60年の歳月

 

家人も部屋に帰った後、長村正は書斎で静かに本を読みながら今日あった出来事を整理している。防衛庁から出張の名目で陸将補が防衛大学校の学長就任を頼みに来る前代未聞の出来事の後、甥の孫が知恵を借りに来たこと・・・・・
長村は最近忙しくなってきたと思い豪奢な机から立ちあがろうとした時、ふと天井まである本棚に手を伸ばした。一冊の古ぼけ本を取り出し項を捲った。赤線だらけの名簿欄にあった赤線のひかれていない名前の隣の電話番号を入れた。

10秒程度待つと電話から声がした。

「はい、川村ですが」

「長村ですが夜分遅くすみません、ご主人は居ますか?」

「あっ、長村さんですか、川村はまだ帰っておりませんが帰ったら電話するように伝えておきます」

「すみません、じゃあ、そうしてください」
と言いがちゃりと電話を切った。長村はもう一度本を見直した。

「昭和9年度陸軍大学校卒業生名簿」

と記された本を捲った。その本は今はわずかに15名が生きている昭和9年に陸軍大学校を卒業した生徒が各自、僅かな給料から割き、持ち寄った金で作った名簿だった。そこには、配属先、住所、最後に撮った写真などが載った100ページ程の名簿だ。懐かしそうに読んでいると電話がかかってき

「長村か、川村だ」
と太い声が聞こえた。長村はようやくかかってきたと思いながらも夜の12時をまわってもかけてきてくれる友人に感謝し
「実はな、相談があるんだが・・・」

「相談?そりゃあ、70年来の友の相談だ、喜んで聞こう」

「実は・・・今日防衛庁から防衛大学校の学長に就任してくれと使いが来てな、受けたんだ」

「ほう、90過ぎても就任してくれとは・・・さすが首席卒業だけあるな。で?」

「本当に受けてよかったのか悩んでいて・・・友人のお前の意見を聞こうと思って」

「ほう、難しい相談だ。俺たちは国家と天皇陛下のため死ねと叩き込まれた職業軍人だからな、俺は国家の役に立つならいいと思うが・・・・・、何と言っても防衛大学校だからな」

「昔でいえば陸軍大学校か海軍大学校だもんな、特に俺はあの満州とパールハーバーだけは思い出したくない。もう軍人はごめんだからな」

「だがな俺も、パールハーバールソンもサイパンも沖縄、硫黄島も全部思いだしたくない。しかし、その事実を教えることが俺たちの責務だと思う。特にこれから、将来有望な自衛官、まあ、軍人だがそいつらにあの惨劇を繰り返させないことが引き受けたお前の責務だ。だから、迷わずに、受けたことを後悔するな、お前が受けたことは後世に伝える責務を全うする為に与えてくれた機会だと思え」

「そうか・・・・・相談してよかった・・・・」

そして、しばらく重い沈黙が流れた。その沈黙を破るように川村が口を開いた。

「もう・・・・60年か・・・・長かったな」
すこし泣いているのか声色がいつもと違った。長村も涙が滂沱のように溢れ出し
「そうだな・・・60年・・・か・・・」
と言った。長村は窓を見た。最終便の飛行機が空港を飛び立ったようだ。飛行機が発する音が長村には爆撃機の轟音に聞こえた。





野球部グラウンドはいつもと変わらぬ練習風景が広がっている。長村もいつもどおり、走りこんだ後、ブルペンで汗を流している。野球部はいつもは、6時ごろには練習が終わるのだが大会が近づいて少しでも実力をあげようと徹底的に体をいじめている。松山を除いては・・・・

「あーっ!どうやるんだこんなの!」

部室で荒声を上げている松山は部室にある机からはみ出るほどでかい東南アジアの地図の上で駒を動かしながら苛立っている。何も知らない人が見るとなんとも奇異な光景だが長村には頑張っているようにしか思えない。誰もが時を忘れて練習しているとすでに6時半が過ぎていた。さすがに、後片付けをし始めて帰る部員も出てきて45分頃には全員帰った。

長村はへとへとになった体を上げ、バス停へと歩いていった。その顔には明らかに苦悩の色が滲み出ていて、練習をしているときのみが忘れているように感じられた。

「長村・・・」

後ろから誰かが長村を呼んだ。長村は振り向くと大量の鞄を抱えた青川がゆっくり歩いていた。

「おいおい、その荷物はどうした」

「いや・・・・ちょっと資料の整理をやってたんだけど・・・全部できないから家でやることに・・・」

「別に明日でもいいだろ、じゃあな」
短く答えた長村に青川は

「今日退屈だから一緒に帰らない?家の方向も同じだし・・・ちょっと話す事もあるし・・・」
と言った。長村は一瞬迷ったが
「別にいいぞ」
と答えた。

長村は話で何を切り出してくるのかを一緒に帰りながら考えた。相談でもあるのか?はてや告白か?まさか、そんなことはないかと思いながらも何を切り出すが見当がつきかねた。こうなれば自分から訊くかと長村は

「で、話しとはなんだ・・・」

と切り出した。青川は何かを心に決め口を開いた。

「実は・・・最近、長村に悩み事でもあるのかなって・・・なんか表情もいつもと違うし」

「よく当てたな、確かに将来のことで悩み事はある。それで?」

「えっ!・・・将来」
青川は相当驚いたのか手にもってた鞄を取り落とした。青革は鞄を開くと即座に
「将来って・・・野球選手とかそういう方向じゃ・・・」
「確かに、プロ入りを目指しているが高校で指名されても行くかは分からない。指名拒否と言う手段に出るかもしれない」
「指名拒否って・・・大学でも十分チャンスはあるでしょ」
「あるけど・・・もうひとつの夢があるからな」
「もうひとつの夢・・・何」
「あまり訊かないほうがいい」
長村は静かに答えた。しかし、青川は納得できないのか
「何?もうひとつの夢って?」
「・・・・・」
「答えて!これはあんた一人の問題じゃなくて野球部にも関わりかねない問題よ!」
「解った・・・その代わりこのことは誰にも話すな。驚くな、そして野球部でそのことを訊くな。それが守れるのなら話そう」
「誰にも話さないわ」
青川はの決心は相当固いようだ。長村はそれを見てから静かに口を開いた。
「・・・・・軍人だ」
「えっ!・・・・軍人・・」
青川は気絶しそうになったがかろうじで持ちこたえた。
「後ほど詳しいことは話す」
長村はそういい早足で逃げるように走った。

 

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