅は同時に息をついた。内野から見ていても、七条の打者の振りは揃って鋭かった。ましてやマウンド上、真正面で退治する南条にかかる威圧感は恐ろしいものだっただろう。

「それもあるかもしれんけど。考えたら、こいつはこれからエースやもんな……」

 新月がポツリとつぶやく。

「エースっちゅうのはいろいろなもの背負って投げるからな。チームの希望とか、未来とか、苦しみとか……誰かの変わりに投げてた今までとは、しんどさが全然違う」

「珍しくしんみりしたこというなあ」

 そう茶化してくる刈田のほうを、新月は軽くにらんだ。

「アホッ。俺も中学時代、一時期やけどピッチャーやってたことがあるからようわかるんや。まあ、今日はゆっくり寝かしたろ」

 新月は南条の上にタオルケットをかけて、静かに言った。

「これから南条はもっとしんどい思いをせなあかんやろからな。こいつ、見かけによらず神経質やから、またいつ折れるかわからんで。そうならんよう俺らも後ろでしっかり支えていこや、な?」

「……珍しくキャプテンらしいこというなあ」

 三人は決意した。自分たちはもっともっと強くなって、このもろいエースを守り立てていこう。そして栄光の舞台へ、こいつと共にもう一度上がろう、と。

 しわのよった背番号1のゼッケンが、南条の背中で静かにゆれていた。

 

 それから新月、刈田、具志堅の三人は汗を流すために浴場に向かった。実は前にも書いているのだが、ここの湯は天然の温泉だ。しかも露天の岩風呂も設けられている。もっともこの5日間ほど、七条との練習試合に向けて猛烈な調整を行っていた彼らは、せっかくの名湯を楽しむことができなかったのだが。

 ユニフォームを脱いで入った男湯にはまだ誰もいない。おそらく皆、南条のように疲れて部屋にへたり込んでいるのだろう。それを見て新月は突如走りだした。

「そりゃっ!」

 体を直角に曲げて飛び込む。脚の裏が豪快に水面を叩き、しぶきを上げて入水する。

「おい、そこそんなに深くないだろ。怪我するぞ」

 続いて湯に足を入れた具志堅が注意する。

「ええねん。そこはちゃんと計算しとるから」

「うそつけ……」

 計算。あまりに新月と似合わない言葉を聞いて苦笑いしながら、刈田も入浴した。

 空はまだ夕暮れ。山中の浴場はいたって静かだ。

 あーっ、とゴロゴロした声をあげて体をいっぱいに伸ばしたとき、新月はふと伝えなければならない事項を思い出した。

「あっ、そういえば明日は半日休みにする、いうてたな。監督が」

「えっ、それは早く知らせないと」

「半日かよ……ま、休ませてもらえるだけでもありがたいか」

 それぞれ違った反応を見せる二人がどちらであるかは想像にお任せしよう。

「そやな。まあ、伝えるのは風呂上がったらでも間に合うやろ。まさか明日も一日練習があるから今日からどうこうしてる、ってやつはおらんやろからな」

 新月がタカをくくって後ろの岩に背を預けると、どこからか風を切る音が聞こえてきた。聞き慣れた音だ。

「……素振り?」

 立ち上がって正面にある竹のついたての方に向かい、腰をかがめて隙間から覗き込む。ちなみにこの男湯はついたてをはさんで駐車場に面している。

 案の定、駐車場の隅でバタ西の選手がバットを振っていた。音の主は、一年生の金田貴史。

「あいつ……元気やなあ」

 感心半分、呆れ半分で新月はそう言った。

「そういえば今日はヒットなしだったもんな。あいつにしては珍しいから……顔には出さないけど、かなり悔しかったんだろ」

 新月の頭の上から刈田も貴史の姿を覗いていた。

「やっぱりあいつはちょっと違うな。俺なんかあの大河内と対戦できただけで満足だけどな」

 トーテムポールは三段になっていた。通りがかりの人が見たら妖怪伝説が生まれかねないほど奇妙な光景だったが、貴史はまったく気づかない。いや、バットを持っているときの貴史からは、わざと注意を引こうとしても引けるものではないのだ。

 三人は少し恥ずかしさに駆られつつ、ふたたび岩風呂の端に戻っていった。

「あいつは、明日半日休みって言ってもどっかで勝手に練習するだろうな」

 具志堅は両手で湯をすくって顔をゆすいだ。俺も後で素振りだけでもしとこうかな、と考えながら。

「監督の命令やから聞かすようにはするけど。それでも練習したいっていうんやったら止められへんわなあ……野手は連日動いたってそこまで体には響かへんからな、投手に比べて」

「いや、そういう無理が少しずつたまって怪我につながるかもしれないから、ちゃんと止めたほうがいいって。少なくともお前はちゃんと休んどけよ」

 刈田は、早くも体を動かしたくてうずきだしている新月の心情を察し、釘をさした。南条と同じように、野手も今日の試合では普段以上の力を出している。現時点ではまだ自覚できなくても確実に疲労はたまっているはずだ。

「へえへえ。まあ、キャプテンの俺がちゃんと監督の言うこと聞かんかったら、どうにもならんからな」

 新月は頭まで全身湯につかり、ぶくぶくと息を吐いた。今は休むときだ。休むのもまた、戦いだ。

 セミの声はすっかり途絶え、闇がようやく覆いかぶさってきた。

「いやあ、しっかしええ風呂やなあ。ほんま俺らは恵まれてるで。来年もぜひお世話になりたい」

「引退してるけどな、来年の今ごろは」

 冷静にそう指摘し、もうそろそろいい頃だな、と刈田が湯船から上がろうとしたとき、新月が奇妙なことを口走った。

「合宿……露天風呂……おなじみのイベントが欠けとるなあ……」

「……はい?」

「だからおなじみのイベントやって。このシチュエーションで我々健全な高校生が試す行動といったら、あれしかないやろ」

 新月はにまりと口の端を吊り上げた。さすがの刈田にも、ようやく意図が理解できた。

「い、いやちょっと待てよ。曲がりにもキャプテンと副キャプテンだろ、さすがに……」

「こんな田舎の風呂、ばあさんしかいねえよ。あきらめろ」

 たくましい上半身を湯船から出し、半身浴に切り替えている具志堅がそっけなく言った。

「……おい、今の、すごい差別発言やぞ。抗議がきても俺は責任とらんからな」

 言い返しながらも、新月は意気消沈していた。具志堅の言うことはもっともだ。

 そんなよこしまな考えに合わせるように、女湯の方で人の気配がした。

 なんだかんだいって、三人は素早く耳をそばだてる。

「へえ、野球部かいな。暑い中たいへんやねあ」

 ついたてを越えて伝わってきたのは予想通りしわがれた声。三人ががっくり肩を落としかけたとき、もう一つ細く硬質な声が聞こえてきた。

「いえ、山の中ですから地元よりはずいぶん涼しいですよ。私は選手じゃないので勝手にそう思っているだけかもしれませんけど」

 灯台下暗し。

 湯気の中で六つの目が怪しい光を放つ。

「忘れてた……おったがな。男の夢が」

「いや、でも……身内だぞ? 下手したら後々まで……」

 一瞬場の雰囲気に流されかけたものの、そこはバタ西の守備の要、刈田恵介だ。暴走しがちな内野陣をしっかり引き締めようとする。

「そうだ、新月。よく考えろ。果たしてこの壁を乗り越えるだけの価値があるかどうか……」

「……そっちかよ!」

 具志堅が首を回して、両者を阻む大きなついたてをきっと見据える。

 厚い。光の届きそうな隙間はまったくない。

 高い。身長179cmの具志堅が手を伸ばしても、身長181cmで敏捷性抜群の新月が跳躍しても、乗り越えるのは難しそうだ。だが、二人が協力し合い、巨塔が立ち上がればあるいは……いや、もちろん全体を見たときの話で。

「服の上から見る限り、スゴくはない」

「スゴくはないな」

「いや、確かにスゴくはないけど……」

「……けど?」

 二人の大男が刈田に向けて同時に視線を注ぐ。湯にのぼせてしまったのだろうか、刈田はいつもの判断力を失いつつある。このままでは致命的なエラーに繋がりかねない。

 ついたての向こうでは二人の女性がしとやかに談笑している。

「逆にお前は、ああいうほうが好きそうやな」

「そういう顔してる」

 一番打者と四番打者。バタ西の主軸たちが容赦なく連打を浴びせかける。

「俺らも嫌いってわけやないで」

「悪くはない。いや、むしろ……」

「何がむしろだ!」

 刈田が思わずそう叫んでしまったとき、男湯の方にも誰かが入ってきた。

「何がむしろやねん?」

 白髪が大いに混じった角刈りと、その割りには若々しい全身。

「か、監督?」

 もちろん三人の浮かべていた計画など知る由もなく、監督は穏やかに笑いながら湯船につかった。

「お前ら元気やなあ。他の一年生とかはたいがいへばっとるで。そこはまあ練習量の違いやろな。あ、さっきお前らの部屋見たら南条がダウンしとったけど……あいつはもっかい鍛えなおす必要があるかもな」

「監督、助かりました」

 刈田は心から礼を言った。やはりいざというとき頼りになるのは指導者だ。

 監督はもちろん何のことだかわからず、顔を赤くして湯船を出て行く刈田の後姿を首を傾げて見送った。

「はあ……ええ湯やなあ……刈田はまいってたみたいやけどお前らのぼせてないか?」

「あ、はい、大丈夫です。夢はついえましたけど……」

「なんやて?」

「いや、なんでもありません!」

 そんなやり取りの中で、男湯の人口密度はまた上がった。

「ちゃっス! 監督、キャプテン!」

 一年生の張が勢いよく挨拶し、続いて板橋、道岡が浴場に連れ立って来たのだ。そろそろ皆、起き出してこちらに向かってきているのだろう。

「おっ、まあゆっくり疲れ取っとけや。新月にはいうたけど、明日は半日休みやからな」

「え、そうなんですか?」

「選手がまさかここまで疲れるとは思ってなかったからな。予定を変えた」

「そうですか……あんだけのピッチングを見てしまったから、ものすごく練習したくなってるんですけどね……」

 今日、一年生で唯一ヒットを打った板橋が残念そうにつぶやいた。

「そう焦るな。ほんまに大事なのはこれからの練習やで。負けて学んだことをいかに活用するかってことで、できるだけええコンディションで集中してやらせたいからな」

 監督の考えに一応は納得したようだが、他の二人の一年生も物足りない顔をしている。いい傾向だ。監督も二年生たちも、ルーキーたちのやる気に触発されたことだろう。

 空からは日が落ちた。新月と具志堅はかなり長い間湯につかっている。少しぬる目の湯加減なのであまり気がつかなかったのだが、そろそろ上がらないと健康にも悪い。

 二人は浴場から出て部屋に戻った。南条は相変わらず寝ていた。

 

 しばらくして、二人は刈田をつれて食堂に向かった。具志堅はもう、一日目のような無制限の食いっぷりを見せることはない。それでも監督に許されている限界までおかわりをする食欲は、他の選手たちをはるかにしのぐものなのだが。

 食事を終え、部屋に戻る。南条は相変わらず寝ていた。

「おいおい、ほんまに大丈夫かいな」

 さすがに心配になって新月は南条の左肩をゆすってみるも、まったく反応はない。仕方がないので南条はそのまま放っておいて、思い思いにくつろぐことにした。

 ぼーっと壁にもたれる具志堅、とりあえず畳みに寝転ぶ新月、たまりにたまっている宿題に危機感を覚えてバッグからノートを取り出す刈田。

 ここまで五日間、彼らはこうしてゆったり時間を過ごす暇はなかった。夏春連覇の強豪との戦いを前にして、朝、昼はもちろん体にムチ打つ猛練習、当然照明設備などなくグラウンドの使えない夜も、素振りやランニングなどそれぞれ練習に打ち込んでいた。そのための合宿ともいえるのだが。

 こうして激戦を終えて、これまで極度に張り詰めていた彼らの緊張の糸は少し切れてしまったようだ。角田監督が休養を与えたのは、そうした精神面の調整を行わせるためでもある。

 新月が寝転がったまま、テレビのリモコンに手を伸ばし電源を入れる。プロ野球の試合が放映されていた。

 画面の映るユニフォームを見ると、新月はさっと起き上がって声をあげた。

「お、ジャガーズの試合やん! 甲子園やん! さすが関西やなあ」

 大阪ジャガーズ。高校野球の聖地甲子園を本拠とし、関西で絶大な人気を誇るプロ野球チームだ。新月もジャガーズファンだ。

 一時期のBクラスの泥沼を抜け出し、最近は優勝争いにまで加われるチームとなっているのだが、ひねくれたファンである新月はチームの快進撃を喜ぶ反面、自分の息子が偉くなって遠くに行ってしまったような一抹の寂しさを感じている。

「相手は……ドルフィンズか」

 具志堅も起き上がって画面に目を注ぐ。ジャガーズと対戦している東京ドルフィンズも、ここ数年は優勝争いに縁のないBクラスチームだったが、今年はこの時期に三位と健闘している。首位のジャガーズにとっても、これは大事な試合に違いない。

 現在七回の裏、ジャガーズの攻撃、スコアは3−2でドルフィンズがリードして、ノーアウトで2,3塁となっている。

「……ピッチャーは誰?」

 宿題を続けるかプロ野球を見るか、壮絶な内面闘争に負けた刈田が二人の方を向いてたずねる。

「えーと、岩出やな。うん、だいぶ疲れてきとるぞ。そろそろ打ち時やな」

 甲子園のマウンドから、ドルフィンズのエース岩出が重い直球を投げ込む。外角中途半端なコースに入った球を、ジャガーズの右打者が見事に痛打した。打球が左中間に転がる。

「おっしゃ! 行け、回れ!」

 新月は無意識に立ち上がって、両こぶしを握り締めてモニターを凝視した。

 三塁ランナーは当然ホームイン。外野からの返球はあったが、クロスプレーになるまでもなく二塁ランナーもホームイン。3−4とジャガーズが逆転した。

「よっしゃ! よう打った! いやあ、ええ場面見られたなあ」

「うん、投手交代かな?」

 三塁側のベンチからドルフィンズの監督が出てきた。主審に何かを告げ、戻っていく。

『ドルフィンズ、ピッチャーの交代をお知らせします。ピッチャー、岩出に代わりまして、庄原。9番ピッチャー庄原、背番号62』

「え、庄原……?」

 新月と刈田にはピンとくるところがあった。庄原……指……フォーク……

 予想通り、ブルペンから姿を現したのは、昨年夏に川端西高校が地区の決勝戦で対戦したあの庄原だった。

「マジで? 庄原って、プロ行っとったんや!」

「登板3か……最近一軍に上がってきたみたいだな」

 新月はともかく、刈田までもが知らなかったというのは珍しい。きっとドラフトの下位でひっそり指名されていたのだろう。あとで調べておかなければならない。

「確かにええピッチャーやったけど、まさか高卒でプロって……こいつ、正味フォークだけやろ」

「その『フォークだけ』に散々苦しめられたからなあ、去年は」

 刈田は去年生で目にした庄原の「お化けフォーク」を思い出した。身長の割りに指が異常に長く柔らかい庄原は、ナックルのように不規則な変化をするフォークを投げる。その珍妙な変化に、浅越さん、荒川さん、谷嶋さんなどバタ西打撃陣のバットは次々と空を切らされた。

 ただ新月のいうとおり庄原は、昨年の時点ではプロに注目されるほどの直球を持っていなかったし、何よりスタミナがなかった。

「まあ、なんていっても甲子園ベスト4の投手だしな。大人しく見てみよう」

 主審が試合の再開を告げ、庄原が投球フォームに入る。

 お化けフォークは健在だった。ストレートも時速140kmを軽く越えるようになっていた。スライダーも覚えていた。

 ノーアウト二塁のピンチを見事切り抜けた庄原の姿を見て、三人はプロのスカウトの目に敬服した。指名されるからには、それなりの素質を持っているのだ。

 試合は八回の表、ジャガーズは自慢の中継ぎエースをつぎ込み、勝ちパターンの作成に入っていく。

 一点差のシーソーゲームをしばし見るうちに、新月が不意にたずねた。

「なあ具志堅、お前プロに行くつもりはある?」

「いやあ、無理だろ」

「無理か無理ちゃうかじゃなくて、もし行けたら、の話や」

「そうだな……」

 具志堅はじっと考え込んで、それから答えた。

「いや、やっぱり無理だ」

「なんでやねん。まだ二年生やんけ。自分の可能性に見切りをつけたらあかん、って誰かも言うてるやん」

「まあな。それはそうだけど、俺はどっちかというとトレーナーとかそういう方向に進みたいっていうのもあるしな」

「あ、そうなんや」

「理学療法士、っていうのか、とにかく高校の間は野球続けるけど、よっぽどのことがない限りはそっちの方を目指そうかと思ってる」

「ふーん」

 新月も、刈田も初めて聞いた話だった。おそらく、今の段階ではまだ周りにはほとんど話していないのだろう。

 それでも自分の進路を明確に見出し始めている具志堅が、二人の目には少し大人びて見えた。

「なるほどな。俺は」

「おい」

 刈田は、続けて話し出そうとする新月をさえぎった。

「俺には聞かないのかよ」

「あ、そうやったそうやった」

「……まあ、具志堅が無理だっていうんだったら俺はなおさら無理だろうしな。もちろん簡単に可能性を切り捨てちゃだめだけど」

「でも、プロだっていろんな選手おるやん。守備のスペシャリストは重宝されると思うで」

「スペシャリストになれたらな。守備だけでやろうと思ったら、それこそ日本で何本かの指に入るぐらいじゃないと使ってもらえないぞ。まだ高校の段階だからわからないし、そこまで野球が続けられるか自信もない」

「うーん……それやったら、とりあえず野球続けたらええんちゃう?」

「高校の間は続けるけど……大学になったらどうだろな。よくわからん」

 画面上のドルフィンズ対ジャガーズの試合は九回の表に入っていた。ジャガーズは抑えの切り札を投入し、逃げ切り体制に入っている。

「新月はもう、ひたすらプロを目指すんだろ?」

 新月の進路希望はこの二人だけでなくバタ西の選手全員が何度も耳にしている。それだけに皆、本気にしていない節もあるのだが。

「おう、それは第二志望やけどな」

「第二志望?」

「第一志望はメジャー。高卒でいけるかどうかは微妙やけどな」

「微妙というか……まあ、夢を大きく持つことはいいことだ」

 具志堅は再び壁にもたれかかって心のこもっていないコメントを投げた。刈田もまた疲れたような表情で新月を見ている。

「おいおい、俺は本気やで。約束があるからな」

 また何か言い出した、と呆れながらも刈田は一応尋ねておいた。

「誰と?」

「親父と。絶対守らなあかん約束や」

「新月の親父か。どんなんだろう。案外堅物だったりして」

「いや、俺より調子乗ったヤツやったで」

「新月より? 本当に? やっぱり野球やってたりしたのか?」

「ああ、俺と同じショートでな、足も速かったらしい」

「だいぶ強烈そうな親父さんだな。一回会ってみたいなあ」

「無理や」

 新月は突然真剣な顔になって、笑いながら話す刈田の目をじっと見つめた。

「四年前に死んだからな」

 刈田は笑いを止め、さっと表情を堅くした。具志堅も再び壁から背を離した。

 新月の後ろで、ずっと倒れていた男が突然身を起こした。

「うん、あれ、いま何時だ?腹減ったなあ……」

「南条、お前も聞くか?」

 具志堅がそうたずねるが、南条にはもちろん何のことだかわからない。

 引き締まった空気の支配する部屋で、ただ一人南条だけがのんびりと大きなあくびをついた。

 

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