17番と12番

 

 腕も肩幅も、少しだけおなかの周りも堂々としている張。かたや平均より背が低く体重も軽い板橋。この二人が同じユニフォームを着て歩いている姿を見ていると、野球というスポーツの柔軟さに感心せざるをえない。同じ球技でも例えばサッカーだったら張のような体型は許されないだろうし、バスケットボールだったら板橋がチームの第一線で活躍することは難しいだろう。

 しかもこの二人は共に、単に野球部に在籍しているだけではなく、一年生にしてベンチ入りを果たしているのだ。ここでついでに、先日行われたレギュラー発表の結果を記しておこう。

南条
後藤
具志堅
刈田
金田
新月
庄司
槇峰
柴島
10 八重村
11 栗田
12 板橋
13 下館
14 石川
15 道岡
16 草津原
17
18 木曾

 張と板橋は二桁の番号をそれぞれユニフォームに背負って、間近に控えた試合に向けてこわばった面持ちで気分を高めている。

「いよいよあさってだな」

 腕に畳んだネットを抱えた板橋が、グラウンド全体を見渡しながらポツリとつぶやく。これといった返事を期待しているわけでもなく、なんとなく声に出してみたといった口調だった。

「だなあ」

 張もどこか気のない声を返した。外野から運んでいるバーベルを両手にだらりとぶら下げてとぼとぼと歩く様子に、いつもの妙な元気さは見られない。

 彼の場合は今回初めて背番号をもらったということで、板橋以上に気負っている。もし明日、急に出場することになったらどうしよう。練習ではだいぶスイングも安定してきたが、いざ本番のバッターボックスに立ったらどうなるだろうか。そもそも、自分がベンチ入りなんてして良かったのか。いろいろな心配が頭の中で渦巻いていた。

 そんな二人の後ろから突然、肩にがぶり寄ってくる男がいた。

「おう、二人ともどうしたんや! 緊張してるんか?」

 相変わらずの上機嫌で、キャプテン新月は二人の肩を何度か叩いた。あまりの勢いに板橋は軽く咳き込みながらも答えた。

「は、はい……緊張してますよ」

「そうやろな。普段こんなに静かやないもんな。でもあれやん、板橋は夏も背番号もらってたからまだ大丈夫なんちゃう?」

「いやあ、やっぱり違いますよ。夏のときは入ったばっかりでよくわからないうちにって感じでしたし、試合に出る可能性も少ないと思ってたんで……」

「確かに」

 新月は一年生の肩から手を離して、はたと考える。

「今回の大会は十分スタメンもありえるわな」

 十分有り得るというより、バタ西が順調に勝ち進んでいけば、板橋がどこかで先発出場することのは確実だろう。

 今回センターのレギュラー、背番号8をつけているのは二年生の槇峰(まきみね)。背番号9を与えられた二年生の庄司とともに、実力を評価されながらもなかなかベンチ入りはかなわなかった外野手だ。

 左打席からの鋭い打球が持ち味の槇峰だが、守備範囲の広さやベースランニングでは板橋に劣っている。しかも左投手のカーブ、スライダーといった玉を苦手にしている。左打者の彼と右打者の板橋が、これからの試合で併用されていくことはほぼ間違いないと見てよい。

「その点、自分はまだ気楽かもしれないっスね」

 独特の敬語で張が口を開く。

「スタメンに起用されることはまずないっスから」

「いや」

 新月はふと真顔になってじっと張の目を覗き込んだ。

「油断せんほうがええで」

「え、え、そうなんスか?」

「おう。変な話やけど、うちの監督は途中交代で選手を出すのが好きやから、お前の役割は主に代打やろな。でも、それ以上に変則オーダーを組むのも好きやからなあ……一番ライト張、なんて起用法も無いとは言い切れへんで」

「一番っすか? さすがにそれは無いっスよ。自分、シャレにならないぐらい足遅いっスから」

「いやいや、そうでもないやん。それに去年は一番キャッチャー藤谷、なんてのもやってたからなあ」

「え……マジっすか?」

 スマートな体型からはなかなか想像しにくいのだが、バタ西の前の正捕手藤谷さんの足は驚異的に遅い。いつか行われた50mダッシュの練習では、張とともに集団の後方に取り残されていた。

「マジで。信じられへんかったら他の二年生に聞いてみ」

「そうっスか……」 

 ますます表情を硬くする張を見て、新月は話を誇張しすぎていることに気がついた。

「ってまあ、あの時の藤谷さんの場合は二年生でガチガチの正捕手やったから。さすがの角田監督でも、一年生にそんな無茶はさせんと思うわ。とにかく明日は第一試合やし、まずはオーソドックスなメンバーでいくやろ。あんまり変な心配はせんでええで」

 ほら、リラックスやリラックス、と自ら肩を回して見せながら、新月は一年生たちを活気付けようとする。それでも二人の様子からはなかなか堅さが抜けない。グラウンドを歩んでいく足もなんとなくぎこちない。どうしたものか、と視線を左に向けたとき、新月は目に飛び込んできた人物から妙案を得た。

「おい、ちょっとここで見とけ」

「あ、はい」

 二人の一年生は言われるままに立ち止まり、それぞれの荷物を地面に下ろした。新月は目に入った人物、南條のほうに近寄って声をかける。

「おーい、南条」

 南条はちょうどブルペンから出て、器材を片づけているところだった。ボールの入ったバケツから顔を上げて反応する。

「ん?」

「あさってはいよいよ一回戦やな。どや、調子は、緊張しとるか?」

「うん。まあまあかな」

「まあまあって、今回はお前がエースやねんからもっとしっかりしてもらわな困るで。ほんまにやる気あるんか?」

「大丈夫だって。とりあえず、チームに迷惑かけないぐらいのピッチングはするから」

「あっそ。もうええわ」

 新月はいまひとつ頼りがいの無いエースに背を向け、再び一年生たちに向き直った。

「どや、少し緊張がほぐれたか?」

「はい……?」

「こういうときにあいつ見ると、なんか力が抜けるやろ?」

「はぁ」

 癒し系、というのは少し違う気がするが、確かに南条の全身に漂う脱力感には何か他の人にも影響するところがある。新月はそんな南条の特性を、言い方は悪いが「利用」しようとしているのだった。

「なかなかあの境地にはたどり着けないですよね……」

 板橋は、いつもと変わらない表情でボールを拾い終え、ブルペンを去っていく南条の後姿を眺めながら言った。

「そやな。俺ら二年生のなかでも、大会前にあそこまで気楽そうにしてるやつはおらんから」

「甲子園決勝の直前でもあんな感じで練習してそうっスよね」

「確かに。『明日は決勝だ、頑張ろうかなあ』って」

 張の正確な指摘からひとしきり笑いが起きたあと、新月は付け加えた。

「……まあまあでもあいつも、顔にはぜんぜん出さへんけど、実は心拍数めっちゃ上がってたりするかも知れんで。さっきちょっとピッチング見たけど結構気合入ってたしな。こないだの決勝で負けて、あいつもだいぶ悔しい思いしとるしな。今回の大会にかける気持ちは大きいと思うで。それでも」

 新月はもう一度、グラウンドの遠くへと走り去って行く南条に目を向けた。

「ああやってのんきな格好して、周りも自分も落ち着かせられるんが、あいつの偉いところやな。……自分が緊張してると思ったら、体が余計カタくなってくるで。お前らも、南条みたいにやる気ない顔してみたらどうや」

「なるほど」

 キャプテンに言われるまま、張と板橋は表情をだらりと崩そうとした。それでもやはり固さが残り、目元口元が奇妙にゆがんだだけで終わったのだった。

「あかんか……」

 自分でも、しょうもないこと言ったな、と思い新月はしばし考える。特にいい案が浮かびそうにもないので、新月は吹っ切れた。

「走るか」

「え?」

「こういうときはな、難しいこと考えててもしゃあない。適当に体動かして、何も考えられんぐらいに疲れるのが一番や。行くで!」

 そういうなり、新月はグラウンドの外野に向かってスタートを切った。いきなりの提案に戸惑いながらも、一年生たちも後について走っていった。

 

 裏山、と地元の人たちやバタ西の生徒は野球部グラウンドのすぐそばにある小高い丘をなんとなくそう呼んでいるが、正確な名前は誰にもわからない。しかし名前などどうでもいい。重要なのは、運動部が汗を流すのにぴったりな山一周のランニングコースがあることと、地元の人たちが休日に堪能できる豊かな緑があることだ。

 三人は裏山を三週ほど走って――距離にして6kmぐらいだろうか、大会に向けて熱気のたちこめるグラウンドに戻ってきた。

 新月がトップゴール、その数秒後に板橋が駆け入ってきた。前かがみになりながら、荒い息で言葉を搾り出す。

「せ、先輩、速いっすよ」

「そうか? お前も足は速いけど、走りこみはまだまだ足りてないようやな」

「いや、俺もそうなんですけど、張が……」

 板橋の言うとおり、裏山の方から太目の男が走ってくる気配はしない。三週目に突入したあたりから新月は後ろを見ずに突っ走り、板橋はそれについていくのに必死だったので、どれくらい引き離してしまったのかわからない。

 結局数分後に、バタ西トップクラスの総力を持った二人に引きずりまわされた不運な男がグラウンドに姿を現した。

 しばらくは声も出せないほど、張の息は上がりきっていた。今にも倒れそうなほど足はふらついていたが、倒れず何とか耐えているあたりはさすが元柔道選手……というべきなのだろうか。

「大丈夫か、ほんまに?」

 あまりに息を荒げ続けているので、新月は少し心配になってきた。肉付きのいい背中をゆっくりとさすってやる。

「も、申し訳ないっス、大丈夫っス……」

「グラウンドで見る限り、意外と足は速いから大丈夫や思ってんけどな……」

 そう、張の足はそれほど遅くない。スタートはやや鈍いが、加速がついてくると乗ってくる。ベースランニングをさせると、一塁ベースを回ったあたりから見た目に似合わないスピードでダイヤモンドを駆けていくのだ。

 とはいえ走る時間が長くなると話は違ってくる。

「面目ないっス……」

「あれやな、筋肉つけるのもええけど、お前の場合はやっぱりもうちょっと無駄な肉を落とさなあかんな。そのうちヒザとかに来るで」

「そうっすね、具志堅さんにも言われてるんスけど……」

 張は張なりに努力してるのだろうな、と彼のずんぐりとした全身を改めて見回しつつ、新月は二人をベンチに連れて行った。すでに外野でノックを終えた先客の一年生たちがしばしの休憩を取っていた。

 三人は腰を下ろして息をつく。板橋の顔はもう平静のものに戻りつつあったが、張はまだつらそうだ。額の汗をしきりにぬぐいながらだらんと腕を下げている。

「ふう。まあ、俺もちょっと速いとは思ってたけどな。でもその様子やったら、いらん緊張とかも吹っ飛んだやろ」

 新月が言うと、二人はあっと声を出して顔を上げた。

「そういえば、そうだったっスね……」

「というか、すっかり忘れてました」

「そらよかった。って、俺が言うたからまた思い出してしもたかな」

 二人の顔を覗き込んだが、もうカタくなっている様子は無い。どうやら新月の荒治療は功を奏したようだ。

「あれやで、せっかく背番号もらって試合に出れるんやから、素直に楽しんだらええねん。二人ともそれだけの努力はしてきてるんやから、試合を楽しむ権利は十分にあるで」

「楽しむ、か……」

「しかも一年生で、や。そのことでプレッシャーを感じてるかもしれんけどな、よくよく考えたらそんなチャンス、全員に与えられるもんとちゃうんやで。そう思ったら、やっぱり楽しまな損や、ってならへんか?」

「そうですよね」

 少々強引ではあったが、新月は何とか二人の懸念を晴らそうとしているのだ。彼もようやく、キャプテンらしい振る舞いを身につけつつあるというところだろうか。

 三人の前にベンチで休んでいた一年生たちが、再びグラウンドへと走り出していった。彼らには今回、背番号が与えられなかった。次の大会での出場に向け、彼らの挑戦はもう始まっている。

 新月はそんな一年生たちの姿を見送ってから、話題を変えて切り出した。

「でもあれやろ、お前らぐらいの実力があったら、入部の時点からちょっとは予想できてたんちゃう? 結構早い時期から背番号もらったり重要な場面で使われそうになったりするって」

「いやいや、とんでもないっスよ」

 ベンチに入ってからあまり反応を見せなかった張が突然強くかぶりを振った。

「だよな、板橋」

「うん。僕ら、中三になってからチームの中では上手いほうになってきたんですけど、それまでは全然でしたからね。ベンチ入りの候補にすらお呼びがかからない、って感じで」

「ほんまか? 前に貴史か誰が、板橋は昔から足速かったし、張はマッチョやったって言ってたで。ベンチぐらいには入れるやろ」

「足が速い……うーん……間違っては無いんですけどね」

 板橋は苦笑いすると、張も含めて自分たちの中学時代について話し始めた。

 

 繰り返しになるが、二人が中学時代に所属していた川端チェスターズは、自分の中学の野球部では物足りない、という選手たちが集まってくる軟式野球のチームだ。

 板橋もそうした選手たちの一人だった。ただし、板橋自身の野球の技術が、普通のクラブに満足できないほど高かったわけではない。彼の中学の野球部が、部員不足のためほとんど廃部寸前だったのだ。それだけならまだ、自分が入って部を立て直してやろう、というような気概も湧いたのかもしれないが、その野球部は不良のたまり場と化していて、学校での評判もすこぶる悪かった。中学入学当時は今よりさらに小柄で力も無かった板橋には、とても近寄れる場所ではなかったのだ。

 そういった経緯から、板橋はバッティングセンターで張り出されていたメンバー募集のチラシを見てチェスターズに入団した。新月が又聞きしたように、足はチームの中でも頭ひとつ飛びぬけて速かった。しかしパワーが決定的に不足していたことと、今と違って守備もうまくなかったことで、ベンチ入りへの道はなかなか厳しい状況にあった。

 一方の張は、小学校の頃リトルリーグのチーム、道岡と同じチームで野球をやっていたのだが、とある理由で六年生のときに野球をやめてしまっていた。中学に入っても野球部には興味を示さず、しばらくは入部した柔道部で体のサイズアップに努めていた(ちなみに中学入学当時の張は、スリムとは言わないまでも、ごく普通の体格だった。体重と筋力を偏重するその中学の柔道部に入ってしまったのは幸か不幸か、はっきりとは決められない)。

 ところが中学二年のある日、張は小学校時代の野球仲間、道岡に誘われてチェスターズの練習を見に行った。その時は入団する意思などまったく無かったのだが、その日予定があいていたこと、道岡があまりにしつこく誘うこと、張自身が久しぶりに野球に触れてみるのもいいかもしれないと思っていたことなど、いろいろな要因が重なって彼の足はチェスターズのグラウンドへと向かった。

 グラウンドに行ってみると、道岡はなぜか張を入団希望者として監督に紹介していた。何が何だかわからないうちに張はユニフォームに着替えさせられ、道岡とキャッチボールをし、ノックを受けさせられた。

 体験練習メニューの最後として、張はバッティングケージに入れられた。小学六年生になってすぐに野球をやめてから二年以上のブランクがあった張のスイングは、ボールにかすることすらままならなかった。

 周囲のほほえましい視線に見送られながらの最後の一球、張のバットがボールを芯で捉えた。

 打球は外野に置いていた仮設フェンスの遥か向こうまで飛んでいった。正確な数値はわからなかったが、それは当時、硬式野球から転向してきて持ち前のセンスをいかんなく発揮していた、金田貴史の飛距離すら超えるすさまじい打球だった。

 チェスターズの監督は、その場で張に入団を促した。張も、自分の放った打球の快感に我を忘れ、即座に入団することにした。

 そうして張は、徐々に野球の世界に戻り始めていった。ただ、体が守備、走塁の基本を取り戻すまでには時間がかかった。監督とチームメイトに強烈な印象を与えた打撃も、そう簡単には開花しなかった。

 板橋と張がベンチ入りしたのはようやく三年生の夏大会になってからだった。板橋は三年生になってから守備が急激に向上し(本人曰く、打者がミートした瞬間に打球の方向くわかるようになってきたそうだ)、またコツコツと続けていたバント練習の成果が認められた。張はついに守備、走塁の感覚を取り戻し、打撃も確実性は低かったもののミートするようになってきていたし、当たったときの飛距離は群を抜いていた。

 そして秋の大会、ちょうど具志堅に連れられた新月たちがグラウンドに見学しに来た頃、二人はレギュラーとしてチームの中心を担った。チームは惜しくも準優勝で上の大会に進めなかったが、二人にとってはそれまでの努力の集大成となる、忘れられない大会となった。

 

「確かにそれやったら、高校でいきなり背番号取れるなんて思われへんわなあ……」

 二人の話を聞き終え、新月はふと高校一年の頃の自分を思い起こしてみた。

 あのときの新月は自信に満ち溢れていた。秋どころか、夏の大会でのベンチ入りすら確信していた。その確信、いやその過信は当時のキャプテン浅越さんにしごかれるうちに薄れていき、それでもなぜか角田監督の「一芸選抜」によって結局ベンチ入りを果たしてしまうなど、その道のりは決して平坦ではなかったが。

 大阪でそれなりにレベルの高い硬式野球のチームでプレーしていた彼は、地方の公立くらい、とバタ西野球部をなめきっていたのだ。もっとも彼の場合、そうした背景とは関係なくただ自信過剰の性格が関わっている部分も大きいのではあるが。

 ともあれ、そうした妙な自信を胸に抱いていた新月と、今の張や板橋では、試合に対する緊張度が違ってくるのも仕方がない。

「でも確かに、そうですよね」

 板橋は不意に自分で納得して、新月の言葉を繰り返した。

「そんな僕らが、背番号をもらえて試合に出られるかもしれないんですから。やっぱり楽しまないとダメですよね」

 隣に座る張も、太めのアゴを縦に動かした。

 とりあえず、二人の緊張は十分に和らいでくれたようだ。ちょっとは俺もキャプテンらしいアドバイスができるようになったのかな、と新月は内心、悦に入って二人の一年生を温かく見つめるのだった。

 

 

次へ

第六章メニューに戻る

小説目次に戻る

ホームに戻る

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送